僕はオトコに生まれたかった。

□僕はゲンジツを反射する。
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 教室内の小さな騒ぎは、もちろん瞬く間に学年中に広がった。ただしまったく小さな世界(ばしょ)の、故に大きな事件であるが。

 僕は放課後の理科準備室で、大和斉の前に立っていた。

 腕も足も組み、椅子の背もたれに全体重を乗せる格好の大和斉は、かれこれ五分ほど無言で僕を睨み続けている。

 なんとも居たたまれない。

 せめて座らせてもらえないだろうか。

 けれど何故だか声が出なくて、僕はただチラチラと傍らに並ぶ椅子に何度も目線をやる。もちろんこの状態で五分なのだから、目の訴えは却下されるばかりである。

 誰だ。目は口ほどに物を言う。などと言い出したのは。

 口で訴えれば果たして聞き入れてもらえたかと言われると、恐らく否だろうけれど、何も言えないという状況はいささか理不尽な怒りを生み出すものだ。

 膠着状態から脱するには、何か話しかければいいのだが、僕はなにも話す気はなかった。

 美術の時間の出来事は、さして問題にはならない。ただ、クラスメイトの男女五名が、僕に各々の鋏を見せつけただけであるのだから。

 それが事実。

 たとえ真意が別にあるとして、たとえ鋏の刃に標的があったとしても、結果はただそれだけであるのだから。

 僕が起こした小さな騒動は、ただフラッシュバックした光景にイタみが伴ってしまったことが原因だ。

 脳裏に残像がちらついて、かき消すように小指を握った。

「……俺が」

 膠着状態から約十分、先に口を開いたのは大和斉だった。

「俺が余計なことを言ったからだ……」

 そっと僕の手に触れ、まるで懺悔するように大和斉は続ける。

「<あの翌日>、あいつらに<この教室で起こっていることに、俺は自分から首をつっこむ気はない。つっこんでほしければ、俺のところに言いにこい>って言ったんだ」

「誰か来た?」

 無意識に笑いが混じった。答えが容易に予想できたからでもあるし、目の前の男に呆れたからでもあるだろう。

 大和斉は、情けない笑みを浮かべながら首を横に振った。

 だろうね。

 誰も僕の味方をしないことはわかりきったことであるから、あの連中に対して希望も期待もしていない僕は、たったそれだけの感想に落ち着いたのだけれど、大和斉はそうはいかなかったようだ。自分の担当するクラスの生徒たちに教師が期待するのはもちろん理想を抱くのは当然のことで、まさかとは思いながらも、もしかしたら誰かが言いにきてくれるのではと期待し、自分がここまで言えば新里千里の味方をしたいと望んでくれる、という理想を描いていたのだろう。しかし現実は容赦なく、理想を反射する。

「言いにくる来ないはともかく、君がなにも言わなくても今回のことは起こったと思うよ」

 大和斉が「やめろ」と言おうが、気づかないままであろうが、きっと<騒ぎ>は起こっただろう。<大和斉(担任)に気づかれないようにする>という課題が増えるだけで、状況は変わらなかったのだから、後悔などするだけ無駄だ。

「余計なことばかり、気にしすぎだよ君は」

 苦笑混じりにそう言えば、大和斉は僕の指先を手の中に閉じ込めて、強く握った。

「俺には、何が<余計なこと>なのかわからない。お前が大事過ぎて……大事過ぎて……どうやって守るべきかもわからなくて……守ったつもりになってても、こうやって傷つけて……」

 僕の指先を握る手へ、触れるように唇を寄せる大和斉。

 伝わらないはずの感覚を、確かに指先に感じて、僕は小さく笑った。
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