短編1
□las hojas
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【木】
「美味しい美味しいネオトマトさん。あなたはこれから素敵なサラダになるのよ」
それから数週間後、ココはいつものように定刻に帰宅する。
フグ鯨の捕獲からようやく日常が帰ってきたような、嵐の前の静けさに過ぎないような、そんな不思議な感覚に襲われながらも目に写るのは穏やかな夕暮れだ。
いつものようにココを出迎えたカイリは、すぐに料理の仕上げに取り掛かる。
「ドレッシングと絡み合うのよ。奥深くまで染み込んで、でも染み込み過ぎてはダメ」
食材に語りかけるカイリは、楽しそうにまな板の上に笑いかけ、独り言を続けながら楽しそうに作業する。
一見ただのお喋りな料理風景に見えるこれは、しかしココの目からすれば面白いもので、今日もついキッチンの入り口に肩を預けてその光景に見入ってしまう。
「セレ豚は、じっくり煮込んであげますからね。骨まで柔らかくて、ポロリと崩れるような、そんなスペアリブになるのよ」
他愛もない言葉を並べる彼女の口元から溢れる電磁波が、ゆるりと食材と結び付き、確かな変化をそこにもたらす。
「今日も美味しそうだね」
そう呟けば、振り向いたカイリが嬉しそうに笑い返し、作りかけの一部を箸で摘まみ取ってから、ココに「あーん」と差し出してきた。
はい、あーん
そう言われた体は膝を曲げ、口はパカリと開いていく。
慣れてくればこの類いの拘束力を跳ね返す事は造作もないだろう。
しかしココは敢えて笑顔でそれと気付かれないように、さりげなくその命令に身を委ねる。
「ん、おいしいね」
にっこり笑えばカイリは少し照れたように「ありがとうございます」と礼を言う。
どうやら自分が力を使ってしまった事には気付かずじまいのままらしい。
つくづく、恐ろしい能力だ。
最近メディアツールを使ってどんどん知識を増やしている彼女が、例えばいつかコメディアンの決め台詞なんかにハマってしまったとする。
それで、彼女から『お前もう屁ぇこいて寝ろや』なんて言われてしまった日には、問答無用で自分は放屁しながら昏倒してしまうのだろう。
実に恐ろしい
恐ろしいと言えばもうひとつ
くるりとエプロンを回して料理の盛り付けにかかったカイリは、この数週間で驚くほど体が成長し始めていた。
長い冬に耐え、再び太陽の光とたっぷりの水を与えられた植物が急激に新緑を伸ばしていくように、彼女もまた精神的に一回り成長した事で生きる事に対する戸惑いが消えたのだろうか。
その成熟していくスピードは驚くほど早く、もしかしたら未成年というのは誤診で本当は限りなく成人に近い、大人の女性なのかもしれない、と数日前からココは見立てるようになっていた。
(勿論、中身は依然無知な少女のままだが)
あの日見た電磁波のままに、今の彼女は瑞々しい一輪の花のようだ。
そんじょそこらの奴にはとてもじゃないが触れさせてやる気には…
と、そこまで考えてハッとココは我に返る。
「ココさん?どうされました?」
「いやね」
左肩を壁に預けたまま、思わず腕組みをしてココは内心の動揺を押し留める。
「トリコが別れ際に言ってただろう?リンちゃんみたいな猛獣使いとして生きてみたらどうかって」
「はい」
「でもボクは、カイリちゃんが向いているのは料理人じゃないかな、って考えてたんだ」
途端にカイリが顔を輝かせる。
「料理人?小松さんみたいにですか?」
チクリ、と
胸に細く小さい痛みを感じてココは一瞬表情を固める。
「そうだよ。今度彼のレストランに行く約束をしたからね。ゆっくりいろんな話を聞かせてもらおうか」
「はい!」
元気よく返事をするカイリを見ながらココは、あの時洞窟で小松を助けるために能力を開花させた彼女の立ち姿をもう一度思い出す。
(確かに2人なら背格好も釣り合うし、きっとお似合いだ)
なんとなくモヤモヤしたままそんな事を考えるココを眺めて、今度はカイリが首をかしげた。
(小松さんにお会いできる機会が増えたらきっと喜ばれると思ったのに、違うのかしら?)
「……ココさん?」
なんだかおかしな様子のココを訝しげに見上げると、突然ココが1つ頷いて不思議な事を言った。
「カイリちゃんが花なら、僕はトゲだろうね」
君を、おかしな害虫から最後まで守ってあげるよ
「え?」
「あ、いや」
自分の咄嗟の発言にココは我ながらボクは何を言ってるんだと動揺する。
「私が、花…?…そんな、それにココさんは、えっと」
対するカイリは、花の部分はすっ飛ばして、トゲだなんてまたご自分を卑下されて…あなたは太陽のような人なのにと思いながらも、やはりそれを言葉にする事は躊躇してしまう。
それはどう考えても危ない言葉だ。安易に口にするべきではない。
それでも、どうしても伝えたい。
禁句を用いず、どう自分の気持ちを伝えるか……
カイリは例の如くたっぷりの沈黙の後で躊躇いがちに口を開いた。
「……あの、太陽は毎日死んだり生まれたりしますけど、ココさんはそんな事ないじゃないですか。だからすごいと思うんです」
「太陽が、死ぬ?」
「はい」
ココは突然真剣な顔をして始まったカイリの主張に目を丸くする。
「あのね、カイリちゃん」
「はい」
「太陽は別に死んだりしないよ」
「………え?」
今まさに沈み行く太陽を見ながら、ココは参ったな、と思う。
「この大地は球体で、太陽は反対側を回ってもう一度姿を見せているに過ぎない。いや、むしろ回っているのはこの大地の方か」
「………?………?」
一瞬で混乱の極みに達するカイリの様子にふっと息を漏らし、彼女の肩を取りココは沈み行く夕日を眺めに屋外へと向かう。
紺色の色みを深くし始めた空をバックにして、最後の輝きを背に受けたココのシルエットがドアの向こうに浮かび上がる。
カイリのシルエットはそっとそれに重なったまま扉をくぐり、
やがて夕食の暖かな香りを漂わせた玄関の扉は、静かにパタリと閉ざされた。
〜fin〜
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