例えばセカイが変わっても、

□例えばシンゾウが止まっても、
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 理科準備室に戻った俺は、椅子に座ると机に肘をつき両手を組んだ。何かに祈るような体勢のまま、固く目を瞑る。不明瞭な感情の糸を解きほぐすように、己の心と向き合うように、思考を内側へと潜ませていく。

「さっきのは、今のは、これはなんだ」

 あの瞬間、耳の奥に蘇ったのは、つい昨日も聴いた己の絶叫。

「なんでこんな……なんでこんな」

 たどり着いた感情の答え、それは――恐怖だった。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

「なにがこんなに、怖いんだ……」

 吐きだした息は震えるばかりで、ヒントの欠片すら教えてくれない。何故何どうして、ばかりの自分に嫌気がさしたころ、ノック音が部屋に響いた。ハッとして顔を上げ、普段はそのまま入室の許可を告げるところを立ち上がり扉まで歩く。そっと扉を開いた。

「愛沢原先生……でしたか」

 目に入ったピンクのジャージに胸を撫で下ろす。アルトのための心の準備をしておくのを忘れていた。愛沢原先生と話をすればこの緊迫感や恐怖感も幾分マシになるだろう、なんて失礼なことを思っていると、

「でしたか、じゃあありませんよ! なにしてるんですか、大和先生!」

「は?」

 もしや俺は心の声を口に出してしまっていたのだろうか。しかしそうしたらば「なにしてるんですか」ではなく「なに言ってるんですか」と返ってこなければおかしい。愛沢原先生の言葉の意味がわからず首を傾げていると、愛沢原先生は「まあ!」と大げさな声を上げて俺の胸の辺りを叩いた。

「放課後に職員会議だって聞いてなかったんですか? 今朝教頭先生が言ってましたでしょう!」

「……聞いてませんでした」

 西城先生の視線が気になって、さっさと職員室から退散したせいだ。普段そういった予定は職員室内の掲示板に書かれるのだが、それを見ずに出てきてしまったのも悪かった。悪いことは重なってやってくるものなのだな、としみじみ思っているとまたしても愛沢原先生の平手が胸にぶつかる。

「あといらしてないのは大和先生だけですよ!」

「わざわざ呼びにきてくださったんですね。放送かけていただくだけでもよろしかったのに」

 職員会議の準備のために、いったん部屋の中へと戻り冷蔵庫に手をかける。視界の端で「水でも飲むのか」といったように愛沢原先生が片眉を上げたが、俺が取り出したのはファンシーな紙袋だ。中にはモンブラン入りの箱。それを机の上に置いて、その辺に置いてあったメモ用紙を引き寄せ、そこにざっと書き記す。

『――にーざとせんりへ。急な職員合議が人った。お前のとこだから、勝手に入ってコレを見つけてるだろう。食え。ほーびだ。ココで食うなら、見つらかないよーにカギをかけとけよ。ダイワ』

 何か色々おかしい気がしないでもないが、背後から急かす声がかかっているのでこれでいいだろう。どうせ受け取るのはアルトだし、勝手に食え、とだけ伝わればいい。ついでに和解したい、という気持ちがあるということも察してくれればいいのだが、<大和斉>と<新里千里>でそれは難しいだろうから諦めよう。

 お待たせしました、と部屋を出る。施錠しないのかと言いたげな瞳に「来客があるので」と返すと、愛沢原先生の表情が曇った。今朝見たものと同じ表情だ。

「あの、大和先生」

「もしかして、愛沢原先生が直接いらっしゃったのは、私に何か言いたいことがあったからですか」

 一瞬丸くなった目とともに、肯きが返る。

「会議のあと、お時間いただけますか?」

「この短時間では済まない要件なんですか」

「ええ」

 この表情を見る限り、俺にとってあまりよろしい話題ではなさそうだ。ただでさえアルトとのことでいっぱいいっぱいだというのに、これ以上頭を悩ませるような問題でないことを祈るしかない。

「わかりました。終わったら、生徒指導室で」

「お願いします」

 とりあえず今はまず、面倒この上ない職員会議をどう乗り切るかに考えを集中させるとしよう。


 ――to be continued...
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