例えばセカイが変わっても、
□例えばザツヨウが決まっても、
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抵抗する彼女の手を引っ張り、無理矢理理科室へ連れて向かった。
各々が自習しているはずの教室は、問題集に真剣に取り組んだ結果なのか、それとも初めから解く気などなかったのか、がやがやと騒がしい。静かに、と口で言うよりも簡単に済むという理由から音を立てるように乱暴に扉を開き、同時に手にしていた物体を放り込んだ。
周囲はもちろん、彼女本人も驚きで目を丸くしている。ぽろぽろと感情が零れ落ちていることに相手が気づく前に、攻める。
「さて、新里さん。今までサボっていた罰として、しばらく俺の……っと、授業の雑用をしてもらいます」
これで俺がいくら彼女を構い倒そうと、<理由>があるから不審に思われることはないはずだ。
『外堀から埋めていく方が色々と簡単だよね』
そう俺に語ったのは、誰だったろうか。
頭の片隅から囁く声に心の中だけで頷きを返し、ぽん、と彼女の両肩に手を置く。抗議するような眼光を無視して、さあ授業を始めるか、と思ったときだ。
「ちょっとぉ!」
という大きな声が上がった。それはもちろん、目の前の<雑用係>のもの――ではない。
声の主にちらりと視線を向けると、粟木が立ち上がってこちらを――正確には彼女を――睨んでいた。
「なんだ、粟木」
「雑用は、委員長である私の仕事ですー。新里さんだってサボりたくてサボってたわけじゃないと思うんですよー。だから、雑用押し付けるなんてカワイソー」
サボりたくてサボっていたわけじゃない、ということはこちらが納得するほどのやむを得ない理由があるということだな、申し開きでもしてみろよ。そう目の前の彼女を見下ろすが、彼女は粟木に背を向けたままで、俯いている。
もしや粟木の発言に傷つきでもしたのか。内心酷く慌てながら、彼女の顔を覗き込もうと腰を少し折る直前、小さな溜息が耳に届いた。
「こういうところが嫌なんだよ」
どうやら傷ついたわけではなく、嫌気が差していただけらしい。言葉を聞く限り、以前から粟木に対して何か思うところがあったのかもしれない。
まあ、落ち着け。
無言で二回、彼女の両肩を叩く。少しだけ力が抜けたように感じ、安堵しつつ粟木に視線をやった。
「仕事熱心なのもわかるけどなぁ、粟木。お前は委員長だろうが、俺の授業ばかり気にかけるわけにゃいかんだろう」
「大丈夫です! 私は委員長なんですよ! 仕事は全うしたいんです!」
他のクラスの生物も受け持っているが、そこまで熱心な委員長はいない。
「おー、さすが委員長!」
周りの声に胸を張る粟木。
「そーですよー、センセー。しずくは人一倍仕事熱心なんですよ」
粟木の友人である坂下だ。続くは、青海田。
「そうそう、この仕事にプライドすら持ってるんですよ」
「大体、新里さんは授業サボってたのに、お仕事ちゃんとできるとは思えないんですけど」
応援せんとばかりの周りの勢いに、俺は自分が失敗したことを知る。
粟木が俺に好意を抱いてくれていたのは、なんとなくわかっていた。けれどそれは、憧憬だとか尊敬だとか、そういう類だったと思う。それでもそれらは少しのきっかけで恋情に変わる――否、恋情と錯覚する気持ちであるから、俺は出来得る限り粟木とは慎重に接してきたつもりだった。いつぞや、粟木たちを「見ている」と言ったことがあるが、あえて粟木のことだけ表面的なことしか伝えなかったのは「自分を見ている」という事実が、好意というフィルターを通して見ることによって「自分だけを見ている」と湾曲されかねないからだ。しかしどうやら、無駄な努力であったらしい。
教師としての喜びと、男としての苦々しい気持ちを奥歯で噛み砕きながら、さてどうするかと考えていると、目の前の彼女が突然動揺を露わに「え」と声を漏らした。
「どうした?」
尋ねても、聞こえていないのか、彼女はふらふらと視線を上空へ漂わせ、応えない。
やがてその視線が、ぴたりと止まったかと思うと、叫んだ。
「四十…………四十!?」
突然の数字。
今この瞬間、なんら関係のない数字が理科室中に轟いて、喧々囂々と抗議していた粟木たちも、囃し立てていた周りも、揃って静止した。