夢
□木手君と日直
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一人だけの教室で、ホッチキスを閉じる音だけが不規則的に不器用に響いている。外から聞こえる部活動の掛け声なんかはやけに遠く感じられて
、ここだけ隔離されたかのような寂しさが付きまとう。早く帰りたいのに…机の上のプリントの山を見ては溜息を何度もこぼしていた。
本来ならもう帰っているこの時間。それなのに今日は日直だからちょうどいいなんて適当に担任に引き留められ、雑用を押し付けられて今に至る
。単純作用は嫌いじゃないけどこんなにも憂鬱な気分になるのは一つ目に好きじゃない担任なんかに雑用を頼まれたからということ、二つ目に今
日は早く帰ってドラマの再放送を見たかったからということ、そして最後に。
「…おや、そっちはまだ終わっていなかったんですか」
木手君と同じ日に日直だったからということ。彼も資料運びの雑用を頼まれていたけどもう終わったらしい。呆れたような顔をして、やれやれと
溜息を吐き、私の前の席に腰掛ける彼が、私は苦手。どこがと言われれば困るんだけど。目つきが怖いからかな。妙に威圧的だからかな。丁寧な
言葉遣いが逆に馬鹿にしてるように感じるからかな。転校生の私にとっては標準語を喋る彼の言がとても聞き取りやすくはあるけれど。
「さっきから全然減っていませんね」
「ご、ごめんなさい…」
だって不器用なんだもの仕方ないじゃない!とは言えず、飲み込んだ言葉を素直な謝罪に変えて吐き出した。見られるほど、そんなことを言われ
るほどもたつく手元。上手く閉じられず針が曲がって…ああもう、やり直さなきゃ。何だか耳が熱くなってきた。そんな見てないでよ…。
「律儀な人ですね。こんなの適当にやってしまえばいいでしょうに」
「…あの、木手君は資料運び終わったんだし、これ私やるから、もう部活行っていいよ?」
ナイス自分。これなら彼を気遣ってるっぽいし気を使わせなくてもいいし一人でのんびりやればいいし。
と、思ったのに彼は席を立つでもなく首を縦に振るでもなく退屈そうにプリントを一枚手に取って眺めただけ。
「仕事を君に丸投げして放っておいただとか、言われたくありませんからね」
「誰も言わないよそんなこと…本人がいいって言ってるのに」
あ、また閉じ損じた。変に曲がった針が徐々にたまってく。あと30部くらいかな、だいぶ終わった気がする。というかそんな風に言うなら木手君
も手伝ってくれればいいのに。あ、でもホッチキスも無いし彼はもう資料運びと言う仕事を終えてるんだ。…ますますもう行ってくれていいのに
。
「…君は、俺に早く行ってほしそうですね?」
「えっ、そんなこと、ないよ」
妙な早口は図星だと言っているのと同じようなものだったとすぐに反省する。てっきり気分を悪くすると思ったのに、木手君はそうでしょうねと
鼻で軽く笑った。
「俺に見られると緊張するのですか?」
「あの…うん、少し」
パチン、パチン。早く、終われ。こわいからドキドキしてるんだよね私。あと10部。
「あなたはいつも一生懸命で、見てて飽きないですね」
「…そう、なんだ」
あと一回、ホッチキスを閉じれば。私はプリントの山を抱えて職員室まで走って先生に渡してすぐに帰れる。
「ええ、小動物の様でかわいらしいですよ」
「っ…!あっ」
終わったと思ったのに、最後のプリントはひらひらと机から落ちていった。最後の最後で針が一つ足りなくて。私は椅子を半ば蹴飛ばすみたいに
立ち上がってすぐさま落ちたプリントを拾った。頭上からくっくと意地悪そうな笑い声が聞こえてきて、ああ、頭を抱えたくなる。
「少し、苛めすぎましたかね」
木手君は私が拾った紙を奪うと躊躇いも無くびりびりと破いてしまった。鞄を持って、ゴミ箱に千切ったプリントの残骸を捨ててから私のほうを
ちらりと見る。
「印刷ミスで1部足りなかったようですね」
そう言い残して去って行った。また一人になってしまったこの教室で、私はざわつく胸を抑えるのに必死。だから木手君って苦手なんだ。その気
もないのにからかってくるから。私が緊張するって知ってて見てくるから。私に気にさせるようなことするから。
「…なんでいじわる言うのよ」
いじけたような声が橙色の教室の中に溶けて消えた。