例えばセカイが変わっても、

□例えばアイに背いても、
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「だから、だからどうか」

 視線を地に落とした彼女が何かを逡巡している隙をついて、手を取った。もしも彼女の痛みや辛さが俺に対してのものならば、どうか、どうか独りで抱えないでくれという懇願を込めて。

「なに……?」

「とりあえず、座れ」

「僕、授業あるんだけど」

 どうせ出る気もないくせに、そんなことを言う。

「サボれ」

 教師の言葉ではないことに呆れたのか、彼女は溜息をつきつつも、言う通りに椅子に座った。繋いだ手が振り払われることがないことに安堵し、そしてまた胸が痛んだ。彼女は今、張り続けていた虚勢に、拒絶し続けてきた俺の手を振り払えないほど、疲弊しているのだ。

「お前は……」

 顔を上げる彼女の瞳に、俺が映る。

「お前はいったい、何をどうしたいんだ?」

「君を愛し、愛されたい」

 それは思わず、といった風にこぼれた言葉だった。彼女自身も驚いたように目を丸くし、唇を合わせるのを忘れている。

 今、こいつはなんと言った?

 もう一度聞かせてほしい、と乞おうとして、自分が息をしていないことに気がついた。よほど驚いたらしい、否、狂喜したのだ。彼女の心が、俺へと向いていたことに。彼女の痛みが、俺へのものだったことに。俺が痛めたことへの喜びではなく、癒せるのが俺だけだという特別に、歓喜したのだ。

「君は迷惑かもしれないね」

 俺が乞うより早く、彼女が我に返った。

「笑えるだろう? 愛し、愛される。こんな簡単なことを望んでいるのに、動けないなんて。粟木しずくのように、真正面からぶつかっていかないくせに、辛いなんてほざいている僕を、いっそ笑ってくれないか?」

「簡単なこと……? 愛し、愛される、ってのが簡単なことだってのか?」

 呟きは、掠れていた。

『だって、愛し合う私たちの邪魔をするんだもの。当然でしょ?』

 背筋を這う、<声>はキョウキ。

 ――当然?

 ――誰かを傷つけることを当然とする気持ちを、<愛>とは呼ばないだろう。

『貴方と目が合った。貴方に色目を使った酬いよ』

 色目なんて、感じなかったのに。それでも<愛すること>に目障りな人間は、排除するというのか。<愛されること>に目障りな人間は、排除されなければならないのか。そうしなければ、俺を<愛せない>のか。

 そんな人間を周りは「愛せ」と言う。そうして、愛さないことを批難する。石礫を投げるかのように俺を見つめ、彼女はこんなにお前を愛しているのに、酷い、酷い、と責め詰る。

 それでも愛すことなんて、俺には到底できなかった。それなのにお前はそれを、簡単なことだと宣う。

「そういう結果論を言ってるんじゃないよ。僕の場合、そういう次元の問題じゃない」

 俺を不思議そうに見ながらも、彼女は確固とした声を俺に放つ。

「じゃあどういう問題だってんだ?」

「君が言いたいのは、両想いなんて奇跡に近い確率でしか成り立たない、とかそんなとこだろう?」

 それは突き放すような声だったが、その言葉は、俺があの恐ろしい人間を愛せなかったのは当然であると心を優しく撫でられたかのように胸に響いた。

「愛してほしい、でも僕なのに? 愛したい、でも僕だから。僕は僕という存在のせいで、君を真正面から愛することはできないんだ」

 彼女は自嘲気味に笑い、俺の傍らのコーヒーメーカーから適当に置いておいた紙コップにコーヒーを注ぎ入れる。その一連の動きを見つめながら、「砂糖は入れたよな」と無意識に机の中からスティックシュガーを二本取り出し、手渡した。

 小さな礼と共にそれを受け取った彼女は、黒い液体に落とし入れると存外丁寧な手つきでかき混ぜた。小さなカップの中でくるくると回る蛍光灯の光を見ながら、ぼんやりと思う。

 この想いがコイならば、俺は彼女を突き放すべきだ。あんな強烈な想いを、彼女にぶつけてしまうかと思うと、恐ろしくてかなわない。

 けれど。

 そう、けれど。

 この想いがアイならば、俺は彼女の手を取りたい。

 愛。

 会。

 相。

 (あい)

 哀。

 (あい)

 (あい)

 あい。

 相手の心を受け入れて、初めて生まれることのできる想いが<愛>ならば。



 俺はお前を愛したい。



 ――to be continued...
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