僕はオトコに生まれたかった。
□僕はクチヅケを灯した。
1ページ/2ページ
こつん、とぶつかりあった額から響いてくる声は、後悔を抱いていた。
「お前はあんな目にあってまで、最期まで俺を想ってくれていたのに……っ、俺はあのときに限ってお前の嘘を見抜けなかった」
「う、そ……?」
この場で、このタイミングで思い当たる<ウソ>は、たった一つ。どうしてそれを、大和斉が知っているんだ。
そう考えて、しかしすぐに合点がいった。
僕はあの人との約束を、違えたのだ。
約束通り、あの人はライリに真相を告げたのだろう。
だから、ライリは知っている。
すべてのことを知っている。
「それなのにどんな顔して、お前に思い出したなんて言える? 思い出したからまたやり直そうだなんて、見抜けなかったくせに、忘れたくせに、そんな都合のいいことを、お前の想いを無下にするような、お前と――新里千里と重ねた日々を無駄にするような、そんな……そんなことをどんな顔で言えばいい? 言ったところで、どうせお前だ……罪悪感でそう言ってるって思うに決まってる」
「…………」
確かに、僕は今、そう思った。
すべては虚構だったのかもしれないと。
すべては懺悔だったのかもしれないと。
すべては善意だったのかもしれないと。
大和斉も、ライリも、優しいからあんな風に死んでしまった僕を、もう一度見捨てることなんてできないからだろうと。
「だから俺は言えなかった。本当は全部思い出してたのに。お前が知らないことも、俺は教えることができたのに……それでも言えなかった。お前に、信じてほしくても……」
「信じてほしいって……君が僕を好きだと言っていること?」
「違う」
いつの間にか僕の胸倉は解放されていて、僕と大和斉との距離は一歩分空いていた。
離れないで、と口にしかけて、直前に言葉を別のものに変える。
「だったら、なに?」
大和斉は、一度深呼吸をすると、強い声で、強い瞳で、まるで僕を引き寄せるように言い放った。
「お前が<オンナ>じゃないから、お前の手を放したわけじゃない。お前が<オンナ>になったから、お前を好きだと言っているわけじゃない」
ぴしり、という、音がした。
それは、僕の、理性の、音だった。
「ふ、ざけないで!」
酷い、頭痛。
真っ赤な、視界。
確かな怒りが、突き上げてくる。
「いったいどの口がそれを言うの!? 君はオンナと結婚しただろう!? 律儀に手紙で報告までしてきたくせに!!」
あの残酷な一枚の紙片が、僕の世界を終わらせた。それなのに。
「俺は結婚なんざしちゃいない」
そんなはずはない。
「嘘だ! あれは君からの手紙だった!」
「てめぇ……目ぇ見えてなかったんじゃねえのかよ」
「ちょっとなら見えたもん!」
「もん、とか言うな! 気色わりぃな!」
気色悪いとはどういうことだ。
それが、好きな奴に言う台詞なのか。
ほら、どうだ。
「やっぱり! 化けの皮が剥がれてきたじゃないか! 目が見えなくても、手紙からオマエの香水の匂いがした!」
「俺のじゃねえかもしれねえだろうが!」
「オマエの香水は特注だっただろうが!」
「言っとくけどなぁ! あの香水は、クメルが発注してたんだぞ!?」
「だからなんだよ!」
「手紙自体、クメルが作ったってことだよ、馬鹿野郎!」
ガン、と傍らの机に拳を落とした衝撃で、鉛筆が跳ねた。そのままころころと転がり落ち、乾いた音が保健室に響く。
「え……っ」
僕は言葉を失い、立ち尽くす。
確かに、クメルならそれができる。筆跡は、ライリの書いた書類の文字を真似ればいい。
考えれば、あんなに独占欲が強く嫉妬深い人間が、最愛の弟の結婚相手を褒め称えるなんておかしいことこの上ない。
けれどそんなことに気づくことのできる余裕などなくなるくらい、あの手紙は衝撃だった。どんな暴力よりも効果のある、制裁であった。
現に、成功した。
僕は、約束を違えた。
「さっき俺が言った、お前が知らないことってのはこのことだ。しん……死んだお前が握りしめてた手紙を見て、おかしいと思った。封蝋の印が俺の家のもんだったからだ。だから、事情を知ってそうだった侍女に問い詰めた……全部吐いたよ。お前がいた、部屋にも、通された」
侍女とはきっと、僕の世話を言いつけられていたあの娘のことだろう。クメルの僕への仕打ちを目の当たりにしながら、よくライリに話せたものだ。
しかし、
「あの部屋……見ちゃったのかぁ」
掃除をされるたびに間を置かず床に流れる血は、そのうち染みになっていき、濡れてもいないのにまるで血の池でも存在しているかのように見えた。
初めて入った人間なら、顔を顰めずにはいられない光景だろう。
「愕然とした。話を聞いただけでも、自分が許せなかったのに……俺は初めて、自分で自分を殺してやりたいと思った……」
「そんな……」
君が気に病むことは、何一つなかったのに。
君が知るべきことは、何一つなかったのに。
「でも……」
悲しそうに、悔しそうに、呆れたように、笑みを零す大和斉。
「お前の刻んだあの文字を見つけて、これがお前の最期の望みなら……って」
生きて、くれたのか。
よかった。
決して届かないと思っていた、単なる自己満足だと思っていた、まるで落書きのようなメッセージが、意味を成していた。
存在しなかった<
結婚相手>の代わりに、支えとなることが、できたのか。
悪あがきも、してみるものだ。
「それから……」
大和斉はおもむろに、目を瞑った。