例えばセカイが変わっても、

□例えばオモイが芽生えても、
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 ホームルームを終えてすぐに、俺は保健室へと向かった。

 轟先生の「サボりでしょうから自由の利かない保健室にはいませんよ」という言葉通り、新里は保健室のどこにもいなかった。

 保健医の城ケ崎(じょうがさき)先生に「新里千里はここに来ましたか?」と訊ねれば、屋上へ行くのを見かけた、と言うので迷わず向かうことにした。

 どうしてこんなに追いかけているのか、自分でもわからない。けれど追いかけなければ逃げられてしまう。掴まえておかないとどこかへ行ってしまう。そんな焦燥が、ひどく心にこびりついていた。

 屋上へと向かう途中、緊張感に乾いた喉を潤したくて自動販売機で缶コーヒーを買う。けれどその場で開けることはせず、ジャージのポケットに入れた。果たしてたどり着いた屋上への扉を薄く開くと、スカートの下からジャージの短パンが見えている生徒の後姿が見えた。

 新里千里だ。

 アイツ以外に、そんなおかしな格好している奴がいるはずがない。

 そっと近づくと、独り言でも呟いているのか声が聞こえてきた。

「――くらいまで生きてただろうな……でもまあ、持ってないもんは仕方ないし」

「何を?」

 問いかけた俺の声に驚いたように肩を跳ね上げ振り返ったのは、やはり新里千里だった。

「……なに?」

 警戒するような低い声と、眉間。

 俺はそこまでされるほどのことを何かしただろうか。

「なにってお前……」

 もしや自己紹介か。あれが原因か。

「保健室じゃなかったのかよ?」

 そう言うと、眉間のしわがさらに深くなった。しかし出口を気にする素振りはないので、逃げるつもりはないらしい。

 一先ずはそれに安堵し、缶コーヒーを取り出して新里の隣に座り込んだ。

「まあ? あれだけすごいキック繰り出したヤツが、体調不良なわけねーもんな」

 プルタブを引いて押し倒し、しかし飲むでもなく、ぽっかりと空いた穴を見つめる。

「……彼氏と間違えたか?」

 びくり、と隣に立つ体が震えた。

「正解っぽいな」

 そりゃそうだ。美人でオアシスなのだから、彼氏の一人や二人いたっておかしくない。

 軽く唇を噛む。

 別に新里に彼氏がいたって、俺には関係ない。

 お堅い時代でも進学校でもあるまいし、恋愛なんて個人の自由だ。俺が口をはさむことじゃないし、口をはさむようなことなんて何もない。

「何してんだよ」

 話を逸らすように、最初の問いかけに戻した。

 隣からは何も返ってこない。

「なあ」

 身動ぎ一つしない。

「なあ」

 何か言ってくれ。

「なあ」

 俺と会話をしてほしい。

「おい」

 今朝のような、声が聴きたい。

「おい、新里」

「呼ぶな……ッ!」

 返ってきたのは、拒絶。

 思わず振り仰ぎそうになる目を、懸命に缶コーヒーへと向ける。彼女の表情を見るのが、怖かった。

「俺が、嫌いか?」

 名前でもない苗字すら呼ばせたくないほど、嫌われてしまったのだろうか。

 問いかけても、やはり、返事はない。

「なあ……、なんで蹴った」

 せめて何か聞きたいと、内容も考えず口にした言葉だったが、意外にも返答があった。

「ナンパしてたから」

 してないと、言えばよかった。

 もしかして、それが原因なのか。

「彼氏と間違えて」

「彼氏なんかいない」

 即答に、肩の力が抜ける。

「正義感か」

「違う」

「じゃあなんだ?」

 そこで彼女の声は途切れた。そんなに答えにくい質問だったろうか。

 視線を空に投げて考えてみると、そう言えばその問いかけには「ナンパしてたから」という返答があったな、と気がつく。彼女は無駄な説明をしない主義らしい。それとも俺とはできる限り言葉を交わしたくないということだろうか。

「お前はナンパしてたら誰にでも蹴りを入れるのか?」

「そんなことしないよ」

「俺だから?」

「そうだね」

 ナンパしていただけでは蹴らないというのに飛んで勢いをつけてまで蹴ってきたということは、それが<俺>だとわかっていたからか。

「……お前は俺のことを知ってたのか?」

 もし知っていたのなら、その出会いに何かがあったのだろう。

 新里千里という名前にも彼女の容姿にもまったく心当たりがないが、間接的に彼女は俺のことを知っていたのかもしれない。そのときに嫌われてしまうような現場を見たとか。

 だったら何を見たか聞いて、なんであれ弁解してみよう。と、思った瞬間、

「ごめん」

「え……」

 突然降ってきた謝罪に、思わず顔を上げた。

 見上げた彼女の視線は、俺ではなく校庭に向けられている。

「不意打ちで蹴ったことは謝るよ」

 謝るのは不意打ち部分だけなのか。

 跳び蹴りに関しては謝らないと、謝りたくないと、そういうことか。しかも、これで会話を終了させる気だ。

「もう聞くなと?」

「プライバシー」

「そう言われちゃ、なんも言えねーけど」

 だがこれで会話を終わらせてなるものか。なんとかして、事務的な口調を崩してやりたい。

 どうしたものか、とコーヒーを口に含み考える。

「大和斉」

 ぶっ、と危うく口からコーヒーが出そうになった。

「フルかよ」

 まさか名前を覚えてもらえていたとは。たったそれだけなのに、嬉しくなる。しかし呼び捨てなのはまだわかるが、フルネームとはどういうことだ。貴方のことが嫌いです、という意思表示なのだろうか。
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