例えばセカイが変わっても、
□例えばオンナを厭うても、
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俺は、<俺>を信じすぎていた。だから信じ込んでいたのだ。彼女と会ったことなどありはしない、と。しかし、その自信をすべて取り去って事実だけを繋げていくと、彼女の不可解な言動の理由が見える答えがあった。――彼女は俺を、ずっと前から知っている。
もしも彼女が「女性が好きだった」と告げたならば、俺はこの確信を馬鹿な憶測にして放り投げていただろう。けれども彼女は女性を嫌いだとはっきり口にした。ならばウラギリモノとは紛れもなく男であり、その男が俺と細かなとこまで重なるとすれば答えは<似た他人がいる>などよりも、<俺が忘れている、もしくは知らない>のほうがしっくりくる。同性愛について聞かれた意図はわからないが、それもきっと俺の知らない何かしらに関係しているに違いない。
「綺麗に飾り立てれば――」
彼女の声に我に返った。目の前のチキンソテーには彼女が手にしたフォークが突き刺さったままで、思考の波に溺れていた時間がさして長くないことが知れる。
「なにもかもが手に入ると思ってる。女を武器にすれば、男が手に入ると思ってる」
彼女が愛する男が過去においても俺なのであれば、彼女が俺を知ったのは大学時代だろうか。あのころの記憶はほとんど朧げだが、たとえ大学四年のときに出合っていたとしても彼女はまだ小学生のはずだ。幼い彼女のトラウマになるほど関わったとしたならばさすがに覚えているだろうし、あのころの俺は人と言葉を交わすことすら稀だった。もしかして、アレが彼女に何かしたのか。
窺う俺の視線にも気づかず、彼女は手にしたフォークを睨み付けながら憎々し気に続ける。
「オトコと恋するためには、オンナでなければいけないという、ふざけた概念」
その手に、力がこもったのが分かった。
「アイツが」
俺が。
「結局、愛したのは、オンナなんだ」
違う、と言えたらどんなにいいだろう。今すぐ「お前を傷つけた男とは俺のことか」と問い訊ねて、誤解なのだと手を握ることができたら。抱きしめることができたなら。
そうすれば、いいのかもしれない。
そうすれば、愛してもらえる――とでもいうのか。
『――全てが怖い。愛に関する全てが怖い』
彼女は未だ癒えない傷から血を流し続けているというのに。それなのにどの口が都合よく、お前の勘違いだから愛してくれ、なんて言える。そしてきっと彼女のことだ、贖罪や罪悪感で俺がそんなことを言いだしたのだと思うに違いない。その分余計に意固地になって、俺との距離を縮めることを避けるだろう。学校にくることさえなくなる可能性だってある。
だから今はただ、彼女の悲鳴に似た恨み言を、こうして聞いているしかできない。
「悔しくて、悔しくて、悔しくて、絶望して、結局僕だけ置いていかれて」
カリ、とフォークの先と鉄板の擦れる音がした。
「置いていかれて、突き放されて、現実を見せつけられた。僕は僕であったから、君に出会えたし、愛した。僕が僕でなければ、それは僕じゃない。それなのに、オンナを望むのは、僕に対しても君に対しても失礼だ」
瞬間、彼女の言葉に、頭の中でちらついていた
女が消え去ったような感覚が襲う。
「だから、オンナが嫌いだ。八つ当たり、逆ギレ、なんとでも言えばいい。そもそも理由なんて探せばたくさん出てくるし……そして同時に、出てこない」
彼女のこの女性への嫌悪は、大多数に向けられている。否、全女性に向けられていると言っていい。自身が女性として産まれたことすら厭うているような物言い。何かが噛み合わない。何かが。
「今言ったことも全部こじつけの後付けかもしれない。結局僕は、自分でもなんでオンナが嫌いなのか、本当のところ分からない」
女嫌いの根本が嫉妬であるならばすべてに説明がつくのに、彼女が自身さえも含めているせいで辻褄が合わないのだ。
「
俺を奪われたから、
俺が好きだから、じゃないのか?」
自分が誰よりも勝ちたいから、愛されたいから、近づく女すべてを嫌うのではないのか。
「それもある、でも違う気もする。僕はオトコが好きなんじゃないよ、ただ単純にアイツがオトコだというだけだ。アイツがオンナなら、僕はきっとオンナが好きだったろうね」
ならば俺はいっそのこと、女に生まれたかったと思う。無差別に女性を嫌悪する彼女に唯一愛される女になれるなら、俺は女に生まれたかった。そうすればこんなにも遠回りをすることなどなかったかもしれないのに。そんな俺の内心など露とも知らず、彼女は続ける。
「オンナに対しての嫌悪感は、確かに僕の中にある。さっき言ったことも僕の中に潜んでいたものだったから本心に間違いないだろうけれど、それが軸なのかと聞かれたら首をひねらざるを得ない」
もどかしい。
彼女が
解らないことが、こんなにももどかしい。
彼女の嫌悪の対象を決定づけたのは俺の存在だと語るのに、その口ぶりは俺と出合う前から女性を嫌悪していたかのようだ。ならばそれはただの、
「生理的嫌悪ってやつかな?」
俺の存在など、関係のない。
「いつから女が嫌いだった?」
ずるい訊きかたで本心を探ろうとしたが、彼女が俺を見たその表情があまりに情けないものだったので、何も言葉が出なくなってしまった。
彼女は瞠目しながら喘ぐように唇を二度三度開閉し、次いで絞り出すように、
「僕は、オンナが嫌いだったんじゃ、ない」
『――――』
同時に、あのコエの呆れたような溜息が脳内に響く。
「僕が、嫌いだったのは――ヒトだ」
そうして唇を片方だけ吊り上げ、どこか諦めたように笑いながら呟いた。
「だから、あんなに絶望したのか」
『馬鹿野郎』
苦々し気に脳内に響いたコエは、まるで彼女のことを知りつくしているかのようで無性に苛立つ。彼女が好きなのは今も昔も俺なのに。
しかし今は嫉妬など捨ておくべきだろう。彼女自身予想し得なかったシンジツが、彼女にとって大きなものだということは目の前の常ならざるようすが語っている。俺がここで、あのコエのように知ったふうで何かを言ってやろうとも、彼女はそれを受け入れはしないだろう。言葉で飾った慰めで笑うほど、彼女の心は真っ直ぐではない。
「でも」
ぽつり、と落ちる。
「オンナのほうが、嫌いだ」
意思固く、そしてどこか拗ねたような声。納得はしつつも、不可解ではある、という感情が眉間のしわに表れて、いつもどこか固い雰囲気が年相応のそれになっている。彼女の壁が少し薄くなった証拠だ。
「それでいいんじゃねえの?」
「え?」
目を剥く彼女の、依然チキンソテーに突き刺したフォークを握りしめたままの手は、触れると鉄板からの熱気で熱を帯びていた。