例えばセカイが変わっても、

□例えばヒイキと非難されても、
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「俺はどう思われようがいいんだよ」

 どれほど憎まれているのだとしても。

 どれほど非難の目を向けられようとも。

 どれほど邪魔をされようとも。

 どうあろうと、俺の答えも気持ちも変わらないのだから。

 アルトは顔を上げて俺をじっと見ると、唇を小さく噛んで吐き捨てた。

「ムカつく」

「ああ?」

 思わず喧嘩腰で返してしまったが、「なんでもない」と首を振って俯いたそのようすがどこか苦しそうでこちらのほうが心配になる。素直に本心を吐露してほしいと望んでも、きっとこいつは口を噤むのだろう。

 その背を、俺は、ずっと、見ていたから、知っている。

「でもさ、やめたほうがいい。贔屓はよくないと思うから」

 顔は上げない。どんな気持ちでそんなことを言うのかヒントすらくれないのなら、俺もそれには答えない。

 じゃあ、やめる。

 でも、やめない。

 どちらの応えも返してなんてやらない。

「嫌なのか?」

「そういう問題じゃないんだよ」

「そういう問題なんだよ」

 お前が嫌なのか、嫌でないのか、たったそれだけの問題だ。誰にどう思われたって、俺の基準を決めるのはお前なのだから。

 けれどその前に、俺とアルトで決定的な齟齬があることを伝えておくべきだろう。

「だいたい、俺は贔屓しているつもりはないぜ」

 そう、そもそも俺は<贔屓>なんてものを端からしてはいないのだ。

 それをどう勘違いしたのか、アルトは眉を寄せて恐る恐る訊ねてきた。

「ほかの生徒にも同じことしてるの?」

 心外にもほどがある。

「んなわけねえだろ」

「え?」

「ほかの奴にも同じことしてたら、俺が財布持つ意味なくなる」

 これといった趣味はないといっても、減るものは減る。しかもつい最近引越ししたばかりなのに。それを加味して懐具合をお察しいただきたいものだ。

「じゃあやっぱりそれは贔屓ってんじゃないの?」

「違う。贔屓じゃない」

「だったらなに」

「言えない」

 言えるわけがない。

 俺のコレは「一人の生徒に対しての特別扱い」なんてものではなく、この世でたった一人の親友との交流方法であり、誰よりも愛しい想い人へ捧げる求愛行動だ――なんて、今のアルトに、言えるわけがない。

「ば、馬鹿にしてるの?」

「ここからは俺のプライバシーに関わるからな」

 NO! と手を前に押し出せば、アルトは呆れたように肩を竦めた。

「もういいよ、僕は行く。じゃあね」

「おい」

 俺の隣を通り過ぎようとしていたアルトを、身体で壁を作り行く手を塞ぐ。どうやらまだ視界から消えられるのは不安なようだ。自分の心をどこか他人事のように分析しながら見下ろす。

「なに? まだなにかあるの?」

「いや、なにかあるのじゃねえだろ。授業は」

 もうすでに始業ベルは鳴っているので、この廊下には俺たち二人だけしかいない。そして教室はアルトの進行方向と真逆である。

「僕は用事があるんだ」

 さらっと嘘をつくアルトに、内心ひどく呆れた。勉強が嫌いな性分は、生まれ変わっても直らなかったらしい。

「用事って、さっきサボるとかなんとか言ってなかったか」

「言ってない」

「いや、言ってたろ」

「言ってない」

 頑なに、否、を貫き通す姿勢はいっそ称賛に値する。

 お互い視線で「言った」「言ってない」を交わし合うこと数秒、白旗をあげたのは俺だった。

「わかったよ。じゃあ、お前の用事に俺がつきあってやるよ」

 別に俺はアルトに授業を受けて欲しいわけではなくて、ただ教室、もしくは俺の眼の届くところにいてほしいだけだ。

 そんな俺の言葉が心底意外だったのだろう。アルトは両眉を跳ね上げたまま絶句した。教師の言葉ではない、とでも思っているのかもしれない。

 俺自身、自分の発言が教師失格だということは自覚してはいるが、それはそれ、これはこれ。そもそもアルトを生徒だと思っていない時点で、教師として、なんて自戒は無意味に等しい。

「おい?」

 いい加減立ち直ってほしくて――口にすると「誰のせいだ!」と怒鳴られそうなので言わないが――声をかけると、ようやくアルトは跳ね上げた眉を定位置に戻した。

「じゃあ、図書館に本を借りに行こうと思う」

「サボりじゃねえか」

「引率がいるんだから、立派な授業だろう?」

 そうしてふわりと笑った。

 アルトが、微笑った。

 あまりの不意打ちに喉の奥が引きつる。今ここで、こんな笑顔を見られるとは思わなかった。先程までの恐怖を吹き飛ばすほどの衝撃を齎す笑顔に、抱きしめたいと手を上げかけてそして――、

「あー! せんせー!」

「ん?」

 飛んできた声にさっと消えた笑顔が、俺を我に返らせた。

 廊下の向こう。教室のほうから誰かがやってくる。その姿を認めると同時に、後悔。角から出るのではなかった。

 授業中にも拘わらず足音をたててやってきたのは、

「なんだ、粟木か」

 いつだって、この想いはうまく届かない。


 ――to be continued...
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