僕はオトコに生まれたかった。番外編
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「ごめんな。ごめん」
ごめん、ごめん、と繰り返す俺に、「なにがだよ」「泣くなよ」と苦笑を含んだ声で彼が言う。
理由なんて言えやしない。彼が「嬉しい」と言ってくれた言葉を言ったのは自分だ、と名乗りをあげるなんて辱の上塗りをするだけで、なんの救いにもなりはしないのだから。彼を助けたいと思っていたのに、助けられていたのは自分だったというだけでも、情けなくて仕方がないのに。
「今更お前が謝ることなんてなにもねぇよ。どうでもいいって言っただろ? それに俺は一度見捨てようとしたんだし、もう全部……終わったことだ」
そう、全て終わってしまった。
彼を救うこともできず、絶望の中に放り出してそのまま、終わってしまった。なにかが変わることもなく、彼の大学時代は暗い闇を纏ったまま緒を固く結ばれてしまったのだ。
俺が誰だか名乗ったときのあの表情を見ればわかる。俺たちは彼にとって、恐怖の塊以外のなにものでもないのだと。話しかけるべきではなかった、と今更悔やんでももう遅い。
彼に対しては、後悔ばかりしている気がする。
こんな状況なのに少しだけおかしくて、洟をすすると同時に笑みを浮かべた。彼からは見えなかったのか、それについて特に言及することもなく、困ったように俺を見ている。
ふと、隣に少女の姿がないことに気がついた。
「お、おい……彼女は?」
何故だかこちらが動揺して彼に問いかけると、彼は「さあ?」と肩を竦めるだけで視線ですら探そうともしない。
「さあ、って……もしかして俺、怒らせて」
くだらない――俺にとってはそうではないが、第三者である少女にとっては大層面白くないものだったろう――話をぐだぐだと喋ってデートを台無しにした男に対して、そしてそれを受け入れている彼に対して、怒って帰ってしまったのではないだろうか。
重ね重ね悪いことをしてしまった、と唇を噛んで俯けば、彼が苦笑する。
「お前、ちょっと気にし過ぎだ。例えあいつが怒って帰ったんだとしても、俺がお前の話を聞くっつー選択をしたんだから、お前のせいじゃねえだろ」
その言葉に、何故だか安堵した。否、懸念だろうか。そろりと視線を上げ彼と目を合わせると、彼は器用に片眉だけを上げて「どうした?」と首を傾げる。
その表情には、少しの怯えもない。
少しの、恐怖もない。
「彼女は、大丈夫なんだな」
「は?」
「……彼女を、優先しなくても、お前は……」
なにひとつ、怯えるようなことは、されないのか。
無理は、していないのか。
彼女のときのように。
言外に告げると、彼は解けるような笑みを浮かべた。それは、入学してからの些細な<トモダチ>期間でさえ見ることのなかった笑顔。
大丈夫。
幸せだ。
言葉よりも如実に語るその顔に、ホッと胸を撫で下ろす。
彼がコイビトというものに壁を作って過ごすようなことがなくて、よかった。
名残りのように、ずび、と鼻を鳴らす。垂れる洟を拭うために備え付けのナプキンに手を伸ばしたとき、目の前にカップがことりと置かれた。香りから察するに、中身はチャイだろう。
「え?」
まるで自分に飲めと言わんばかりに置かれたそれを俺は頼んだ覚えがないし、そもそもここはセルフサービスだ。よほどでない限り、店員が直接持ってくることはない。
不可解に眉を寄せて、カップを置いた人物を見上げると、
「どうぞ」
「あ……」
そこにいたのは、少女だった。
にこりともしない少女はそれだけを言って、席に着く。少女の前には少しも減った様子のないキャラメルミルクティー。どうやら少女は気分を害して帰ったわけではなく、追加注文をしに行っていたらしい。
けれど。
「あの、これ……」
「あぁ、シナモンは苦手だったかな?」
「いや、大丈夫だけど」
そういうことを言いたいのでないのはわかるだろうに、それでも素知らぬふりでミルクティーを吸う少女に困惑して、説明を求めるように彼を見る。
「あったかいの飲んだら落ち着けるだろ」
とんとん、と目元を指で叩く所作に、泣いた自分への気遣いだと気が付く。
いい人なのだ。少女は、とても。<彼女>とは違い、他人への気遣いができる人。
俺は、君の恋人をどうしようもなく傷つけた人間だというのに。
あの環境に縛り付けた人間だというのに。
そんなことなど露ほども知らない少女の優しさをとても受け取ることができず、いたたまれなくなって、また涙がこぼれ落ちた。