例えばセカイが変わっても、

□例えばウラギリモノにこわれても、
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「困るだろう?」

 生まれた決意を心に刻みつけていると、唐突に彼女が口を開いた。思わず間の抜けた返事をしてしまい、それがおかしいのか彼女は少しだけ口角を上げた。

「生徒から急にこんなこと言われて」

 また、境界線を引かれた。

 そう思った。

 踏み越えてくれるな、と、それ以上踏み込むことは許さない、と、踏み込んだら最後だ、と。

「俺は今、そんなことを聞きたいんじゃねえぞ」

「具体的に」

「どうして俺を真正面から愛することができないってんだ?」

 お前がそうくるのなら、俺はその境界線を越えることなく、その手を取ってやる。思わず手を伸ばしたくなるような、そんな存在となってやろう。

 そんな思いと共に、問いかけた。

「知りたいの?」

「そこまで言ってやめるってのは、ないだろ」

「確かにそうだね」

 仕方ないな、といった風に肩を竦めて、彼女は語る。

「僕は一度裏切られた。それは僕が僕であったからなのか、ただその程度の愛だったのかは、本人に聞いてみないとわからないけれど」

「それと俺となんの関係が」

 あるのか、と言い切る前に彼女が噴出した。おかしそうに、「何を言っているんだ」と「当然だろう」というように、笑った。

 なにがそんなにおかしいのか。実際、俺とその<何者か>は関係がないはずだ。彼女が<愛すること>に、<愛されること>に消極的になっていたとしても、俺を見ることすら――<コイ>をすることすらできない理由にはならない。

 そんな気持ちが眉間に出ていたらしい。彼女が視線を俺の目の位置より上に止めて、

「しわを作りたいのは僕の方だよ、大和斉。そうだね、関係ないかもしれないね。君にとっては。でも僕にとっては一生をかけるほど大切で、愛してた。それほどなのに裏切られて正気の沙汰でいられる?」

 正気を失うくらい、かつて彼女が<何者か>を愛していたのかと思うと、胸が引き裂かれそうに痛んだ。

「ずっとずっと引きずって、醜いほどに執着して、未だ血を流し続けているのに、君を真正面から愛せると思う?」

「だからどうしてそれが俺に繋がる? お前がそうやって」

 心中で、唇を噛み。

「愛して、裏切ったのは別の男のことだろ? それなのに」

「また君に、愛されないかもしれない」

 俺の言葉を遮り、そしてまた己の何かを遮るように、彼女は紙コップに唇をつけた。

「また僕は、裏切られるかもしれない。いや、裏切られたというシンジツを突き付けられるかもしれない。全てが怖い。愛に関する全てが怖い」

 紙コップを見つめたまま顔を上げない彼女に、早々に境界線を踏み越えてしまいたい衝動が駆け巡る。けれどそれは、俺のためにも、そして彼女のためにもならない。必死で心を、抑えつけた。

「けど僕は君が好きだ。その気持ちは変わらないし、変えられない。だから僕は、君を避ける。逃げる。遠くから君を愛し続ける」

 俺の気持ちを少しも考えてはくれず、一方的に自己完結させるその言葉に歯噛みするしかない。何故遠くからである必要がある。近くで見ていてもいいはずだ。俺は拒否も拒絶もしないし、芽生えたこの気持ちを自覚することはしたくないけれど、彼女を愛したいと思っている。立場上、おいそれと伝えることはできないから、「裏切る」ことなどありはしない。それなのに、何故。お前はまた独りで――また?

『うんざりだったんだよ、こんな関係』

「だからどうか、僕を放っておいてくれ」

 ユニゾンする声と言葉。どちらが彼女かを判断しているあいだに、彼女は紙コップをゴミ箱に放り投げ立ち上がって背を向けていた。慌てて「おい」と呼びかける。

 足を止めこちらを振り返った彼女を、俺は睨むように見つめて言った。

「お前は間違ってる」
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