僕はオトコに生まれたかった。番外編

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 さて、と居住まいを正して少女に向き直る。少女の視線は寸分の狂いなく、俺の目――瞳の奥を見極めるようにこちらを見つめていて、同じく視線を返したもののそこにちらつく怒りに気が付き、思わず目を逸らした。

「僕は」

 少女の静かな声は、騒音の中でもしっかりと届く。

「君を赦せないけれど、程度というものを弁えてはいるよ。もちろん、ソレを免罪符にするつもりならこの中身をぶちまけるくらいはしてやった」

 この中身、と少女が小さくキャラメルミルクティーの入ったカップを揺すった。俺はどうやら、ソレとやらのおかげでびしょ濡れを免れたらしい。けれど、免罪符になるという<ソレ>がいったいなんのことかわからない。

 怪訝に首を傾げる。

 しかし、少女は答えない。

「僕とアイツが出会う前のことだ。僕が口を出すことではないかもしれない。けれどね、アイツは嫌になるほど優しいだろう?」

 意識するでもなく、頷いていた。

「大和は最後まで、俺を責めなかった」

 どうでもいい、と。

 自分も被害者面ができないのだ、と。

「その点を優しいというかについては同意しかねるけれど……もしも君が<ソレ>をアイツに告げていたなら、アイツは間違いなく礼の言葉を口にした。そうしたなら、僕は決して君にチャイ(それ)を持ってきたりしなかったし、きっとアイツの腕を引っ張って席を立っていただろう。どんなに遺恨を残したとしてもだ」

 そこまで強い感情を引き出してしまうような切っ掛けになり得る<ソレ>とは、もしかして。

 彼が知ることも気がつくこともなかったから、少女がわかるはずもないと思っていたのに。

「……気づいたんだね」

 俺が彼に余計な言葉を告げ、逃げられなくした人間であることに。

「君は『あのときどれだけ誤魔化されても嫌だと言われても理由を聞き出せばよかった』と言ったからね。それは、一度なりとも誤魔化された経験がある人間の台詞だ。君がそのことに、一度は聞いてやったんだから自分に非はない、と胡坐をかくこともなく、後悔の念を抱いていたからこそ僕はアイツを引き留めて、アイツの言葉で気持ちを吐き出させた」

 自分でも忘れてしまった台詞から、そこまで察せられるとは思いもしなかった。

 俺は少女の真っ直ぐな瞳から逃れるように、カップを手に取り口をつける。喉を通り過ぎた独特の香りが、どこか心を落ち着かせた。

「たったそれだけのことで、そんなチャンスをもらえていたなんて思いもしなかったよ」

 呟いて、ああそうか、と納得する。

 少女は知らないのだ。彼女がどれほど卑劣なのか。彼がどれほど憔悴していたのか。周囲から、どんな目に遭わされていたのか。だからこそ、たったそれだけの行為でチャンスがもらえた。目の前の人間の、犯した罪の重さを知らないから。

「大体、理由を問われて誤魔化すという選択をしたのはアイツだからね。君にばかり非があるわけじゃ――」

「君はわかってない!」

 思わず声を荒げていた。

 まるで「気にするな」とでも言われているような錯覚に、いたたまれなくなって。心無いお遊びで彼を傷つけた事実が消えるわけでもないのに、「お前は悪くない」と言われているようで。

 俺は、赦されたかった。けれど、慰められたいわけじゃない。

「君はわかってない。あのころの大和は、見てられなかったんだ。本当にひどかった。岬の……岬の取り巻きたちの異常なくらい一方的な非難も、岬の怖さも……」

 階段から落ちたという理由なら、「馬鹿だな」なんて笑っていられた。けれど「落とされた」なんて聞いてしまったら、他人事だとしても笑えない。

 その恐怖も、異常さも、伝聞でしか知らない少女に、

「知ったかぶって慰められたくなんかない!」

 テーブルの上で震える両拳を見つめる。

 大人げない自覚はあるが、それでも取り繕うような真似はできなかった。

 逆上されてもかまわない。こればかりは、譲れない。

 しかし少女は、憤るでもなく、不快に眉を顰めるでもなく、淡々と、けれどどこか剣呑に、

「……僕は、あのオンナに首を絞められて殺されかけたのだけれど、それ以上のことをされた人間がいるの?」

 いるのならば、教えてほしい。と、真顔で問うてくる少女の言葉に、声を喪う。

 今、少女はなんと言ったのか。

 殺されかけた、と言わなかっただろうか。

 そうだ、彼が言っていたではないか。

『あいつは変わってなかったよ』

 そうして強張った表情が、未だ彼女が彼を諦めていなかった事実を物語る。そんな彼女が、彼が好意を抱く少女になにもしないわけがないのだ。どうして気がつかなかった。二人が再会してしまえば<終わったこと>ではなくなるのに。

 彼女の異常さを少女が身をもって知ってしまったのは、間違いなく俺たちのせいだ。知らぬところで一人の人間の命を奪ってしまっていたかもしれないのだと思うと、背筋に冷たい汗が流れた。
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