例えばセカイが変わっても、

□例えばワガママに握っても、
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 ガイドブックコーナーにずらりと並ぶ雑誌に、よくもまあこれだけ特集を組めるものだ、と感心しつつ一番に目を惹いたものを手に取った。ぱらぱらぱらと捲り、彼女が興味を示しそうな場所――しかし水族館やプールなどは除外しながら――を見繕っていく。空腹だからか、やはりレストランやサービスエリアなどのページが目につき、なんとか思考を切り離そうと左隣にいるはずの彼女に雑誌を傾けながら視線を投じた――が、

「あれ?」

 隣には、誰もいなかった。

 くるり、とその場で一回転してみるが反対側にも背後にもどこにも彼女はおらず、ざっと血液が落ちていく感覚が襲う。

『隣にいること、後ろを着いてきてくれることが当然ではないことは、ちゃんとわかっていただろう?』

 脳裡に響くその声にいつもの激しさはなく、まるで自嘲するかのごとく、自責の念を抱いているかのごとく、静かに脳内に染みこんでいく。

 当然だと、思っていた。

 疑いもしなかった。

 だから、振り返らなかった。

 絶対的にそこにいるものだと思っていたから。

 相手が傍にいなくても構わなかった<今まで>や、いなければいいと念じた<あの時>とは違う、共にあるのが自然だと言わんばかりの感覚。

『立ち止まるだけでいい。あいつが――<彼>が立ち止まるだけで、たったそれだけで砕け散る』

 それを知っていたはずだろう? と、語り掛けてくる声の主に返す言葉を持たない。

 そもそも<彼>とは誰だ?

『そんなことはどうでもいい』

 そう、そんなことはどうでもいい。

 問題は彼女だ。

 入店していない、ということはないだろう。とすると、別のコーナーにいるのかもしれない。

 ガイドブックを手に持ったまま、うろうろと本棚と本棚のあいだを確認していく。

 純文学コーナー――いない。

 哲学書コーナー――いない。

 参考書コーナー――いない。

 自己啓発本コーナー――いない。

 漫画コーナー――いた。

 彼女はひとり、棚の奥の方で何かを手に取ったまま動かない。後ろからそっと近づいて、溜息を吐きながらその何か――間違いなく漫画だろう――を平積み台に戻そうとする彼女の手元を覗き込んだ。ここまで近づいても気がつかなかったらしい彼女は、漫画の表紙に差した俺の陰を見てその手の動きを止める。そしてそのまま振り返ることなく、

「だからさ、忍者みたいに気配殺すの、やめてくれない?」

 お前が気づかないのが悪い、と心の中で唇を尖らせガイドブックを持っていたほうと反対側の手で、彼女の持っていた漫画を奪い取った。

「あ、ちょっと」

「なんだー?」

 焦ったようすはなく、ただ、思わず、と言った風に声を上げる彼女を無視し、自分の目の前に掲げる。彼女の興味を示すもの――絵でも、ストーリーでも、なんでもいい――を知りたかった。

 その漫画は何故だか女性の姿はなく、二人の男性がやけに密着した表紙だった。バディものだろうか、とひっくり返してあらすじを見るとそうではなく、どうやら同性同士の恋愛をテーマにしたものらしい。彼女に目を向けると、なんとも気まずそうな顔をしている。気分は、母親に年齢制限のかかった本を見つけられてしまった息子、といったところか。

「んな顔してんな。別にこんなん見てたからって、どうも思わねーよ。趣味なんて人それぞれだしな」

 苦笑しながらそう言えば、彼女は不満げに目を伏せた。

「君はナイって言ったじゃないか」

 ――同性愛、ってどう思う?

 出会った日、学校の屋上で投げかけられた問いに俺は確かに「ナイ」と返したが、それはただ単に彼女に奇異の眼で見られるのではないかと恐れたが故の答えだ。本心からのものではない。

「お前、あのとき、この趣味のこと言ってたのか?」

 だとしたら、俺はあのときの選択を失敗したことになる。手にしていた漫画を戻し、ガイドブックをぱらぱらと捲りながら問う俺に、しかし彼女は肩を竦めて首を横へと振った。

「違うよ。僕は正真正銘、性癖の話をしたんだ」

 受け取ったとおり、二次元の話ではなく、現実の話だったらしい。

「性癖……、って合ってんのそれ?」

「ニュアンスは伝わっただろ」

「まあ、伝わったけど……」

 で、あれば。俺は改めて『ナイなんて思っていない』と訂正すべきだろうか。けれど、訂正したところで変わるものがあると思えない。彼女が女である限り、<男同士>の恋愛に対する言葉で俺への行動や印象が変化することなどないだろう。

 そんなことを考えながらガイドブックのページを送っていると、『デートにお勧め! ロマンチックな夜景スポット!』というポップなフォントが目に留まった。ちょうどいいかと彼女に「ほら」とそのページを見せる。
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