僕はオトコに生まれたかった。番外編

□君にRegretを、。
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 たったひとつ、今でも後悔していることがある。

 学生時代、遊び半分で人の恋路を勝手に作ってしまったことだ。

 彼に齎されたのは幸せとは程遠いものだったのだろう。日に日に悪くなっていく顔色、窶れていく姿が、何よりも饒舌に苦痛を訴えており、そんな彼を案じてか心配そうに寄り添った彼女の手を冷たく払いのける彼の後姿は、今にも瓦解しそうなほど張りつめていた。

 痴話喧嘩でもしたのだろう、そうでなければ恋愛にかまけすぎて疎かになった学業に四苦八苦しているのだ、と初めのころは笑っていた二人の友人も、いよいよ笑えなくなるほどになっていて。彼の態度や体調の変化に悩む彼女への、あんたが支えてあげるんだよ、という女性陣の言葉と、君がいればきっと元気になるよ、という友人未満の男の笑顔が、ひどく滑稽だと思うと同時に薄ら寒さを覚えた。あんたたちも励ましてあげなよ、と右わきを肘でついてくる女に軽蔑の視線を投げかけてしまったのは、同族嫌悪と言えるかもしれない。

 何故、彼女を励まさなければならないのか。励ますべきは、本人だろう。なんてことを口にしようものなら、非難轟々となるのは目に見えている。理由がわからない今、下手に刺激するのも得策ではないと、二人の友人と視線を交わし合った。

 こちらの不安とは裏腹に、彼は彼女と二人きりで行動することが多くなった。昼を誘えば二人で食べると断られ、遊びに行こうと言えば彼女と用がある、と背を向けられる。友人の一人がそのことに気分を害し、あれほど一緒にいたいと言うのだから彼が憔悴しているのは別の理由だろう、全部彼女に任せよう、と無視をするようになった。

 果たしてそれは正解だろうか。入学当初よく見た笑顔を、もう思い出せないほどに彼の笑みを見ていないというのに。思い出せるのは、曖昧な痛い笑み。最近はそれすらもなく、ただ無表情。女性陣は、そこがクールだなんだと騒いでいるが――確かに彼はクールの部類に入っていたけれど――あれをクールというのなら、自分の知っているクールだと思っていた知り合いや俳優への認識を改めなければならない。

 けれどだからといって、自分に何かできるかといえばなにもない。一度だけ本人に理由を訊ねみたが、久しく見なかった曖昧な痛い笑みを浮かべるばかりで何も教えてはくれず、俺は自分が<その>せいで彼の信用を失ってしまっているのだと気がついた。

 本人が口を閉ざしてしまえば、原因も、理由も、知る術がない。下手な行動をとれば事態を悪化させる危険性がある。現状を見慣れ過ぎてしまって、本当に彼女が原因かどうかもわからなくなっていた。そんなあやふやな憶測は、友人の意思強い指針に敵わず、気持ちは心配しながらも、彼に対してまるで腫れ物に触るような扱いをするようになっていった。

 いずれ、きっと、たぶん、と願い祈り続けながらとうとう迎えた卒業式の日、彼は姿を見せなかった。

 長い休み明けだ。きっと日にちを勘違いでもしているのだろう。と思いつつも気になって、窓から校門を見下ろし探していると、いつも一緒に登校している彼女の姿を別棟の前で見つけた。側に彼の姿はなく一人だ。

 さすがに今まで憤慨していた友人も心配になったらしく、彼に連絡をとろうとした。

 ――俺がなにかを間違えてしまっていたのだと確信したのは、このときだ。

 電話帳から呼び出した彼の番号に電話をかけると、流れたのはコール音ではなく「この電話番号は現在使われておりません」という無機質な女性の声。メールを送ってみるも宛先不明で帰ってくる。もしや連絡先を教えたくないほどに、自分たちは彼の中から除外されたのかと不安になっていると、はかま姿の彼女が教室内に現れた。その表情は曇っていて、どうしたのかと彼女の友人が声をかければ、彼と連絡がとれなくなった、と言う。自分たちだけではなかったのかと安堵しつつも、何故大事な彼女にまで教えてやらないのかと首を捻った。けれどもちろん、答えなどなく。不可解な思いを抱えながら、卒業式を終えた。

 彼のことがどうしても気になって、式のあとに二人の友人を引き連れて彼の自宅へと赴いた。インターホンを鳴らし、出てきたのは彼の母親だ。彼の母は、少し困ったような顔で、彼が昨夜引っ越してしまったこと、携帯電話を解約して別に新規契約したこと、誰でどんな関係の人間が訪ねてこようと決して連絡先を漏らさないでほしいこと、を約束させられたのだと教えてくれた。

 どうして、と友人の一人が小さく呟いたが、理由はわかり切っている。彼は、俺たちから逃げたかったのだ。正確には、彼女と、彼女との縁を続けさせようとする者たちから。彼と周囲はすでにわざわざ避けるべくもないほど距離があって、卒業すればいずれ連絡を取り合うこともなくなるはずだ。それだというのに、こんな、卒業式前日の夜に、まるで夜逃げのように姿を眩ますだなどと、主に誰から逃げようとしていたかは明白ではないか。

 そうして過ぎる。彼が彼女からずっと離れなかったのではなく、彼女が彼から離れなかったのではないかと。離れないことを、強いられていたのではないかと。

 そんな憶測が脳内に生まれた瞬間、俺は携帯を懐から取り出していた。まさかまさかとは思いつつ、目当ての人物へのボタンを連打する。今度はきちんと聞こえてきたコール音が途切れた瞬間、挨拶もなく要件から口にした。

 ――お前が骨折したのって、事故だよな?

 俺たちとはまた別の彼と仲の良かった友人が、ある日腕にギプスを巻いて登校してきた。どうしたんだよ、と笑いながら聞けば、彼と遊びに行った帰りに不注意で階段から落ちて折ったとのことだった。未だ彼がぎこちないなりに笑みを浮かべていた時期だ。それからではなかったか、彼が俺たちとの学外や学内での付き合いを断り始めたのは。

 ――そ、そうだけど。

 戸惑いながらも返ってきた肯定にホッとする。考え過ぎだったかと肩の力を抜いたがしかし、次の相手の一言で心臓が凍り付いたような錯覚に陥った。

 ――あ、そうそう、そう言えば、あのあと大和のヤツ、俺に謝ってきたんだぜ。悪かった、って。あいつと別れてから折ったのによ。

 独占欲。

 目の前に、そんな三文字が見えた。

 まさかそんな漫画みたいなことあるわけがない。そう思うのに、俺だけではなく残り二人の友人も同じ想像をしてしまっているのか顔色が悪い。

 依然彼の家の前で沈黙を作る俺たちのあいだに割って入ったのは、この数分で二度と聞きたくないと耳を塞ぎたくなってしまった声だった。

 揃って目を向ければやはり彼女で。ぞろぞろと友人たちを引き連れてやってくる様は、まるで囲い込み漁のようだと。恐ろしい、と純粋に感じた。

 こんなところでどうしたの、と首を傾げた彼女に、今しがた聞いたばかりの事実を口にすると、その眼に見る見るうちに涙を浮かべ、しまいには座り込んで嗚咽し始めた。いつかのように、周りが一生懸命に彼女を慰める。そう、慰めているのだ。何も言わず去って行った彼を酷いと罵り、元気を出して、と。そうさせたのはほかでもない彼女なのに。

 俺たちはそれを気味の悪い思いで見ていた。けれども逃げるほど追い詰められた理由の一端を担う俺たちには、一方的に彼女を責めることなどできない。あのときもしも彼を掴まえて、辛そうな理由を問い詰めていれば、彼は笑って卒業できたかもしれないと思うと、胸が痛くてたまらなかった。

 やりきれない思い。

 きっかけは、誰かの些細な一言だった。

 ――大和と岬ちゃんってお似合いじゃん! 付き合っちゃいなよ!

 仲間内でいつの間にか定番の文句になったそれは次第にエスカレートし、いつからか周りは彼女――岬を「彼女」と呼び、彼――大和を「彼氏」と呼ふようになった。そうして誰もかれもが二人をカップルだと認識しだし、段々と岬は彼女面をし始めた。常に大和の話題を口にしていた岬とは対照的に、大和が岬の話題に触れる場面は終ぞ見なかった。

 最初のころに一度だけ。たった一度だけ、大和は不愉快を言葉に出したことがある。好きでもない奴と付き合う気はない、やめてくれ、迷惑だ、と。そのときの空気は酷いものだった。涙目で小さく謝る岬を今のように周りが慰め、彼を批難する。ただの冗談じゃないか、どうしてそんな酷いことを言うんだ、空気を読め、と。根負けしたのはとうとう彼で、最後には、キツイ言い方をして悪かった、と苦笑を浮かべていた。

 ああ、そうだ。

 そうだったのか。

 俺たちが、彼の逃げ道を塞いだのか。

 彼の本心を投げ捨てたのか。

 彼の優しさを、盾にして。

 取り返しのつかない日々に、俺はひどく後悔した。できるならば謝りたい。けれどこれも、ただ自分に許されたいがためのけじめに過ぎないのだろう。

 大切な友人を傷つけたことを、俺は生涯悔いながら生きていかなければならないのだ。

 けれどもし叶うならば――。



「――失礼、相席してもよろしいですか?」


 たまの休み。気になっていた新作を呑もうとコーヒーショップに入り、店内の4人掛けの席に一人で座って思考の海に沈んでいた俺を浮上させたのは、年若い女性――少女の声だった。


 ――Continue to <2>.



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