短編1

□las hojas
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目覚めるとカイリは不思議な空間にいた

何もかも真っ白でやたらと眩しい部屋だ



「R1185室からメインセンターへ。検体の意識レベルが上昇中、間もなく覚醒するものと思われます」

どこからか声が聞こえる。

カイリの喉の奥から呻き声が漏れた。





「お目覚めね、気分はどう?」

誰かが不思議な質問をしてくる。


気分はどう?
どう…って?


そんな質問をされた経験のないカイリは質問の意図を考えてみようとしたが、その試みは無意識の内に出してしまった彼女自身の呻き声と、同時に認識された喉の痛みに一瞬で思考の隅へと追いやられてしまう。


熱い…
違う、痛い!
息ができない!

カイリは喉元を掻き毟る

どうしてこんなに苦しいのだろうか?

焼け付くような喉の痛みに混乱しながら、彼女はただ体を捩(よじ)らせるしかなかった。

「どうしたの!?」

驚いたように尋ねてくる声に、いけないと知りつつもカイリは無意識の内にささやかな願いを口にする。


「ミズ……水…を」


「水が欲しいのね?」


ミズ、ミズ、とうわ言のように繰り返すカイリに、長い黒髪をふわりと揺らめかせた先程の女性がコップに水を入れて差し出してきた。



水、だ


欲しい


あれが欲しい


一旦そう思うと、もう欲望に歯止めはかけられない


「欲し…水、水」


「え?っあ!?」


カイリの弱々しく差し出したその手が彼女の持つコップと触れ合おうとした次の瞬間、女性の口から困惑の声が発せられ、すぐにそれは驚愕と恐怖で叫び声へと変わっていった。


その女性はたまたま検体の意識が戻るまでこの部屋の番を任せられた新米研究員で、今回の手術には直接関わっていない

ただ、彼女の意識が戻るまでこの場に待機するよう命じられた見張り役に過ぎなかった



辺境の立ち入り禁止区域で発見された一台のトラック

生物兵器に襲われ、搭乗していた少女達(恐らくは不法な人身売買の犠牲者だろう)の殆どが息絶えていたその中で、満身創痍ながらも辛うじて心拍の確認された彼女をグルメ研究所に持ち帰り、グルメ細胞の移植手術をしたのはつい2日前の事だ。

移植手術を施さなければ絶対に助からないであろう、身元不明の貧しい身なりをした少女

近年、倫理的観点から臨床件数がめっきり少なくなっていた移植手術を断行する格好のケースを研究熱心な職員が逃すはずがなかった


それが、現在知り得ている彼女に関する経緯の全てだ


検体が覚醒すればその旨を連絡してまた雑用に戻る


それがこの女性研究者の今日の予定となるはずだった


そして、それは永久にキャンセルされる事となる





消える事のない喉の痛みに思考を支配され、霞む視界の中でただひたすらに水を求め続けたカイリは目の前の惨状に全く気付かなかったが、検体覚醒の連絡を受け部屋にやって来たスタッフ達は目の前に現れた光景に全員がその場で固まった。

この光景が何を意味しているのか、俄には信じがたいものだったからだ。

室内では、たった今目覚めたはずの少女がベッドの上でなぜかびしょ濡れになっている。

そして床には枯れ枝のようなものが横たえられていた。

枯れ枝は白衣を纏っていて、枝の先っぽはコップに絡み付いている。

艶々とした黒髪がやたら不釣り合いにさらりと床に広がっていた。


全身から水分が抜けてミイラになった女性は、間違いなく先程検体覚醒の報告をした研究員の成れの果てで、狭い部屋の中は途端にパニックに包まれる。


「こ、これはどういうことだ!?」
「今すぐ所長に連絡しろ!」
「酷い……一体どうやったらこんな事に…」


喉元を手で押さえ、額に脂汗をかきながらも、突然慌ただしくなった周囲にカイリがなんとか顔を上げて見れば、真っ白い服を着た大人達が大騒ぎをしながら白衣のミイラを取り囲んでいた。

「身体中の水分が一瞬にして抜かれている」
「この硬度を見ろ、水分残留率はほぼゼロだ」

「ねぇ、あなた?」

その中の1人がひきつった微笑みを浮かべてカイリの方を向く。

「私達は悪者じゃないのよ?あなたを助けてあげたの。覚えてる?」

女性の猫なで声に周りの大人達が、そうだ、そうよ!と同調を始める。

「あなたは事故に遭ってひどい怪我をしていたの。私達が手術をして、それで助かったのよ」

だから教えて、と研究員達はミイラを掲げる

「これ、どうやったの?」

何をしたの?
元には戻せないの?

そう聞かれ、未だ痛みの引かない喉に苦しみながら、それでも必死にカイリは考える。

何をしたの?って…?

自分は、何をした?

私はただ、欲しかっただけ

水が、欲しかっただけ…

それがいけなかったんだろうか?

ずぶ濡れの髪を伝い、頬から唇へとやって来た滴を唇で受け止め、少し痛みの収まった喉に改めて周囲を見渡し、考える。

まさか、自分が水を欲したから先程の女性はこんな事になってしまったんだろうか?



…元には戻せないの?


…分からない…


「ごめ……なさ」


理屈などさっぱり分からないが、ここにいる人達がそう言うのだからきっと自分がこんな事をしてしまったのだろう。


殴られてしまう前にカイリは痛む喉で必死に謝罪を音にする

水は、いりません

だから戻って

彼女に戻って

カイリは必死にそう願う

一体何がどうなっているのか分からないまま、それでも見る影もなくなってしまった美しい女性に向かって必死にカイリは喉から声を絞り出した。


「お願い、元に戻って……!」









―その日、覚醒した彼女の部屋を訪れた研究員5人は、全員が死体で発見された。


1名は謎のミイラ化を遂げ、残り4名の死因は『溺死』


皆、肺をことごとく水で満たされ、火も水も窓もない密室の中、ミイラのような元女性研究員に折り重なるようにして倒れていた。


その後、駆け付けた別の研究員は「来ないで」と言われ下半身の機能が一時的に麻痺する。



僅かな期間に何人もの大人達が苦しみながら息絶えていく様を見せつけられた少女はすっかり錯乱し、猛獣捕獲用の麻酔銃で撃たれるまでただひたすら謝罪の言葉を繰り返していた。



―こうしてカイリはその日の内に第一級危険生物に指定される―

その後、隔離生活は3年に渡って続けられる事となった。
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