例えばセカイが変わっても、

□例えばオンナを厭うても、
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「嫌いなんて言うな、女も男もいいところはいっぱいある。人間はそんなもんじゃねえ」

 俺は今、そう言うべきなのだろう。大人として、年上として、教師として。本心でもない薄っぺらな言葉を吐くべきなのだろう。けれど、それは本心を吐露してくれた相手へ返すべき(コトバ)として相応しくはないのではなかろうか。彼女に今必要なのは、中身のない柱ではなく、揺らぐ心を片時支える椅子なのではなかろうか。

「んなこと言われて、へー人間も悪くないなー、って思うか? 思わねえだろ」

 彼女は自分で気がついていないだろうが、口が半開きになっている。よほど驚いているらしいことに満足して、継ぐ。

「俺だったら絶対思えねえな。薄っぺらいこと言ってんじゃねえよ、って心の中で悪態ついて、表面上はニッコリ笑って考えを改めました、って風を装う」

 そうして、生きてきた。今までも、そしてこれからも。けれど、できれば、生徒くらいには――目の前の相手には特に、本心を伝えられたらいいと思う。

「結局そんなことを言う奴が正しいってなるのはなー、言われた奴が経験を通して考えを変えたときに、たった一言『だろー?』って言うからだよ。その一言で『ああ、こいつが言ってたことが正しかったんだ』って思っちまう。どんなにその改めた考えってヤツが間違ってたとしてもな」

 誰かにとって正しくとも、自分にとっては間違っていることだってある。自分にとっては正しくとも、事象になれば間違っていることだってある。数ある情報の中、考慮し、<正解>のタグを付けるのは結局自分であるのだから、他人ができることは<正解の可能性>のひとつを提示することだけだ。

「だから、お前はその考えを無理に改めよーとしなくていーんだよ。お前自身が『悪くないな』って思ったときに、『この考えが間違ってたな』って思えばいい。んで、ずーっとお前の考えがそのままだったら、『やっぱりこの考えが正しい』とお前の中だけで決めろ。それから先は知らねー」

 だからこその<個人>であるのだから。

 彼女はただパチリパチリと瞼を開閉しながら俺を見ていた。否定が出ないところをみると少なくとも納得はしてくれたのだと断じてもいいだろう。

「だいたいお前はな、俺が強要したところで考えを変えねーことくらいわかってんだよ」

「え……?」

 俺は溜息を吐いて、今まで触れていた彼女の手から自分の手を放した。だが、突き立てたフォークを支える細い指から力が抜けることはなく、

「お前、いつまで俺のチキンにフォーク刺してるつもりだ」

 言ってやれば、ようやく気がついたというように「あ」と声を漏らした彼女は、チキンを刺したまま、フォークを鉄板の上に置いた。そうしてどこか残念そうにチキンを見つめたあと、おもむろにナイフを手にして一口サイズに切り分け始める。よほど使い慣れているのか、音がしない。

「それそれ」

 頬杖をついてそのようすを見守りながら、チキンを――正確にはチキンを切るという行為を――指さした俺の声に、彼女は首を傾げた。これはまったくわかっていない顔だ。またしてもわざとらしく溜息を吐くと、む、と彼女の眉間が狭まる。

「お前さー、俺がこんだけ長々と話してやったのに、そのあいだずーっとフォーク刺したままだし、終わったら終わったで自分とこ移しやがって。普通、この空気ならチキンは俺の鉄板に置き去りにすべきだろうが!」

「な……っ!」

 しかも何事もなかったように食べ出すとは、いったいどれほど腹が減っていたのか。

「だって君が最初に僕のチキンを食べたんだろ!?」

 <取られた分を取り返しただけ>だと睨み付けてくるその目には、納得いかない、という感情がありありと映し出されている。そんな年上だとか教師だとか、他人だとか、それ故の配慮や遠慮など微塵も持ち合わせていないといった態度が――先程まで不安や動揺を抱えていたとは思えないほど頑なな態度が――おかしくて、我知らず口元が緩んだ。

「そういうところだよ」

『それでこそ』

 ふわり、と咲くコエ。

「お前はなー、取り返すって決めたら絶対取り返すまで諦めないだろーが。俺の授業も、サボるって決めたら意地でもサボりやがって」

『それでこそ』

 お前だ、と、嬉し気に。

「そこまで必死にサボろうとしてたら、今ここにいないよ」

 表情を少しも崩さず返されたが、普段は頑なに――チキンソテーを放さなかったように――意思を曲げない彼女がここにいるということは、つまりそれは本心故なのではないのか。意地を通しきれなかったほどの迷いを、彼女が抱えていたということではないのか。どんなに避けようとも、どうしても言葉を交わしたいと、一目会いたいと、離れたくないと思う心があるということでは。

 ならば、希望は有る。

 その隠しきれない本心を掴み、引っ張り、ありのままを曝け出すことができれば、彼女はきっと真正面から俺を愛してくれる。きっと、そう。そうであれば、いい。

『願うな。望むな。どんなことをしてでもコイツの心を暴き出せ』

 これまでの穏やかさが嘘のように、コエが険を帯びた。

 先程から知った風なことばかり響かせてくるが、このコエはどういった存在なのか。他人の思念ではないということはもうひとつ存在するコエとの差から明らかだが、ならばこれは潜在意識というやつか。しかし潜在意識にしては、<俺の知らないことを知っている>。

「でもさぁ」

 己の思考に耽りかけた俺を、彼女の声が引き戻した。

「君、僕にこのあいだ間違ってるって言ったよね?」

「あ?」

『――お前は間違ってる』

『――俺の愛し方だ』

 デートの約束をした日のことか。

「ああ」

「矛盾してない?」

「してない」

 間髪を容れずに答えれば、彼女は少し面食らったように目をパチリと瞬かせた。

「俺はそれだけは自信を持って言えるからな」

 彼女が求めているモノは、手を伸ばせば容易く手に入ると知っているから。<正解>への一番の近道が、彼女自身が俺に「手を伸ばせ(好きだ)」と叫ぶことであると知っているから、胸を張って「間違っている」と言える。

「まあ、君の持論は心の片隅にメモっとくよ」

 俺の真意になど気がつかず、彼女はそう言って話題を締めくくった。追及されたところで答えるつもりなどなかったが、さらりと流されて思考の外へ放り出されても困る。

「片隅じゃなくて、ど真ん中にでっかく書いとけ」

「ヤダよ」

 即答。

 頷くくらいはしてくれてもいいのに、とアイスコーヒーを飲みながらふてくされていた俺の耳に、小さく、届いたのは――、

「来てよかったよ……」

 ああ、

 こうして少しでも、

「だろー?」

 少しずつ、

 彼女の心に、

 彼女の心が、

「君が正しかったんじゃないからね! これは僕の結論だからね!」

 そう言って朗らかな笑みを向けてくる彼女を、どうかこれ以上――、

『どうかこれ以上――独りで、泣かせたくない』

 シンクロしたのは、誰かの望みか、俺の想いか。



 ――to be continued...
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