番外編

□最悪の目覚め
1ページ/1ページ










ヒースのその一日は、ゴンッという痛そうな音と共に訪れる頭部の激痛から始まった。



「執事長、朝ですよー」

「〜〜〜〜ッ」



チュンチュンと鳥の囀りが聞こえる。
部屋に差し込む光とその声から察するにカーテンも窓も開けられたらしい。

ヒースは床に直撃した頭部を両手で抑え、声にならない声をあげた。
毎度のことだが自分の部下は他の部署と比べて容赦ないと思う。

上半身がベッドから滑り落ちるように飛び出したまま、ヒースは涙目でこの主犯を見上げる。
いつの間にかヒースを取り囲むようにして側に立っていた主犯は、ヒースが思っていたより人数が多かった。

いつもなら一人なのに……と恨めしそうに睨むヒースを余所に、彼らは胡散臭いくらいの笑みを浮かべた。



「「「おはようございます、執事長」」」

「………おぅ、おはようさん……」



ベッドから落ちた……というより落とされたヒースはそれでも小さく挨拶を返した。
どの部下も高確率でこの起こし方を採用するようだが、上司に対してこの扱いは如何なものか。
というか自分はいつ彼らの怒りを買ったのか。

いつもより乱雑にされたように感じながらも、ヒースはズルズルとまだ布団に残っていた下半身を下ろしその場で胡座をかく。
その時、甘ったるい香りが鼻を擽った。



「(?香水……?)」



男物では需要が少なそうな甘い……お菓子のような匂いにヒースは顔を顰める。
ヒース自身は勿論のこと、部下達全員に香水の使用許可を与えてなどいない。

世話する御方が日単位で変わっていく仕事だ。
香水独特の香りというものは万人に好かれるわけではない場合が多い。
特に貴族なんて面倒な人種を相手にするなら尚更だ。
変にクレームをつけられ此方に不利な状況に追い込まれる可能性が否めない以上、そのような行動はヒースが禁止事項として彼らに叩き込んでやったはず。

眉を寄せて顔をあげると、予想外の光景にヒースの表情が固まった。

それを見てケラケラと笑っている部下もいれば、同情するような目を向けてくる部下もいた。



「今日って……」

「執事長最大の危機ですな」



何日だ?

そう続くはずの言葉は隠喩的な一人の部下のそれに遮られた。
文字通り頭を抱えてげんなりとしているヒースに対してその部下はニヤニヤと笑っている。


物にあまり固執しないヒースは自室にもそれが言えるわけで、必要以上に家具を置かない。
申し訳程度に来客用のソファとテーブルは置いてあるものの、アレクセイなどの執務室と比べると随分殺風景に見えてしまうくらいだ。

だが、その殺風景なはずのヒースの自室には、部屋全体を飾り立てるようにして大小様々な可愛らしい袋や箱が並べられていた。
ピンク、ピンク、レッド、ピンク、イエロー、ピンク、ピンク、オレンジ……。
とにかくピンク色が多い。

執務机や来客用テーブル、はたまた先程ヒースが落とされたベッドの上にも、その甘い香りを漂わせているブツは置かれてある。
きっとこの配置を考えたのは部下共の仕業だろう。
悪意が滲み出ている。というか悪意しかない。

口角が変に持ち上がり引き攣った表情でヒースは壁に掛けられたカレンダーに目をやった。
見るんじゃなかった。



「……今日俺は死ぬかもしれない」

「あ、それならこの書類今のうちにチェックしといてください。死ぬ前に」

「俺も俺もー」

「……俺の部下がこんなに辛辣なわけがない」

「執事長、コイツら元々こんな感じでしたよ」

「そうだったか……」



何でこんな朝早くからこんな目にあうのだろうか。
軽く泣きそうなんだが。

壁に掛けられたカレンダーが示す日付は、2月14日。
今日はバレンタインデーだ。









[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ