例えばセカイが変わっても、

□例えばテキイを持たれても、
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 専用の理科準備室を与えられているが、赴任初日には引き継ぐことが山ほどあるため職員室へと戻った。轟先生はまるで待ち構えていたかのように、入室した俺を見ると悪戯小僧のような笑みを浮かべ手招きをした。

「新里、一筋縄ではいかない感じでしょう」

 どうやら俺が彼女を探していたのを知っているらしい。今はあまり彼女の話をしたくはないのだがそう言うわけにもいかず、お愛想程度に笑みを浮かべて轟先生の隣の席――職員室内の俺の席だ――に腰を下ろした。

「入学当初から、どこか周囲と違ってましてね。落ち着いているというか、落ち着き過ぎているというか……。有体に言えば、どこか浮いてる。時折、授業中に何かを読んでいたりするんですが、あまりにも思いつめたような顔をしていて声をかけづらいことも、声をかけられなかったことも多々ありました」

 「どうぞ」と、目の前に差し出された使い捨てのカップに入ったコーヒー。先ほど飲んだばかりだが、厚意を無下にするわけにもいかず受け取った。一口含むと、特有の苦みが口内に広がり我知らず眉根が寄る。それを見た轟先生が、「意外ですね」とスティックシュガーとミルクの入った籠を取って俺の前に置いてくれた。そこからスティックシュガーを二本、ミルクを二個失敬する。するとまた轟先生が「意外ですね」と繰り返した。本当は、ミルクはもう二つほど欲しかったのだが、さすがに取り過ぎだと自重したとは言えない。

「新里の姉さんもここの卒業生で、彼女は在学中問題児どころか優等生と呼んでもいいくらいの生徒だったようですが……出来のいい姉さんと比べられて息が詰まっていたのかもしれませんね」

 あいつが比べられて落ち込むような玉だろうか。むしろ、比べてくる輩を漏れなく鼻で笑い飛ばすような奴だ。――と、すると。

「思いつめる云々はともかく、浮いているのはもともとの性格が原因でしょう」

「へえ! 大和先生すごいですね。この一時間程度でそこまで見抜いたんですか!」

 轟先生の感嘆の声に、「そう言われれば」と内心首を傾げる。

 まるで彼女の性格を把握しているような気になっているが、あの屋上での会話と道端での会話だけで為人を判断できるほど易い人間ではないことは明確だ。だとすれば、この<理解>はいったいなんだ。

 空白であるはずの場所が、すでに埋まっていたような違和感。これから綴られていくはずのページに、すでに書き込まれたあとがある。そんな不可解な感覚に、脳のどこかが震えた気がした。

「前の学校に似たような生徒がいたんで」

 誤魔化すために嘘をつく。そうして余計なことを言わないようにコーヒーを口に含んだとき、頭上から耳に障ることのない高い声が降ってきた。

「あら! ダメですよ、大和先生! 生徒は誰かと一緒にされるのを一番嫌がるんですから!」

 顔を上げると、ジャージ姿の女性。勝気な瞳でこちらを見下ろし、頭の高い位置でくくった長いポニーテールを揺らしている。

「えー……っと」

 名前を思い出そうとしたけれど、脳内に彼女の名前はどこにもなかった。そういえば、遅刻したせいで自己紹介もろくにできずにいたのだ。ジャージを買いに行って着替えなければまだ余裕があり挨拶もできたろうが、ジャージを買いに行って着替えたのでそんな余裕もなかった。ホームルームが終わってからもあいつを探しに行っていたから、よく考えればこの学校の職員室でゆっくりと腰を落ち着けたのは初めてだ。初日から、大分とあいつに振り回されている。

「すみません、自己紹介がまだでしたね。本日から生物担当として赴任して参りました、大和斉です。よろしくお願いします」

 立ち上がって会釈をすれば、ジャージの女性は薄いピンクを刷いた唇を大きく開き、笑いながら、

「これはこれはご丁寧に……。すっかり知っているつもりでいたわ。早速生徒たちが、『イケメンの先生がきた!』って噂をしていたから。あ、あたしは体育の愛沢原(あいざわはら)。愛沢原かすみです。よろしく」

「大和先生、愛沢原先生は学校いちの美人で男子生徒に人気なんですよ! 女子にも<愛ちゃん>なんて呼ばれて慕われているんです! 羨ましいなぁ……」

 その「羨ましい」はどこにかかっているのか。

「できれば先生を付けてほしいんですけどね。大和先生、何かあったら頼ってくださいね。あたしにできることでしたらお力になりますので」

 にこりと笑う彼女に、礼と微笑みを返す。

 興味、好奇心、羨望、恋情。どれも愛沢原先生の表情にはちらつきもしない。その行為に一切の下心は見当たらず、ただの親切心だという事実が俺を酷く安堵させた。

 どうやらうまくやっていけそうだ。
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