僕はオトコに生まれたかった。番外編

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 見渡すと、なるほどコーヒーショップは満員で、空いている席を見つけるには難しい。こんな状態の店にコーヒー一杯で居座る俺には、嫌だ、と断る理由もなければ度胸もなく、二つ返事で了承した。

 相手はなかなかの美少女で、肩までのショートを右側だけ耳にかけている。洒落っ気の低いブラウスとスキニーパンツという出で立ちであったが、物足りないという印象は抱かなかった。

 トレイを持っていないところをみると、連れがいるのかもしれない。しかし俺の斜め前に座った少女は、レジカウンターのある場所を見ることもなく、かといって若者らしくスマートフォンをいじるということもなく、目を瞑って頬杖をついているだけだ。ただ休憩しに来ただけなのでは、と怪訝に思っていると、目の前に――正確には少女の背後に影が差した。

「相席の許可はとったのか?」

 逸る心臓とは対照的に、冷たくなっていく手足。

 その声には、聞き覚えがあった。今しがた、脳内を占拠していた人物の声だ。なんという偶然だろう。 

 恐る恐る見上げれば、確かに学生時代を僅かに友人として過ごした男の姿があった。その顔は、最後に見たときとは違いほどよい肉付きで、相変わらず憎らしいほど整っている。

「いくら僕だって、許可なく勝手に相席するほど非常識ではないつもりだよ」

「有り得そうだから聞いたんだろうが。――隣、失礼します」

 彼は俺を覚えていないのかそう言うと、躊躇いなく隣に腰を下ろした。会釈だけを返して、果たしてこの状況を如何したものかと考える。

 斜め前に座る少女は、恐らく恋人であろう。妹がいると聞いたことはないし、教職の道へ進んでいたとしても女生徒と二人きりでコーヒーショップにくるということはあるまい。どうやら彼は新しい環境で、再び恋人を得ることができたようだ。けれど少女が<彼女>と同種ではないと、どうして言えよう。また彼が、苦しい思いをしているならば今度こそ助けてやりたい。

 傲慢で高慢な思いを胸に、中身が半分になったコーヒーのストローをいじりながら、隣の会話に耳を傾けた。

「何買ってきたの?」

「ほうじ茶ラテとカフェモカ」

 両方のメニューを口にしたということは、彼が少女の分の注文品も決めたのだろう。少女の好みを熟知しているからこそなのか、ただ注文を丸投げするタイプなだけか。

「お前先モカ飲めよ。ある程度氷が解けたらチェンジな」

「濃いのが苦手なくせによく頼んだもんだよ」

「別に濃いのがダメなわけじゃねぇよ。けど、飲んでダメそうなら飲んでくれ」

「君の冒険に付き合う僕の心の広さに感謝しなよ」

 溜息を吐きながらも上がる口角に、少女の心が見える。決して、誰かと半分になどしなかった彼とのあまりに自然なやり取りに、彼の中で少女が確かに特別な存在なのだと理解できた。

 隣り合って座っているから、彼の表情が見えないことが残念でならない。記憶の中の彼に、笑顔を取り戻してほしいと強く思う。それがいかに自分勝手な願望であるかと知りながらも、不幸にしてしまった彼の、幸福を望みたい。

「このあいだ、残業帰りにたまたま見つけたんだけどな、お前が気に入りそうな雰囲気だなって思ったんだよ」

 どこか甘く優しいその声は、<彼女>宛てには終ぞきかなかったもの。

 ああ、本当に彼は目の前の少女のことが好きなのか。

 そして、本当に<彼女>を好いてはいなかったのだ。

「混んでなければ最高だったかもね」

 少女のそんな反応に、彼は呆れた声で、ほうじ茶ラテをストローで混ぜながら返す。

「確かに、この混雑はお前にはハードルが高すぎたかもな。さっき俺を待ってるとき、なにしてた?」

 待ってるとき――確か少女は、なにをするでもなく目を瞑っているだけだった。とりたてて隠すようなことではないのに黙り込んだ少女を見て、彼は苦笑しながら頬杖をつく。そのおかげで、視界の端に彼の口元だけが見えるようになった。

「言っとくが、お前が記憶に溺れても必ず連れ戻してやるからな」

「僕自身が放っておいてくれと言っても?」

「当然だろ」

 二人の会話はよくわからないものだったけれど、隣に感じる雰囲気は自然なもので、ああこういう奴だったな、と入学当初の彼を思い出す。それ故に、奪ったものの大きさに気づき、無意識にカップを握る手に力が入ってしまった。ぺきょ、という控えめな音は、周囲の騒音に溶けた。

 二人はその後もとりとめのない会話を続け、俺はいけないとは思いながらもそのすべてに耳を欹てていた。

 漏れる笑い声や、拗ねたような声、少女の頬に触れる手の動作。どこか甘さが混じっているものの、あの痛い笑みを見せる前と同じで懐かしい。

 そして、

 だから、

 俺は愚かにも、思ってしまう。

 許してくれるのではないか、と。

 あのころの罪を懺悔すれば、彼は優しく「気にするな」と返してくれるのではないか、と。

 あまりに愚か過ぎて反吐が出そうだけれど、卒業してから沈殿していた錘を浮上させられるかもしれない状況を前に、手を伸ばさずにいられるほど自制心は強くはない。

「――そろそろ出るか」

 まるでその声が合図であるかのように、俺は腰を浮かせた彼の手首をとった。
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