例えばセカイが変わっても、
□例えばテキイを持たれても、
2ページ/2ページ
ふう、と息を吐いて手元の出席簿を開く。<新里千里>の文字が一番に目に入り、苦笑した。
どうにも。
「新里、運動神経はどうなんですか?」
そんな轟先生から愛沢原先生への問いを耳に入れながら、出席簿からは目を離さない。あいつ以外の名前も把握しておかなければ。
「結構動けるみたいなんですけどね、あえて動かない感じがします。でも持久力はなさそうですよ。トラック十周で顔が赤を通り越して蒼くなってましたから。見かねて休ませたくらいです」
「だいたいは、寝てるか何か読んでるかですからね。運動不足になっても仕方ないですよ」
苦笑を零す轟先生の言葉に、俺は顔を上げた。おそらく不可解を表情に出していたのだろう、俺の顔を真正面から見た愛沢原先生が「どうしました?」と首を傾げる。
「いえ、俺が屋上であいつを見つけたときは、寝ても読んでもいなかったので」
独り言は呟いていたが。
「何かあったんでしょうか?」
二人に問いかける。轟先生は肩を竦め、愛沢原先生困ったという風な笑みを浮かべた。どうやら二人とも、見当もつかないらしい。
もしや俺を水溜りに蹴り落したことを反省でもしていたのだろうか。もしくは、教室でのできごとに苛立ちでもしていたか。けれどあの表情は、あの警戒心を剥き出しにしたあの表情は、そのどちらにも当てはまらない気がした。
「そんなに彼女のことが気になるのでしたら、愛沢原先生にではなく本人に聞いてみてはいかがですか?」
前触れもなく飛んできた低音。その中に不愉快が滲んでいる気がして、斜め前の音源に顔を向けた。すまし顔を作ってパソコンのキーボードを叩いている男は、こちらを見もせずに唇だけを動かす。
「どうも、古典の
西城です。一日目だからといってあれこれ聞かれても、私どもも一年生とは顔を合わせてまだ三カ月も経っていないのですよ。担任でもないのに、わかるわけがないでしょう。そうでなくとも愛沢原先生の担当教科は体育です。普段のようすなど目にする機会も少ないと思いますが」
そんなことにも思い至らないのか、と言外に含ませる彼の声音に眉根を寄せた。
なぜ、初対面と言ってもいい相手に敵意を向けられているのか。遅刻したことは謝罪したのでその件ではないと思うが、その件以外では思い当たる節がない。ならばやはり、遅刻したことが原因なのか。
どう言葉を返そうかと考えていると、隣の轟先生が西城先生を横目で見ながら耳打ちしてきた。
「西城先生、愛沢原先生が好きなんですよ。以前、『月が綺麗ですね』って告白したんですけどね、愛沢原先生に通じなくて玉砕したんです。たぶん、大和先生をライバル視してるんじゃないですかね?」
なるほどそういうことか。
愛沢原先生には何の感情も抱いていないのに傍迷惑な話だが、かといってここで「愛沢原先生はただの同僚としてしか見ていません」と言ったところで西城先生が納得するとも思えない。
仕方なく、この話題を終わらせることにした。
「大和です、よろしくお願いします。そうですね、新里の件は今度本人に聞いてみます」
果たして本人が答えてくれるか、否、会話をしてくれるのかもわからないのだが。
「ああそうそう大和先生」
西城先生がようやくこちらを見た。
「新里に言っておいてください。スカートの下にジャージを履くなと」
気になるんなら自分で言えばいいじゃねえか、とは言えずに片眉だけを上げる。俺はあいつがどんな格好をしていようが気にもならないから、わざわざ鬱陶しがられるようなことを言いたくない。
するとまた、轟先生がこっそりと耳打ちしてくれた。
「西城先生、生徒指導担当なんです」
なるほど。
「早く慣れて頑張ってね」
ぽん、と肩を叩いて愛沢原先生が去って行く。左肩に彼女の手が触れた瞬間に、西城先生から剣呑な視線が飛んできたが知らぬふりをして温くなったコーヒーを喉に流し込んだ。
さて、どうなることやら。
――to be continued...