例えばセカイが変わっても、

□例えばオモイが芽生えても、
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「大和斉」

「なんだよ」

「同性愛、ってどう思う?」

「同性愛ぃ?」

「うん」

 唐突な話題に、彼女を振り仰ぐけれど、視線は依然校庭へ向けられている。

 思い出すのは、かつての友人の引きつった表情。それは雄弁に<キモチガワルイ>と語っていた。もう二度と、あんな表情は見たくない。

 けれども、どうして今そんなことを聞くのか。その問いに、いったいどんな意図があるのか。

「どっちだ」

「は?」

「男か、女か」

 もしも彼女が「女」と答えたならば、迷うことなく「是」を返すつもりだった。けれど、

「お、男」

「男と男かぁ……」

 ――もしかしてお前、コッチなんじゃねえ?

「ナイな」

 弱さ。

 それだけに尽きる答え。

 本当は性別なんてどうでもいいのに、ただ嫌われたくないからと、本心ではない答えを口にした。いい大人が、なんて様だ。

 喉に広がる苦い何かを、コーヒーを流し込むことで誤魔化した。

「そう……そうなんだ」

 降ってくる彼女の声は、感情が見えない。俺の答えは果たして、彼女にとって正答であったのか、誤答であったのか。

「で? 急にそれを聞いた理由は?」

 動揺する心を鎮めるために、話の主導権を握る。

 しかしそれに答えが返ることはなく、

「君とは、どうも上手くやっていけそうにないね」

「え?」

 どういう意味か、と問いかける前に、彼女は続けた。

「君さ、担当教科はなに?」

「……生物だけど?」

「生物か……丁度いいね」

 これは、もしかして。

「僕、生物出ないね。ホームルームも出ないから」

「え……」 

 明らかに<彼女>の口から零れる一人称は不似合いであるはずなのにどこかしっくりときて、内心首を傾げたが、聞き捨てならない台詞があったことに気がつき慌てる。

「単位はいらないよ」

「ちょっと待て。なんで、そんなに俺が嫌いか?」

 振り仰ぐも彼女の表情は見えず、立ち上がろうと手を地面につけたところで、返ってきた答えに力が抜けた。

「嫌いじゃないよ」

「じゃあ……」

 どうして、俺を避けようとするんだ。

「大和斉、僕のことは、忘れてくれていいから」

 そう早口で言った彼女は、スカートの裾を翻して校舎内への扉に消えた。

 俺はただ、ただ茫然と、その鉄の塊を見つめることしかできなくて。

「なんでだよ……」

 忘れられるはずがない。

 そもそも彼女は俺の担任クラスの生徒だ。いくら彼女が俺を避けようとも、必然的に出席を取るときには必ず名前が上がるのだ。忘れられるわけがない。

「無理だろ」

 ふ、と漏れた声は笑声ではなく。

「無理だ……」

 こんなにも心を揺らす存在を、俺は知らない。

 ――今までお前自身が気になった女性はいないのか?

 不意に、蘇る声があった。

「そうか……これか」

 どうやら俺は<コッチ>ではなかったようだが、それに安堵も、喜びも、悲しみも、湧き上がらない。得たのは、酷い胸の痛み。

 かつん、と缶コーヒーに爪先が当たって、半分ほど残っていた中身がこぼれた。広がる茶色い液体は、排水口へと流れていく。

「よりにもよって……なんでお前なんだ」

 一筋縄ではいかないだろう。まして彼女は生徒だ。俺の気持ちを告げたとて、倫理だ道徳だと騒ぎ立て、受け入れることもなく叩き落すに違いない。

 いっそこの感情を、なかったことにしてみようか。

 痛みはストレスに挿げ替えて。想いは怒りに摩り替えて。彼女に、彼女だけに冷たく当たってみようか。

「そしたら――」

 と、そこで苦笑した。

 ――そしたらこちらを向いてくれるだろうか。

 なんて、なかったことにしようとして、気がつくと振り向かせたいと思っている。

「……馬鹿だな、俺は」

 この想いの末路なんて、決まっているではないか。ころすしかない。そうしていつか、しんでゆくまで見ているしかないのだ。

 溜息を吐いて、空になったコーヒーの缶を手に立ち上がると、ふらりと眩暈がして柵を掴んだ。

『手が届く距離にいて、どうして手を伸ばさない!』

 ぐるり、と回る空間の隙間から、叱責が飛んでくる。

 どこの誰かもわからない、けれどとてもイラつく、そしてとても懐かしいコエ。

 なにを勝手なことを。

 こちらの気も知らないで。

 怒鳴り返そうにも、声帯に力が入らない。

 コエは続く。

 こちらの憤りを、上回るほどの勢いで。

『――の気持ちなんて知るものか! 大事なのは、大切なのは、――だけだ!』

 ――びしゃり。

 支えようと力を入れ、踏ん張った足が地面に溜まっていたコーヒーを蹴飛ばした。漂う香りに<こちら>へ意識が引き戻される。

 つ、とこめかみから顎へ、汗が伝った。

「今のは……?」

 動悸が止まらず、胸元を強く掴む。ばくばくと心臓を叩き鳴らす血管は、自分のものではないようだ。

 幻聴かと思ったが、頭の片隅に残る言葉の残滓がそうではないと語る。

「深層心理、ってやつか?」

 奥歯を噛みしめて、前髪を掴んだ。

「無理だ……」

 もしもアレが深層心理だとしたら、俺はあんなに強い気持ちを持っていることに耐えられそうにない。

 この強すぎる気持ちがやがて、彼女を地獄に堕とすかもしれないと思うと――。

 すてよう。

 芽生えたばかりの気持ちなら、養分さえ与えなければ雑草に埋もれていくだろう。

 鳴り響くベルを弔鐘として、校舎へと戻った。

 しかして、

 それが<始業ベル>だったと気がついたのは、しばらく経ってのことだった。


 ――to be continued...
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