例えばセカイが変わっても、

□例えばセンテイを見抜かれても、
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「ねえ、センセー」

 二往復目で飽き始めたのかそれとも沈黙への気まずさか、届いた粟木の声に顔を上げる。

「センセーって、新里さんのことどう思ってるんですか?」

「どうって」

 これまた直截な。

「困った奴だなー?」

「ホントですか?」

 何故そんなに疑うのだろう。そんなに態度に出していた覚えはないし、出ていたとしても<問題児だから>で片付くくらいであるはずだ。そもそも<愛したい>と自覚したのがつい数時間前のことなのだから。「困った奴」という答えも、意図して隠したものはあれ嘘を吐いているわけでもない。

「なんだ粟木、俺が新里のサボりを喜んでるとでも思ってたのか?」

「思ってないですけど……」

 粟木が、じとりとした視線を寄越す。

 女のカンというやつだろうか。

 恐ろしいな、と内心呟き、誤魔化すようにわざとらしく腕時計を見た。

「五分だ粟木、モップ片付けろ」

「えー!? もう!? まだこれだけしか拭けてないですよ! あともうちょっと!」

「最初に五分だけって言ったろ。時間配分できねえと、試験のとき大変だぞ」

「テストの話はしないでください!」

 文句を返しながらも粟木はモップを手放そうとしない。いっそ満足するまでやらせてやろうかとも思ったが、先ほどのペースを考えると俺の仕事に差し支える。急ぎのものはないが、溜めずに済むものを溜めるのは避けたい。もちろん、生徒の相談ごとや勉強に付き合うためならば溜められる仕事なら溜めておけばいいと思うのだが、これはどうにも割り切れない。

「とにかく下校時間も迫ってるから」

「まだ一時間ありますよ」

 粟木は馬鹿ではないから突きつけられている言葉の意味が分かっているだろうに、それでも頑なにモップを握りしめている。そんなに掃除がしたいのか。意地になっているのだろうか。それとも食い下がりたいだけなのか。そんなことを考えていると、ふと<声>が記憶から浮かび上がった。

『だって少しでも多く<イツ君>に良く思われたいし、少しでも長くイツ君と一緒に居たいんだもん』

 一緒に居たい、と、良く思われたい、という願いは天秤にかけるとどうやら<時間>の方が重いらしい。普通逆ではなかろうか、と考えたがなるほどコイとはそういうものだったと自問自答で収まった。

「つってもなぁ……」

 ワルイコトをしているわけでもないから、粟木を頭ごなしに怒るわけにもいかずどうしたものかと思案していると、

「――大和先生、いらっしゃいます?」

 突然理科室の扉が開き、愛沢原先生がポニーテールをぴょっこりと揺らしながら現れた。

 理科室とは不似合いの相変わらずなジャージ姿に、いったい何の用かと怪訝な目を向けてしまう。

「どうしました? 俺に何か用ですか?」

「ええ、ちょっと急ぎで職員室にきてほしくって。今手、離せない?」

 ちらりと愛沢原先生が粟木を見やる。俺はこれ幸いと首を横に振った。

「いえ、今終わらせるところです。というわけで粟木、モップ仕舞ってこい」

 理由が『第三者から齎された急ぎの仕事』では、粟木も嫌とは言えないらしく渋々とモップを引きずりながら掃除用具入れへと歩く。黒いタイルの床が濡れ、モップの跡をより黒く残していく彼女の背に『残念』という二文字が見える気がして、苦笑した。

 そうして粟木の姿が廊下から消えたのを確認してから、愛沢原先生に向き直る。急ぎで、と言ったはずの愛沢原先生は足を動かす素振りすらなく、理科室の前に立ち止まったままだった。

「愛沢原先生?」

 怪訝に声をかけると、愛沢原先生はキョロキョロと辺りを見回し誰もいないことを確認してから、フフフと薄いピンク色の唇を弓形にして、

「大和先生の女嫌いがこれ以上酷くなっちゃいけない、って思ってね」

 どうやら困った俺を見かねて嘘をついてくれたらしい。その気遣いに感謝の言葉を告げようとしたけれど、そのための声が驚きに塞き止められて出てこなかった。

「あら、なんですその顔。気づかれてないと思ってたんですか?」

 フフフ、と再び声を漏らす愛沢原先生。

「あたし、男の人から向けられる視線ってだいたいコウイなんです。なのに大和先生の視線からは、そんなもの排水口にでもくれてやった方がマシだろ、とでも思ってるんじゃないかってくらい感じられなくって」

 確かにコウイなんてもの微塵も持っていなかったが、そこまでは思っていない。そもそもそんな感情を持つことすら、考えていなかった。何故ならばそのとき、俺は相手を――、

「あら珍しい、なんて思ってよく見てみたら<選定>の目でしょう? だからあたし、『あらこの人、もしかして自分に相応しい相手かどうか見ているのかしら。イケメンってやだわ』って思ったんです」

 ――そう、俺はそのとき相手を<選定>するのに必死だった。けれどそれは、愛沢原先生が語るような理由ではなく。

「でも、そのあとあたしにニコッと笑ってお礼してくださったとき、なんだか大和先生、ホッとしたように見えて……『ああこの人、自分に好意を持ちそうな人間かどうか見極めてたのか』って」

 当たりだ。

「それで女嫌いですか? 早計では?」

「そのときは断定してなかったけど、よく観察してみたら他の女性相手だとさり気なく壁作ってるじゃないですか。言葉遣いとか会話内容とか、ふんわり突き放してる感じ。だから『あらこの人、女の人が嫌いなんだわ』って。どうです?」

「降参です……。嫌いなんじゃなくて、苦手なだけですけどね。いつもはもう少し上手くやるんですよ。あのとき、愛沢原先生の登場が突然すぎたんです」

 俺の溜息に、愛沢原先生はけたけたと笑う。

「あのとき周りに女の人、いませんでしたもんね」

「油断してました。不愉快な思いをさせてしまいすみません」

「あらいいんですよそんなこと。何か事情があるんでしょうし。お察しの通り、あたし、大和先生に少しも興味がないので1ミリも傷つきませんでした」

 それはよかった、と曖昧な笑みを返す俺に、愛沢原先生は「少しは残念って思ってください」と大きく口を開いて笑った。

「だったら愛沢原先生はどんな男性がお好きなんですか?」

 ここまで「興味がない」と本人を前に断言をしているのだ。誤解をされることはないだろうと、普段女性相手には絶対に投げかけないことを口にする。

 愛沢原先生は「うーん」と少し考え、そしていっそ残酷なほど無邪気に笑った。

「『わたし、死んでもいいわ』って言いたくなる人がいいわ」

「ああ、なるほど」

 頷きを返すと満足したのか、じゃあね、と去って行く愛沢原先生。その背中を見つめながら俺は――西城先生を心の底から不憫に思った。


 ――to be continued...
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