短編1

□las hojas
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【種】


マンサムはこの研究施設のトップということもあり、なかなかに忙しい男だ。

故に、そう頻繁にカイリの部屋を訪問できる訳ではない。

それでも、彼は時間を作っては彼女の元を訪れ、様々な知識と教養を伝授していった(内容が若干アルコールに特化していたのは彼の中ではご愛敬だ)


まずは文字を

同時に様々な単語を

そして、この世界の、グルメ時代の価値観を


そして―


「では、『クスクスクース』に一番合うのはバブリートロなのですね?」

「そうだ!あの泡盛の中でも最上級、飲めば自然と愉快な気持ちになって笑いが止まらなくなるというクスクスクースの存在感に対抗しようとしても、並大抵の食材では歯が立たん」

「歯が、立たない…。…歯が寝てしまうのですか?」

「そうだ!最後には酔い潰れて千鳥足だ」

「チドリ…の足…」

「その存在感に、敢えて繊細な風味のバブリートロをぶつける事で、お互いの主張に対して繊細になれるんだ。つまりクスクスクースの後のバブリートロに焦点を当てた舌が、より次のクスクスクースを強く感じ…」

「はい。覚えておきます、マンサム所長」

「何!?今ハンサムっつったか!?」

「いいえ、マンサム所長とお呼びしました」

「そうかそうか、ハンサムか!」

上機嫌に笑いながら、マンサムはカイリを眺める。
熱心にメモをとる姿は勤勉で健気で、そしてどこにでもいる普通の女の子だ。

驚くほどこの世界について何も知らなかった彼女も、こうして一緒に時間を過ごし、他愛もない会話を通して随分と一般常識を身に付けた。

少し感慨に浸っていた彼に、メモをとり終えたカイリが顔を上げてにっこりと微笑む。


「はい、マンサム所長はハンサムです」


「―っ!」

その瞬間、身体中にジワリと広がった高揚感を誤魔化すように、マンサムは手元の酒をぐびりと飲み干した。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



彼女の持つ力について、若干ではあるがその仕組みは解明されつつあった。

彼女が特定の物質を呼べば、それが水であれ炎であれ何かの成分であれ、それを動かす事ができる

彼女が特定の人物に対して何かを要求すれば、よっぽど身体能力に秀でた者でなければ強制的に体を動かされてしまう
(『あっちに行って』と言われれば、あっちへ行ってしまうという訳だ)

そして、「貴方は◯◯です」と言われた時のその影響力―

最初は自分の名前から冗談半分に言っていたマンサムのジョークは、1年、2年とカイリから『はい、所長は本当にハンサムです』と言われ続けた結果、彼の中で真実となりつつあった

最近、彼は本当に自分がハンサムに思えて仕方がない

「ハンサムだろ?」という質問が、彼女の声で肯定される瞬間、その小さな声がしかし確かな影響力を持って己の細胞1つ1つに響き渡る感覚は、なんとも言えない心地良さを彼に与える

その一方で、部下である猛獣使いからのリアクションはカイリの反応と対極で、一体どちらがより真実を告げているのか、もう彼自身では判断が付けられなくなっている


カイリの声は、本人も、またそれを聞く相手も、意図していない部分に作用する事があるようだ


彼女の保護(という名の隔離行為)も2年目を過ぎようとしている今、自分がハンサムだと本気で信じて疑わない男になってしまったグルメ研究所の所長から考えて、他の者との接触を極力避けさせ、たった1人で彼女の能力を検証し続けてきた彼の判断は間違っていなかった、と言えた





「どうだカイリ、今度このハンサムなワシと一緒にどこかに出掛けてみんか?ピクニックでも、買い物でも、飲み歩きでも良いぞ!まだ未成年のお前はジュースの飲み歩きになるがな!ばっはっは!」

「……いえ、私は…」

途端に表情を暗くしてカイリは俯く。

そしてそれっきり口を開かなくなってしまった。

(まだ早過ぎたか…)

マンサムはすぐに話題を変える事にし、第一ビオトープ内の珍しい生き物達の話をし始める。



自分の言葉がどんな災いをもたらすか分からないと知った彼女が最初に選んだのは『沈黙』だった

2年経った今でも、よほど気持ちが穏やかで落ち着いている時以外は口を開こうとはしない。そしてその時でさえ彼女は『口にしても何も起こらなかった言葉』だけを慎重に選ぶ。

そして同時に、『外へ出る』という行為を何よりも恐れていた。

確かに、彼女がこの部屋の外に出る時、それは研究者達の実験に協力する為か、もしくはグルメコロシアムに参加する為であり、そのどちらもカイリにとっては苦痛でしかない一時のようだ。

しかしそんな事よりも彼女が一番避けたかったのは、自分の世界を広げた結果新たに誰かを傷付けてしまう事であり、故に彼女の一番の望みはこのままこの小さな部屋の中で誰にも会わずにひっそりと静かに、いつかやって来る終わりの日を迎える事だった。


知識を得て、自分を知りつつある今、カイリは自分に対して否定的な感情しか抱けないでいる。

誰かにはっきりと言われるまでもなく、このままこの白い部屋から出る事なく終わろう。
その日が来るまで、少しでも周りに迷惑をかけないように、それだけを考えて生きていこう、と

それが、何人もの優秀な人材を殺めてしまった自分にできる唯一の罪滅ぼしだと、カイリは信じていた。
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