短編1
□las hojas
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なにかが、ある
カイリは漠然と、しかしはっきりとそう思う。
私の内側には何かモヤモヤとしたものがあって、それが何かの周りを取り囲んでいる。
今まで知らなかった、知ろうともしなかった己の内面を今こそ明らかにするべく、そのモヤモヤの正体を、その奥底にあるものを必死にカイリは見つめる。
今、見付けないと
何故、強烈にそう思ってしまうのか、理由を説明する事はできないが、見付けなければという危機感に似た焦燥感にカイリは必死に自分の気持ちを表す言葉を探し出す。
ココさんを見ている時、ココさんの事を考えている時、私の鼓動を早めたり、胸を苦しくさせたりする、これは……この感情は……
嫌、なんて気持ちじゃない
これはそんな感情じゃない
これはもっと強くて、もっと暖かくて、もっと苦しくて
次の瞬間導き出された答えに、ハッとカイリは一度細く息を吸い込む。
「…要りません」
それから、数秒間の沈黙の後、カイリはふぅ、と息を吐くように一言告げた。
「遺書は、特に要りません」
それだけで、それまでの体の強張りが嘘のように解けた。
「渡す人がいませんから。マンサム所長にだけ『お世話になりました』と伝えて頂ければそれで十分です」
―生きたいように、生きる―
カイリはついさっき耳にした言葉に、思わずふっと笑う。
―そんなこと、できる訳ないじゃない……
否定的な言葉を思い浮かべるその口元に浮かんだのは自嘲の笑みではなく、むしろ今までで一番自然で、さりげない、それでいて綺麗な微笑みだ。
「ココさんも」
そう言ってココを見上げれば、突然の遺言に想像以上に驚いた顔をしている。
それが何故だかおかしくて仕方なくて、カイリはふふっともう一度笑った。
「今まで本当にお世話になりました。私が死んだら頂いた物は全てお返しします」
あぁ、生きるって、こういうことなんだ
ペコリとお辞儀をしながら軽く目を閉じ、カイリは自分の人生を振り返る。
私は今まで本当に幸せだった。
欲しいものなんかひとつもなくて、何かを望んだ事もなくて、ただ、自分を卑下して諦めて、何も知らないまま全てから目を背けて。
それは紛れもなく『幸せ』だったのだと、今なら分かる。
同時に、『生きている』とは言えなかったのだ、とも……
カイリは顔を上げて真っ直ぐココを見つめた。
今、私には欲しいものがこんなにも沢山ある。
私の中心にあったのは、何てことはない、ただ醜く浅ましい独占欲だった。
彼のそばにいて
私だけ彼のそばにいて
彼とずっと一緒で
片時も離れないで
彼の隣に私だけが
……望んだって叶う訳がないのに―。
それでも、欲するという感情を知ってしまったらもう後に引く事などできない。
具体的な形を無に返すのは容易ではない。
満たされずとも現状に満足していた心は不平不満を抱くようになり、後はただからっぽだと知ってしまったその心をもて余しながら耐えるだけの日々が待っている。
「死ぬかもしれない機会ができて良かったです」
なんて酷い話
私の人生、本当にツイてない
いっそ清々しい気持ちでカイリはそう思う。
「ココさんに、やっと日頃のお礼が言えました」
それでも、もう昔に戻りたいとも思えない。
『生きる』とは、生きたいように生きること
そして生きたいように生きられなくても、生きること
カイリはココの瞳の色を脳裏に焼き付けるように、そう告げながら彼の顔をじっと見つめ続け、それから「本当に、ありがとうございました」ともう一度お辞儀をした。
「……死なないよ」
ポツリとココが呟く。
「死なないから」
もう一度繰り返されたフレーズは、真っ直ぐカイリに向けられている。
「お!占い師の言葉がありゃ安心だ。じゃぁそろそろ行くか!待ってろよーフグ鯨!」
腕を捲る仕草をしながらトリコが歩き出せば、少し顔を赤くした小松がそれに続く。
謝罪の言葉を口にすることなくそれに続こうとするカイリを、ココがそっと呼び止める。
「本気なんだね」
「はい」
「宣言できる?」
「……はい」
突然の問いかけに躊躇いながらも、カイリはココの意図を理解し、背を伸ばす。
「私も一緒に行きます。ココさん、つれて行って下さい!」
「しょうがないね」
キッスに向かって歩き始めたココが少し振り向いて「待っててあげるからもう少し動きやすい格好に着替えておいで」と告げる。
カイリは慌てて家に向かって走り出した。
急げと言われて急いだ事なら今までの人生何度もあったけど
急ぎたい、と思ったのは初めてだな、と、カイリはしみじみと感動した。
〜おまけ〜
「なんじゃその格好は〜〜〜〜!」
トリコは着替えてきたカイリの服装を一目見るなりそう叫ぶ。
「動きやすそうじゃないか」
Tシャツにガーゴパンツのカイリをキッスに乗せながらココはただそう返す。
「いや、機能性の問題じゃねぇって!だからなんてそんな柄選ぶんだよ!ココ!ていうかお前が選んだのか!?」
「彼女の本質に近いと思ったんだ。実際そうだろう?ね、カイリちゃん?」
「はい、私もそう思います」
胸の部分に3匹の猿が描かれたTシャツを身に付けたカイリは至極真面目に2度頷く。
猿はリアルなタッチで描かれていて、一匹は両目を、一匹は両耳を、そして最後の一匹は口を両手で押さえている。
「これがカイリの本質って…。お前相変わらず酷いな」
「た、確かにこれは全然嬉しくないかもですね…」
『見ざる・聞かざる・言わざる』のTシャツを身に付けたカイリは、自分の服装を一度眺め、それからココと顔を合わせ、最後にトリコと小松へと目線を移した後で思いっきり首を横に傾げた。