僕はオトコに生まれたかった。

□僕はクチヅケを灯した。
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「それから毎日毎日お前のことばかり考えて、お前のことしか考えず生きてたら、うっかり六十年も長生きして、ようやくお前のもとへ行けると思えば、うっかりお前を追い越して産まれちまって、でもお前の誕生日よりも十日遅く生まれてたとかなんのお約束だって話だよちくしょう! 十年早く産まれたのに、結局遅刻癖なおってなかったってことなのかよちくしょう!!」

「ラ、ライリ……」 

 ちょっと話がずれてきている。

 ガンガンと八つ当たりを受ける机も可哀想になってきた。

「だいたい、俺がお前を許さないだって!? 許されないのは、俺のほうだ!」

 ひときわ強く、机に拳を叩きつけた大和斉は、唇を強く噛みながら目を開き、僕の頬に手を伸ばした。

 大和斉の手の甲が、ゆっくりと僕の左頬を滑る。叩き付けられ真っ赤になっていたはずの手は、しかしひんやりと冷たかった。

「許されないって、もしかして」

 僕の嘘に気がつかなかったことか、と問う前に、否定される。

「お前を……」

 今度は両頬を、包むように。

 僕の体温を奪い、掌は熱を帯びる。

「湖から引き揚げたのは俺だ。冷たくなっていたお前を抱きしめたとき、俺は最低にもお前を責めたんだよ」

 大和斉は笑う。泣きそうな表情で笑う。それは今まで何度か見たことのある泣き顔とは、違うものだった。

「どうして、俺も連れて行ってくれなかったんだ、って……」

 あまりの言葉に、僕は動揺して言葉が出なかった。

 それはもしかしたら怒りを覚えたからかもしれないし、悲しかったからかもしれない。けれど嬉しいという気持ちが、湧き上がってしまったことも要因だろう。

 だって。

 だって、そうだろう。

「ごめん、ちょっと……離れて」

「なんでだよ」

 だって、そうでもしないと。

「やっぱり、許せないってことなのか」

 違う。

 そんなわけがない。

 許せないことを想っているのは、僕のほうだ。

「今、顔を見られない」

 見たら、問いかけてしまいそうで。

 問えば、強要しているみたいで。

 だから、心で膨れ上がり始めた期待を抑えるまでのあいだ、大和斉の顔を見たくなかった。

 それなのに、否、それだからかもしれない。大和斉は、思い通りにならない人間だと、この数ヶ月でも身に沁みてわかっていたのに。僕は掴まってしまった。文字通り、大和斉の両手で頭を拘束されてしまった。

「なにか言いたいことがあるんだろ? 俺に」

「ない、ないよ」

 言ってはいけないのだから。

 こんなこと、想ってもいけないことなのに。

「嘘つくな」

「嘘じゃない。僕は嘘をついてない」

 唇を噛み、逸らすように目を瞑る。

 唯一機能する耳に飛び込んできたのは、呆れたような溜息だった。

「お前の癖が出てるんだよ。お前が、心を……いや、隠しごとをしてるときの、な」

 その言葉に驚いて目を開く。

 僕にそんな癖なんてものがあっただなんて。あの二十四年間で一度も気がつかなかったし、ライリも言ってはくれなかったのに。

「言ったら意識するじゃねぇか。いいか? お前がなにか隠してるときは、二回、自分に言い聞かせるみたいにゆっくり同じ言葉を繰り返すんだ」

 二回、と口中で呟いて、僕は笑った。

「残念ながら、その手には引っかからないよ。僕は隠しごとをしているとき以外にも、同じ言葉を二回繰り返した覚えがある」

 例えば、粟木しずくへの礼を強要されたとき。僕の記憶が確かならば、否定の言葉を二度繰り返したはずだ。けれどあの言葉は、間違いなく僕の本心だった。

 しかし大和斉は、言葉を詰まらせるようすも、慌てるようすも見せず、僕の頭を固定したまま片方だけ唇を上げた。

「そりゃなんか意固地になってるときだろうな……。そのときの感情を見りゃ嘘ついたときの二回かどうかわかる。なんにせよ、二回繰り返すのが目安だったんだ」

 それがわかっていたから、わからなかった。

 悔しそうに、大和斉は呟いた。

 その意味を、数回の瞬きで問うけれど、ただ悲し気な笑みを見せるだけで答えは返らない。

「だから……」

 大和斉が、続ける。

「お前が今、何か言いたいことがあるっていうのはわかるんだよ」

 頭を拘束されたままの僕へ、優しい笑みが向けられる。必死で抑えつけている想いが、今にも飛び出していきそうだ。

 それなのに、人の気も知らずに。

「言ってくれ」

 まるで追い打ちをかけるように。

「――アルト」

 君に名前を呼ばれることが、どれだけ大事なことなのか、君は少しもわかってはいないのだろう。

 諦めたわけではないけれど、それでも抵抗することができずに、僕の唇からはぽろぽろと抑えつけていた言葉が漏れだしていく。

「もし、かして」

「うん?」

「もしかして君は……」

 言葉が喉に詰まって、なかなか伝えられない。

 心臓の早鐘に、手足の震え。

 立っていられなくなりそうで、必死に膝に力を入れる。

「もしかして君は……僕を」

「お前を?」

 目の前の最愛の男が笑っている。嬉しそうに、勝ち誇ったような、そんないけ好かない笑みを、僕に向けている。

 いつだって余裕ぶって。

 いつだって振り回して。

 いつだって救い上げて。

 いつだって愛しくて。

 いつだって、

「僕を、愛してくれていたの……?」

 いつだって、

 いつも、

 いつまでも、僕を想ってくれていたの、だとしたら。

「当然だろ」

 答えは迷いなく。

「死ぬまでずっと、お前だけを愛してた。生まれ変わった今も……馬鹿みたいにお前だけを愛してる」

「――ッ!」

 ずっと、約束を守り続けてくれた。

 ずっと、想い続けてくれた。

 なんて、幸せなことだろうか。

「お前は?」

 すべてわかっているという表情で、それでも問いかけてくる大和斉。

 大和斉がすべてを思い出した今、もう僕は<オトコ>である必要も、裏切りに罰を乞う必要も、なくなった。なくなってしまった。

 この想いを口に出せない理由を、もう思いつけない。

「僕も……っ。僕も君を、愛してる! 君だけを、ずっと愛して」

 言い切る前に強く抱きしめられた。

 息ができなくなるくらい、強く。

「会いたかった。ずっと会いたかった、アルト!」

 僕も、僕もだよ。

 僕も君に逢いたかった。

 ずっとずっと、逢いたかった。

 けれど涙が邪魔をして、それを言葉にすることができない。代わりに強く抱きしめ返せば、今度は引きはがされた。

 不満に眉根を寄せて、見上げれば。

 胸が痛くなるほど、愛しい視線とぶつかって――。

 僕は彼と二度目の、口づけを、交わした。

「おかえり」

 僅かに離れた唇の隙間からそう言う君に、僕は微笑みながら返す。

「ただいま」

 灯った熱は、もう二度となくさない。

 約束がなくても構わない。

 何故なら君はここにいて、何故なら僕もここにいる。

 もう僕からは離れたりはしない。

「ずっと、君の傍にいさせて」

「死んでも、ここにいろ」

 もう離さない、離れない。一度捕まってしまったら、逃げることもできないのだから。

「俺から逃げられると思うな」

「僕から逃げられると思わないで」

 二人同じ言葉を口にして、まるで誓うように、三度目の熱を互いの唇に灯した。


 ――to be continued...
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