僕はオトコに生まれたかった。番外編

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 それでも知りたいと願えば、彼は話してくれるだろう。遠い昔の恋人たちに起こった、おそらくは、悲劇を。けれどそれと同時に、娘との間には高い壁が築かれる。介入を良しとせず、同情を厭い、傷を背に隠すあの娘は、距離感を間違えればとたんに全てを閉ざしてしまう。私たちに開かれているのは、ただ家族であるからに他ならない。この尊い絆を犠牲にしてまで知るべきことでも、知りたいことでもないと溜息をついた。

 それに、本当に知りたいことは別にある。彼が「是」を示した瞬間に、そして別離の理由を知りさらに強くなった懸念。

「斉くん」

「はい」

「貴方は本当に、千里のことが好きなの?」

 意味が解らないという表情をしながらも、斉くんは「はい」と即答する。

「それは勘違いではない? 昔の恋人だからとか……それこそ罪悪感から、とか」

 これは娘にも問いたいことだ。昔の恋人を探すのはかまわない。けれど、昔恋人だったから再び恋人になるというのはおかしくはないだろうか。本当は好きでないかもしれないのに。

「きちんと考えてみて」

 真剣にそう言ったのに、何故だか斉くんは口角を緩めて安堵したように笑んだ。

「考える必要はありません。確かに、私は……俺はあいつが好きです。愛しています」

 即答過ぎた。

 信じられない。

 私の表情から不審を察したのか、彼は柔らかい笑みを浮かべながら続けた。

「さっき、あいつのいない六十年を生きたと言いましたね。私はあいつを喪ったあと、結婚もせず、仕事ばかりしていました。そしてある日友人に言われたんです」

『もういい加減次へ行けよ』

「余計なお世話だと思いました。けれど『お前のそれは罪悪感だ、一日だけでもいいから自分を許してみろ』とあんまりしつこく食い下がるので」

「……許したの?」

 首肯しながら、「でも」と。

「すぐに後悔しました。罪悪感はただの蓋だったのだと、思い知りました」

「蓋?」

 そこで彼は、悪戯を企んだ少年のように笑った。

「許した瞬間、私はどうしたと思います?」

 火遊びがしたいという気持ちが溢れだした、なんてことはないだろう。それならこんなに真っ直ぐに私を見ることなんてできないはずだから。

「ん〜、すっきりして仕事放り出して遊んだ?」

 くすくすと、斉くんが首を横へと振る。そして少し照れたように、

「泣いたんです。それはもう酷い号泣でした。三十もとうに超えた男が、街中でわんわん泣いたんです」

「悲しみを抑えてたってこと?」

「いいえ」

 悲しさからの涙は、あいつを喪ってすぐに枯れるほど流しました。と、眉尻を少しだけ下げる。

「じゃあ、どうして? 会いたくて?」

「私が泣いたのは……あまりにも好きすぎたから。ずっと罪悪感で蓋をしていた、<愛してる>という気持ちが溢れだして、溢れすぎて、持て余して、泣いてしまったんです。自分はこんなにもあいつを愛してたのかと、呆れてしまうくらい」

 肩を竦めた斉くんは、はあっ、とどこか嬉しそうに溜息をついた。

「だから、この気持ちが罪悪感でないことは確かだと言えます」

 行き場のない想いを強く抑えつけていた罪悪感という蓋の形を、彼は覚えているのだろう。そこにぴたりと当てはまらないのだからと、否を言いきった彼の瞳に迷いはなく、私の懸念は一つかき消える。けれど同時に、まるで天秤のように、もう一つの懸念が鎌首を擡げた。

 罪悪感で抑え込んでおかなければ溢れだしてしまうほどにかつての恋人を強く愛していたというのならば、娘は<代理>にされているのではないのか。過去のテンプレートに押し付けるような、そんな愛し方をしているのではないか。それならば、私は二人を祝福できない。

「貴方が好きなのは……本当に、<千里>なの?」

 彼が好きなのは、私の娘――新里千里か。それとも――、
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