例えばセカイが変わっても、

□例えばリユウが違っても、
1ページ/2ページ


 梅雨も明けかけた六月下旬。

 俺は早足で学校へと向かっていた。

 正直に言うと、遅刻しそうだ。

 点々と散らばる水溜まりがそれぞれ大きくて、だんだん不安がでかくなる。

 俺は昔から水のある場所が嫌いだった。幼いころに魚介類で食中毒にあったからだろうと母親に聞かされたものの、きっとそれが理由ではない。

 抱くのは恐怖ではなく、虞(おそれ)だ。

 なにか大事なものを持っていかれるのではないかという漠然とした不安が、揺れる水面を見ていると伸し掛かってくる。

 ただの水溜まりだとわかっていても、反射する空の色が、太陽の光が怖くて、早足で歩いているうちに――迷って、現在。

 ここから学校まで、どのくらいの距離があるかもわからない。走っても間に合わないのか、歩いても間に合うのか、せめてそれだけでも知りたい。

 ちょうど出勤中らしい女性が側を通り過ぎたので、道を聞こうと声をかけた。女性が言うには、このまま真っ直ぐ行けばいいらしい。

 ありがとうございます、と一言だけ礼を告げ、さて行こうと一歩踏み出したそのとき、誰かが走ってくる気配がした。

 もしかして、学生かもしれない。

 そうしたら一緒に連れて行ってもらおうか。

 と期待しながら振り返った瞬間、



「――してんだぁぁぁぁッ!!」



「グゥッ……ッ!」

 鳩尾に衝撃が奔り、俺はいつの間にか水溜まりの中に倒れ込んでいた。

 なにがあった。

 今、あの一瞬で何が起きた。

 混乱する頭をそのままに、とりあえず俺に跳び蹴りをくらわせたのであろう人間を見上げる。

 憤然とした表情で俺を見下ろしていたのは、制服に短パンジャージを履いた女子高生。

「――ッ!」

 たった一瞬、心臓を鷲掴みにされたように、息が止まった。殴られたせいなのか、急いで仰いだせいなのか、突然息ができなくなった。それでもなんとか、言葉を絞り出す。

「お、お前、誰だ!?」

「え……?」

 俺は確かにこの女子高生とは初対面のはずだ。それなのに、彼女は大きな目をさらに大きく見開いて、驚愕をその顔に表した。

 俺を映す瞳は揺れ、微かな悲しみを訴えてくる。泣くのではないかと動揺したが、次の瞬間、彼女の瞳に表れたのは<自嘲>だった。

 高校生とは思えない。

 俺でもそんな表情をしたことはない。

 なにか言葉をかけなければと思うのに、かける言葉が見つからない。水溜りの中に座り込んだまま彼女を見つめるばかりで、大の大人が馬鹿みたいに狼狽えている。

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、彼女の表情が再び変化した。

「オマエ……」

 そうして俺をキッと睨み付けると、吐き捨てるように言い放つ。

「朝っぱらからナンパかよ」

 ――は?

 わけがわからない。

 いったい、俺が、いつ、ナンパをしていたというのか。

 そうしてふと思い出す。そう言えば先ほど声をかけたのは女性だった。遠くから見れば、ナンパしているように見えてもおかしく――おかしいだろ。

「いい大人が、恥ずかしいとは思わないの?」

 腕を組んで見下ろされる。

 濡れ衣を着せられ、濡れ衣にされたというのに、どうして俺が<叱られている>のか。俺の方が年上のはずなのに。

 やられたら、やり返せ。

 大人げない文句が頭の中を過ぎり、立ち上がってふんぞり返るように見下ろした。

 向き合った彼女は、思っていたよりも小さい。俺よりも頭ひとつ分は低いのに、態度のせいで実物よりでかく見えたようだ。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ