例えばセカイが変わっても、
□例えばセイトと知られても、
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「女性は苦手だと、仰ったじゃないですか」
「はい」
対面している愛沢原先生ですら、女性であるというだけで苦手な対象となっている。気のいい同僚、良い人とはわかっているが、いかんせん根付いたトラウマは容易く消えない。
「だったらどうして……新里さんも女性ですよ」
「承知しています」
ばしり、と机が鳴った。愛沢原先生の両手が、勢いよく振り下ろされたのだ。
「どうして! どうしてよりにもよって生徒なんですか! 貴方、教師でしょう!」
怒りというよりは困惑が強いその激情。
見つめられるままに、流す。
「あいつが生徒であるということは、よくよく承知しています」
下手をすれば教育委員会に騒ぎ立てられ解雇が待っている、まるで賢いとは言えない相手。だからといって、手放す理由になるだろうか。
せっかく見つけてもらえたのに。
せっかく思い出せたのに。
せっかく捕まえられそうなのに。
「でも愛沢原先生、俺が教師であることにも気づいていただけていますか」
ぎゅ、と愛沢原先生の眉根が寄る。当然だ、馬鹿にしているのか、そんな表情だ。まったく普段の彼女らしくない、小さな陰を落とした表情。俺の心は、痛みもしない。
「教師であるからこの地で出
遭い、教師であるから教室で知り合い、教師であるからほかの人間より近くにいられるし、話しかけても不審がられることはない。俺が教師であるから、あいつと再会できた」
思い出せた、何より忘れてはいけなかった相手。
俺が教師でなければ、きっともっと時間がかかった。そのあいだずっと、アルトはずっと、ひたすら追いつめられるように
ライリの手掛かりを探して読書を続けていたに違いない。あいつが外国語を<読む>ことしかできないのは、洋書ないし英字新聞の中にライリを探していたからだ。辞書なく読むことができるようになるほど、膨大な量の活字を読み、探してくれていたのだ。そんなあいつが初めて世界地図を見たときの衝撃は、いかほどだっただろう。
それなのに、すっかり忘れて二十六年のうのうと生きてきた俺が、どうして教師であるからと怖気づけるのか。
「ですから、生徒だからと手を放すつもりはありません」
「先生……ッ!」
まるで懇願するように呼びかけられようと、俺の表情は少しも動かない。揺れない。
「愛沢原先生は……」
ぴくり。ポニーテールが僅かに揺れる。
「まるで生徒の中から新里千里を見つけたように仰いましたが」
思わず苦笑が漏れた。<見つけた>とはどの口が言うのか。
「見つけた新里千里が、生徒だったんですよ」
それでも微笑みを浮かべ、愛沢原先生を見る。彼女は俺をまじまじと見てから、盛大に溜息を吐きだした。そこに混じっているのは紛れもなく、呆れだ。
「恋愛ドラマの観すぎでは?」
「ドラマも映画も小説も、恋愛ものは苦手です」
「だったら……いえ、もういいです。せめて卒業まで待ったらどうですなんて言っても、貴方は承諾しないのでしょうね」
「もちろん」
「即答するの、やめてもらえません?」
疲労困憊。少ししか会話していないのに、愛沢原先生の表情にはその四文字が張り付いていた。話した量は俺の方が多いのに。
「この件は、あたしの胸に納めておきます。もしもの時があってもお助けしませんのでそのつもりで」
「なにかあったら頼れと仰ったのは愛沢原先生ですが」
「あら、頼ってくださる予定でした?」
「いいえ」
「だから即答はおやめに……もういいです」
愛沢原先生の顔面の文字が、一文字増えた。<超>疲労困憊。何故だ。
「そうですね、それでは冗談はこの辺にして」
「冗談……」
「愛沢原先生の言う<もしもの時>がきたとしても、庇ってもらわなくて結構ですよ。あいつを失ってまでこの職に縋りたいとも思いませんし、今のところ、俺の片想い――いや、両片想いって言うのか? ――そんな感じなので、リスクも低いでしょう」
だいたい、俺は未だ告白すらもできていない。告白以前に、距離を詰めることが目下の目標だというのに、今からバレたときのことを考えるだなんて気が早い。
「ですので、愛沢原先生はご心配なさらず」
エンドマークを打つ代わりに笑顔を見せる。
愛沢原先生はそんな俺の顔をまじまじと――今度は得体のしれないものを見るような視線で――見ると、理解ができないと言わんばかりの顔で首を傾げた。
「大和先生がひとつの恋愛にそこまでのめり込む人だとは思いませんでした」
愛沢原先生の中の俺がどんな人間なのか知らないが、少なくとも恋愛面によい印象はなさそうだ。そして恐らく、今もまだ俺の想いを<一時の感情>だと思っている。
だから。
心の中で、顔も覚えていない過去の彼女たちに詫びながら告げた。
「恋愛って、そもそも
唯一しかないでしょう」
「ごちそうさまでした」
愛沢原先生の顔面の文字が、六文字に増えていた。
――to be continued...