例えばセカイが変わっても、

□例えばセイトと知られても、
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 職員会議は、夏休みに入ってすぐに行われる一年生の勉強合宿についての内容が主だった。勉強合宿中の部活顧問代理の人選、勉強合宿の各教科学習範囲、時間割、そして勉強ばかりでは生徒たちのやる気が出ないだろうということで、最終日に予定している遊戯行事の内容などについての話し合いだ。

 会議の結果、遊戯行事は肝試しに決まり、必要な小道具の用意はこの学校で一番新入りである俺の役目になった。さらに、一年生の担任教師――俺、愛沢原先生、西城先生、梅川(うめかわ)先生――と保健医の城ケ崎先生で土日を使って勉強合宿に使われる場所へと下見に行かなければならない。以前の学校とは違いこの学校はきちんと代休をとらせてくれるらしいので土日が潰れることに文句はないが、小道具の用意は一人では些か荷が重くはないだろうか。肝試しの内容は、三人一組でとある地点までお札――代わりの木の板――を持って行き、設置されている別の板に釘で打ちつけて引き返してくる、という単純なものではあるが、そのお札代わりにする木の板などを自分で作るとなると話は別だ。材木をホームセンターで購入し、ノコギリで切り落とした板にペンキで『おふだ』とそれっぽく書いたものを予備含めて五〇枚、それに加えてそのお札を打ちつけるための<それっぽい>板を二台――枚、はなく、台、だ――休日返上で作れというのだ。それを言い渡されたとき、教頭の秘密をその場で暴露してやろうかと思ったが、代休をくれるという一言で思いとどまった。俺の視線に己の秘密がバレているのだと察したのかもしれない。このときばかりは、前世(ムカシ)の父親に感謝した。

 諸々のスケジュールなどの打ち合わせを経て、会議は終了。会議室を出た俺は、理科準備室には戻らずに生徒指導室に足を向ける。愛沢原先生はどうやら一度職員室に寄るようで、こちらにちらりとも視線を寄越さずに生徒指導室とは逆方向へと走り去っていった。西城先生が追うようにして愛沢原先生のあとに続くが、こちらは厳しい一瞥を俺にくれる。今朝に引き続く嫉妬心だろう。このようすでは、今から生徒指導室で二人きりになると知れたら胸倉でも掴まれるのではなかろうか。勉強合宿の下見のときにはどうやることやら。

 会議のせいだけではない疲れを感じながら生徒指導室でこれから先の予定をスケジュール帳に纏めていると、しばらくしてコンコンと扉を叩く音が響いた。スライド式の在室札を<指導中>に変えておいたから、音の主は愛沢原先生に違いない。

 果たして、扉から顔を覗かせたのは愛沢原先生その人だった。

「お待たせしてごめんなさい」

 そっと扉を閉め、俺の対面の席に腰を落ち着けた愛沢原先生は、普段のきびきびとした行動からは想像できないほど視線を泳がせている。触れたい話題をいかに切り出そうかという迷いなのか、それともその話題に触れること自体を躊躇っているのか。どちらにせよ聴くべきことは同じなので、こちらから水を向けることにする。

「それで、お話とは?」

 ぴくりとピンク色が跳ねた。

「えっと……大和先生、一昨日何していらっしゃいました?」

 おずおずと切り出されたそれに、すべてを悟る。愛沢原先生は見ていたのだ。俺が一昨日、自分の担当クラスの生徒とでかけていたところを。

 跳ね、騒ぎ出す心音。

 脳裡を過ぎる、切っ先。

 それらを打ち消しながら、どこで見られたのか、と考えて、そもそも待ち合わせ場所が駅前であるという時点で見つからないほうが難しいのだと今更ながらに気がつく。加えて、ただ立っているだけでも目印にされることのある無駄に高い身長だ。見つかる確率は大きく上がる。

 勢い任せに口にしてしまったが故、その辺りに気を遣うことができなかった。これは完全に俺のミスである。

「それを聞いてどうされるんですか?」

 動揺に揺れる心の中で大きく溜息を吐きながら、それでも確定には至っていないと微かな希望を抱きつつ尋ねた。焦ることもなく問い返した俺に、誤魔化す意思がない――わけではないが、わかりやすく取り乱すことは己の優位を打ち捨てることに等しい――と見て取ったのか、愛沢原先生は先程までの態度とは一転強い光を宿した視線をこちらに向ける。

「あら、どうしてこんなことを聞かれたのか、心当たりがありますでしょう」

 疑問符すらない、確信。

「特定の生徒との個人的交流はぞっとしません。いくら新里さんが問題児と雖もです」

 しっかり相手までバレている。当然か。バレていないのであれば、ただ外出しただけで同僚に責められているというあまりに理不尽な状況に陥っていることになるのだから。

 はあ、と今度は外へと溜息を吐きだし、肘から上のハンズアップで肯定を示した。

「愛沢原先生に見られていたとは思いもしませんでしたよ」

「注目されたくなかったなら、あんな勢いで走るのはお勧めしません」

 確かに。あの人混みの中、全速力で走っている男など悪目立ちするに決まっている。寝坊などするのではなかった。ムカシからあいつと待ち合わせするときにだけ遅刻していたが、それがまさか魂にまで染みついてしまっていたとは。

「ご忠告ありがとうございます。以後気をつけます」

「気をつけるのではなく、おやめくださいと言ってるんだけど……」

 困ったように眉尻を下げる愛沢原先生は西城先生でなくとも見惚れるほど美しく、その美しさに首を縦に振ってしまう男が数多いことは想像に難くない。しかし残念ながら俺の心の琴線には微塵も触れないので、笑みだけを返す。

「大和先生」

「はい、なんでしょう」

 ちろりと見上げられたその顔には、今朝見た赤く染まった頬。<そういった感情>故ではないと知りつつも、悪寒は奔る。逃げるように視線を逸らしつつ、きっとこの場面を第三者が見れば容易く誤解は成されるなと頭の片隅で小さく笑う。

 愛沢原先生は、そのまま何度か彼女らしくなく唇を開閉させてから、意を決したように発した。

「大和先生は、新里さんのことがお好きなんですか?」

「はい」

 即答すぎたせいか、愛沢原先生の脳にはすぐに届かなかったらしい。「か?」を形作った唇のまま凍ったように動かない。このようすから見て、先程の赤い顔は「そんなことあるわけないのに、恋愛ドラマの見過ぎだわ」という恥じらいだったのかもしれない。まさか当たるとは思いもしなかったのだろう。

 彼女の脳内に<正解>が伝達されるまで目の前で手を振ることなどもせず自然解凍を待っていると、三十秒ほど経ってから再び唇だけが動いた。

「大和先生は、新里さんのことが……異性として、お好きなんですか?」

「はい」

 同じ意味の問いを、噛み砕いたように分解して重ねるのは、教師として理解し難いせいかそれとも同僚として信じたくないせいなのか。どちらにせよ、俺の答えは変わらない。

 愛沢原先生は、今度は凍らずにゆっくりと形のいい唇を閉じると、何かを見極めるように、じっと俺を見た。
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