例えばセカイが変わっても、
□例えばザツヨウが決まっても、
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そんな俺たちのようすにまるで気がついていないかのように、目を見開いたまま動揺を隠さない彼女がいよいよ心配になって、掴んでいた肩を強く揺すった。ちょっとやそっとの力では、戻ってこない気がしたのだ。
「お、おい」
呼びかけたおかげか、強さのおかげか、ようやく我に返った彼女だが、きょろきょろと視線を右へ左へと動かしている辺り、未だ動揺からは抜け切れていないらしい。
「すみません、まだ体調が芳しくなくて……」
「いや、それと四十にどうかんけ」
ギロリ、と睨まれてしまい、続きは呑み込むことにした。
俺たちのやりとりで異様な雰囲気が元に戻ると同時に粟木たちも元気を取り戻したようで、いち早く元に戻った青海田が口火を切る。
「ほらー、新里さんって病弱だしぃ、やっぱりしずくがやった方がいいと思うんですよー」
「そうそう、その点しずくは元気だもんね」
「私なんでもしますよ! 朝早くだって来ますし、居残りだって嫌がりません!」
「嫌がらない」とわざわざ言うということは、本来ならば「嫌なこと」ということだ。それは交渉する側としてはよろしくない。
『自分の身を捧げるような交渉の仕方は、相手を有利にするだけだ』
先程と同じく脳内で疎ましそうにそう語るのは、懐かしさすら感じるのに聞いたことのない声。しかし今は、その声の主を深追いできる状況ではない。いかにして粟木を諦めさせるか。それが今の優先事項だ。
「先生」
今まで黙っていた彼女が、俺を見上げた。
「委員長もこう言ってくれてるんで、辞退してもいいですか? どうしても罰を与えたいっていうのなら、放課後理科室掃除しますから」
彼女は周囲から見えないのをいいことに、非常にわかりやすくニヤリと笑った。
やってくれた。
これで<悪者>は俺になった。
初めて真正面から相対した
表情がそれかよ。
脱力しそうになったところへ、さらに追い打ちがかかる。
「ほらー、新里さんもこう言ってるんだしー、それでよくないですかー?」
つかれた。
もう降参。
最初から俺が、こいつに勝てるわけがなかったのだ。
けれど、最後の足掻きはさせてもらおう。
「わかったわかった、粟木が仕事熱心なのは十分わかった。けど、さすがに今までサボってたヤツが放課後の掃除だけってのもアレだろ。今日だけこいつに雑用頼むぞ」
雑用というのはほとんど口実だし、俺の授業で雑用なんてノート集めくらいしかない。ノート集めだって、中間、期末考査前に確認するくらいだ。間違えて板書を写した生徒がそのまま覚えてしまう可能性を防ぐためのあえてのタイミングだが、前の学校では「勉強できない」と非難されかけたので、なるべく迅速に確認及び返却するようにしているから、ノート集配は短期間で終わる。
まあ彼女が雑用係になったら、ことあるごとに呼びつけてやろうと思っていたが。彼女でないなら、それくらいしか頼まない。まして、俺に恋情を抱いてしまった相手なら。
恋情、なんてこの世になければよかったのに。
恋。
故意。
請い。
乞い。
来い。
相手に望むばかりで、何も返さない一方的な下心など。
「それは仕方ないね。新里さんがサボってたって事実は消せないし」
粟木がようやく退いてくれた。
目の前の彼女は、しょんぼりと肩を落としている。こちらもぎりぎりまで譲歩してやったというのに、まだ不満か。
しかし彼女は無言で己の席へ歩いて行った。どうやら抵抗を諦めたらしい。もしかしたら授業後に抗議にくるつもりかもしれないが、今はひとまず教室から出て行かないことで良しとしよう。
そうして再開した授業。初めて受ける彼女はどんな顔で聞いているのかと思ったら、顔を伏せて寝ていた。
「子どもかよ」
子どもだった。
――to be continued...