例えばセカイが変わっても、

□例えばスガタを追いかけても、
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 案の定遅刻してしまったが、俺の格好のせいか少し注意されただけで、あとは「ジャージ、買ってきなさい」と可哀想な人間を見る目で言われただけだった。

 初対面の人間に人違いで水溜りの中に蹴り倒された、と正直に話したのと、明らかに新調したばかりだとわかるスーツだったからだろう。遅刻の理由を作るためにしては、少し犠牲にするものが多すぎる。スーツ代はもちろん、プライドとか。

 初日からジャージとはなんとも格好がつかないが、だからといってびしょ濡れのまま教壇に立つわけにもいかない。大人しく購買で買ったジャージに着替え、担当することになるクラスの現担任の(とどろき)先生と教室へ向かった。

 扉を開けた瞬間、数々の好奇心に溢れた視線がこちらに飛んでくる。

「おはよう! 皆、大和(だいわ)先生に挨拶しろー」

「男かよー!」

「イケメンじゃんラッキー!」

「これロッキーすぐ忘れられちゃいそうじゃね?」

「ひゃっほう」

「あっ、ジュースこぼした!」

「先生、先生、質問していー?」

 元気がよすぎるような気がしないでもない。

 しかしこんな騒がしい中で、寝ていられるものなのだろうか。唯一机の上に顔を伏せている女子生徒に目を向ける。

 先程から彼女は身動ぎ一つしない。ぐっすりだ。

「すんません。あいついっつもあんな感じなんです。ちょっと起こしてきますね」

「あ、はい」

「おい、新里(にいざと)!」

 轟先生がその生徒を起こしているあいだに、出席簿と座席表で名前を確認する。

「新里、起きろ」

 ――新里千里(せんり)

「こら新里! おい!」

「……嘘だろ」

 これだけ名前を呼ばれているのに、まったく起きる気配がないのはどういうことだ。

 神経が図太いのか、よほどの睡眠不足なのか。他の生徒を見るかぎり、どうやらその光景は珍しいものではないらしい。

「新里!」

 四回目でようやく新里の頭が動いた。そのおかげで、顔が少し見えるようになる。

「え……?」

 危うく、出席簿を落としかけた。

 あの顔は間違えようもない。今朝俺に跳び蹴りをくらわせた奴だ。

 あまりの偶然に言葉をなくす。

「に! い! ざ! と!」

「なんです……って近ッ!」

 声も確かに今朝聞いたもの。

「新里、何度呼んだら起きるんだ」

「何度呼びましたか?」

「五回」

「じゃあ五回で起きるんですよ」

 太々しい態度は普段からなのか。と、今朝会ったばかりなのに、俺にだけへの態度ではなかったことに、何故だか少し落胆した。

 ふぁあ、と大きな欠伸をする新里が、視線をこちらに寄越す。目が合う前に思わず逸らしてしまい、どうやら自分が動揺しているらしいことに気がついた。

「新里のせいで紹介が遅れちゃったじゃないかー」

 轟先生がこちらへ戻ってきて、改めて生徒たちに向き直る。

「えー、では。改めて紹介します。明日っから育児休暇をもらう俺の代わりに、このクラスの担任代理をしてくださる、大和(いつき)先生だ」

 ぱちぱちぱち、と轟先生の頼りない拍手に押され、俺は教卓に手をついて生徒たちを見回した。

「大和斉です。ヤマト、じゃなくてダイワです。皆さん、新入りと仲良くしてください」

 視界の端で、新里もこちらを見ていることを確認してから、ニヤリと唇を引き上げる。

「それと、初対面でいきなり、鳩尾を蹴りつけたりしないでください」

 途端、新里の顔が引きつった。やはり本人で間違いないようだ。 

「えー何それセンセー!」

 女子生徒の一人が笑いながらそう言うと、他の生徒からも続々と声が上がる。

「ねえ、センセー、彼女いますかー?」

「いくつですかー?」

「食べ物は何が好きですかー?」

「なんでジャージなんですかー?」

 ジャージの理由。

 お前だろ、という気持ちを込めて横目で見てみるがしかし、視線を逸らされた。我関せずとばかりに、窓の外を眺めている後頭部からは、俺への興味が感じられない。

 俺のことなんて、もうどうでもいいということなのか。
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