短編1

□las hojas
9ページ/48ページ

【芽】


それから更に数ヵ月後、カイリの生活が何か変わったかと聞かれれば、特にそこまで変化があった訳ではない。

ただ、カイリは少しだけ自分の能力に対して積極的に検証するようにはなっていた。


いくつか、マンサムに報告出来る事の発見にも成功する。


まず、彼女の言葉は、彼女自身には全く影響を与えない。

『眠れ』と自分に言ったところで眠気が増す訳でもなく、マンサムから頼まれた酒の肴を調理中、うっかり切ってしまった指先の傷を眺めて試しに『治れ』と命じたところで何も起きたりはしなかった。


また、実現不可能な指示に対しても、何も反応は起きない。

『生き返って』と叫んだところで死んだ生き物が息を吹き返す事もなく、グルメコロシアムで興奮しきった猛獣達に『みんな仲良くしようね』と提案したって何も起きない。

動けとか、止まれとか、そんな事ぐらいしかできないこの力…

つまり、この声では、周りに嫌がられる事くらいしかできないのだ

誰かを癒す事も、助ける事もできない

誰かに害を成す為にのみ有効な、正に忌むべき力だ


ふと、カイリ部屋の内線が呼び出し音を鳴らす。

「はい、カイリです。はい…はい、ではすぐに準備して伺います」

知れば知るほど、自分にも、この力にも存在価値などないのだと痛感するばかりだが、それでもあの日、胸に落ちた希望の種が、カイリの中で確かな存在感を放ち続けている。

四天王、ココ…

マンサムからつまみを作るよう依頼され(内線で連絡をくれるのは彼だけだ)グルメ研究所内の厨房へと向かいながら、カイリはついいつもの癖でその名を心の中で小さく呟いた。


太陽の見えない、壁に囲まれたこの世界で、今の彼女にとって唯一の希望


それが彼の存在だ


自分と同じ第一級危険生物の扱いを受け、科学者達に好き勝手利用されそして、それでもそこから自分の世界と地位を己の力で見出だした人


チェインアニマルとして生きる年月を重ねれば重ねる程、それが如何に実現困難な偉業かをカイリは実感し、そしてそう実感すればする程、彼の凄さに彼女の気持ちは知らず高揚する。

何故かは分からない

自分のこの感情を上手く説明する程の語彙をまだカイリは手に入れていない

それでも、このままここで一生を終えると決めた人間が―

何人もの命を奪い、残りの人生何一つ良い事が無かったとしても当然の報いだと受け止めるべき自分の存在そのものが―


彼の偉業によって救われる気がするのだ


―私には、到底出来る事ではないから―


厨房に辿り着き、カイリは入り口を開ける。

たまたま中にいた何人かの職員が「ヒッ」と小さな叫び声を上げて慌てて退室して行った。

入り口の外で俯いたまま彼らを見送り、その背中にそっと「ごめんなさい」と声をかける。


―だからこそ―


今日のツマミはホワイトアップルのシードルに合う物で、と依頼されている。

甘めのカクテルはあの所長の趣味とはずいぶんかけ離れているが、きっとそれはなにか理由があるんだろう。


―だからこそ私は―


バナナキュウリをスライスして、プラチナレモンを少し添える。
ライチーズの爽やかな酸味も、あのカクテルによく合うだろうと、切り分けて少しだけ暖める。


―成功した彼に、私の分まで幸せになってもらいたい―


勝手な事を言っているのは承知の上だ。


こんな身勝手な感情を抱いているなんて、本人がもし知ったら嫌がるだろうな


でも


「私はそれだけで十分幸せ…」



それだけそっと声に出し、カイリは厨房を後にした。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ