例えばセカイが変わっても、
□例えばコウテイが反っても、
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「なんか、精神的にクるよね」
「ああ……、大分な」
お互い無言でチキンソテーにナイフを差し入れ、その半分を交換する。そのまま特に会話もなく――とにかくお互い空気を取り戻したかったのかもしれない――食事を進めていると、彼女が何かに気がついたような短い声を上げた。
「はい、これ。ガムシロとミルク」
アイスコーヒーにはまだストローを差し入れることもしていなかったから、鉄板を引き寄せるときにグラスをテーブルの端に追いやったまますっかり忘れていた。
「ああ、どーも」
差し出した掌の上に、彼女の拳の中から落とされたのはガムシロップ二つと、ミルクが――四つ。
俺は受け取った六つのカップをひとつひとつ空にしながら、四つ目のミルクを入れ終えたところでふと赴任初日の職員室でのことを思い出した。職員室で出されたコーヒーの中にスティックシュガーを二本、ミルクを二つ入れただけでも「意外ですね」と驚いていた轟先生。だというのに、ガムシロップはまだしもコーヒーが苦手なわけではない――それも自らアイスコーヒーを頼んでいる――俺が四つもミルクを入れることを誰が予想し得るだろうか。加えて彼女は俺が缶コーヒーを飲んでいるところを見ている。確かあれはカフェオレではなかったはずだ。俺はカフェオレだけは飲まないと決めているから。それなのに、目の前の彼女は迷うことなく、俺に尋ねることもなく両方を四つずつ持ってくるように頼んだ。まるで俺が四つ入れることを、知っていたかのように。
――違う。
瞬間、全身を駆け巡る<否定>。
――違う!
<否定>が、
『そうだ』
静かな<肯定>として反響した。
「お前、なんで入れねーのにミルク四つも頼んだよ?」
視界の端に映る彼女の手が止まる。その意味するところがこの不可解な<肯定>故なのであれば、俺はどうすればいい。どう動けばいい。ただひとつ判るのは、まだ
肯定を知られてはならないということだけ。平静を装うために、チキンソテーを口に放り込んだ。
「なんとなくだよ、なんとなく」
彼女の声に後ろめたさはない。
「ふーん?」
後ろめたさが、ない。
「お前、恋人とか作ったことねーの?」
「作らないよ」
チキンソテーを頬張る彼女はその応えの矛盾に気づいているのか、いないのか。
「好きな人は?」
「いた」
「それって……」
辻褄合わせに記憶を遡る。たった数時間前のやり取りが、鍵だった。
「それって……さ」
――お前、あのとき、この趣味のこと言ってたのか?
――違うよ。僕は正真正銘、性癖の話をしたんだ。
「女か?」
アイスコーヒーが飛んできた。彼女がむせて噴き出したのだ。ゲホゲホと咳き込むその姿が苦しそうで、隣に移動して背中をさすってやる。
「おいおい、どうした」
およそ女子らしからぬようすで咳き込む彼女は、なんとか声を出そうとしているがこのむせ方だとしばらくは無理だろう。俺は背中をさすりながら、彼女のフォークを手に取り彼女の鉄板から彼女のチキンソテーを口に放り込んだ。うん、美味い。
それから少しして、ようやく落ち着いたらしい彼女はアイスコーヒーを喉に流して俺を見た。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「だってお前、この前俺に同性愛がアリかナシか聞いただろ? てっきり俺は、お前がそういう恋愛してたから、聞いてきたんだと思ってさ」
よく言う。あのときは、自分の印象を悪くしないようにいっぱいいっぱいだったくせに。けれどそんな嘘を吐いてまで、俺には確認しなければならないことがあった。
「だから、オンナかオトコか聞いたわけ?」
答えは返さない。それを不自然に思われないように、チキンソテーを頬張る。
「余計なお世話だよ」
「んあー?」
「ちょ、僕のチキンソテー食べるのいい加減やめてくれない!? っていうか、自分の席に戻んなよ!」
答えが返らない。それは意図してなのか、そうではないのか。
席から押し出された俺は元の場所に腰を落ち着け、下手をすれば断ち切られてしまいそうな話題をさらに引っ張り出した。
「それそれ。あのあと<僕>って言ってたから、それもそういう理由かと思ったよ」
「ああ、なるほど」
女性が好きだったと、言ってほしい気持ち。
男性が好きだと、聴かせてほしい気持ち。
相反する心に、コエが言う。
『もう、わかっているだろう?』
彼女が、どう思っているか。
結果が、どんな怒りを伴うものなのか。
わかっている。わかってしまっている。けれどどうか決定打まで――、
「今後のために言っておくけど、僕はオンナが大っ嫌いなんだよ」
目の前に振り下ろされた彼女のフォークが、俺の心まで突き刺した気がした。
ようやくわかった。
わかってしまった。
――彼女を傷つけたウラギリモノは、俺だ。
――to be continued...