短編1
□las hojas
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(……こ、これは!)
カイリは驚愕のあまりその場に立ち尽くす。
「うわぁ、お、押さないで!ちょっとみんな落ち着いてっ!」
見開いた目を瞬きさせる事すら忘れてしまったカイリの脳内は、未知の映像と想定外の事態に困惑の極みに達している。
…が、実際の光景はそこまでショックを受ける様なシリアスな情景でもなかった。
「きゃー!ココ様よ〜♪」
「どうして今日はもうお店を閉めてしまわれたのですか!?」
「あっ!もしかして私に会いに来てくださったんですか?」
「ちょっと!おばさんが何ウザいこと言ってんのよ!アタシに会いに来て下さったに決まってるじゃない!」
「ココ様、明日はクエンドンが出没する日なんですよね!私怖いです〜!明日は一緒にいて下さい!」
「あぁ!ダメだよ!ボクに触らないで」
少し離れた場所、というより徒党となって押し寄せた女性陣に押し退けられた場所から、必死にその場をなだめようとしているココをカイリは凝視する。
(これは、皆さん、ココさんを攻撃してる訳では……ない?)
どうやら彼女たちはココと話がしたいだけらしい。
確かに彼は素敵な人でカリスマだから、皆がそう思うのも無理はない。
女性達の勢いに最初は驚いた彼女だったが、やがてそんなに慌てる事態でもないのだと理解して徐々に落ち着きを取り戻す。
そして、一旦落ち着けば今度は「自分は一体何をそんなに驚いていたんだろう」と自問する時間がやって来た。
確かにこの光景には驚いた。
あんなに慌てている彼を、この短い付き合いの中ながらもカイリは始めて見た。
しかし彼女を驚かせているのはどうやらそんな事ではない。
歓迎されていないと分かった上で、己の欲望に忠実に振る舞う女性達の楽しそうな姿。
彼の優しさに全身で甘えて、『許されて当然だ』と信じて疑わない幸せそうなその笑顔の、無邪気とも無節操とも言える明るさにカイリは衝撃を受けていた。
カイリがかつて過ごした場所では、現場を指揮するのはいつだって大きな男で、彼の機嫌を損ねた者は皆容赦なく殴られたり蹴られたり棒や鞭で叩かれたりしていた。
必然的に、カイリを含め誰もがその男の機嫌を伺うようになる。
彼を怒らせるような事はしない、言わない、思わない。
そうする事が最も懸命な判断であり確実な保身の手段だった。
結果、カイリの行動規準は『自分がどう思うか』ではなく『相手がどう思うか』になり、今も尚、欲や希望を抱く事に対する罪悪感は常に胸の内の表層部分を覆い尽くしている。
(……私も、あんな風に)
長年の習性はそう簡単には修正できない。少しだけ頭をもたげた欲望に、身体中の細胞が途端に警鐘を鳴らし反応する。
何もしてないのに、きゅうっと締め付けられるような痛みを感じた胸元を押さえ、カイリはもう一度人だかりに目を向ける。
(私は役立たずで、人殺しで、価値のない、お荷物だけど)
女性達は皆一様に美しい衣服に身を包んでいる。
少し前のカイリだったら、それを見ただけで同じ空気を吸うのも憚れると申し訳なく俯いてその場を離れただろう。
(私には、あそこにいる資格なんてないけど……)
しかし今、カイリは彼女たちに引けをとらない服装をしている。
(だってこれは全てココが見立てたものだ、おかしい筈がない)
―でも、私だって……私、だって
ココと同じ時間を過ごしたい人がこんなにいる。
それなら、大人しく引き下がるべきだといつもなら息を吸うよりも自然に思えるのに
(私も…昨日の夜みたいに……あの嵐の夜みたいに、もう一度)
そんな事を思う自分の心を、カイリはどうしても押さえる事が出来ない。
「本当にすまない!もう行かなければ!それじゃっ」
人だかりを何とか抜け出したココが慌てた様子でカイリを探し、すぐに見つける。
「行こう、こっちだ」
前を見たまま、ココの手がカイリの手を取りそのまま走り出す。
突然引っ張られ、必死に付いていくもののあまりのスピードについていけず転びかけたカイリを腰から掬い上げ、ココはそのまま走り続ける。
カイリはココの脇に抱えられ、下から上を見上げる。
太陽をバックに何度か後ろを振り返りつつ路地裏へと逃げていく彼の顔を見ながら
カイリは抵抗する事なく、ココの腕にしがみつく手にぎゅっと力を込めた。