短編・番外編(ブック)

□ある男の独白
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「俺が死ねば良かったのに……」
 
 古臭い古城の一室で一人、男が静かに泣いていた。彼の口から紡がれている言葉は、虚しさとともに空気へ溶け込んでいった。不思議と、男の目からは涙が流れていなかった。それが、彼を一層自戒の念に苛ませていた。

「名前……さん?」

 名前は誰にも聞こえないくらいの声で呟いたつもりであったが、それはしっかりと名前の横にいたエレンの耳に入っていたようであった。名前の背後から、エレンの困惑したような声が聞こえた。振り返ってみると、やはりエレンが眉を八の字にしてこちらを窺っていた。

「あの……」
「悪い、考え事してた。なんでもないから、気にしないでくれ。……じゃあ、俺は部屋に戻るから」

 声はいつもの名前であったが、その様子は明らかにおかしかった。声を掛ければいいのかエレンが躊躇しているうちに、名前はエレンの横を通り過ぎて部屋から出て行ってしまった。エレンは、呼び止めることもできなかった。名前の、今にも壊れてしまいそうな弱弱しい背中を見つめながら、彼が一体どうしてしまったのか心配でならなかった。
 名前の様子がおかしくなったのは、第五十七回壁外調査が行われてから、間もなくのことであった。いつもは冷静で落ち着いた人物であったが、ここ最近はいつも物思いに耽っていた。そんな時、名前は虚ろな目をしており、どこか遠くを見ているようであった。話しかけようとしても、なぜか話しかけられない。そんな雰囲気を漂わせていた。今までの##NAME1##のイメージとは、かけ離れた姿だった。

「兵長、名前さんは夕食はいらないと言っていました……」
「そうか。放っておけ……」

 あの後、エレンはもやもやとしながら過ごした。名前の後ろ姿が、脳裏から離れなかったのだ。
 夕食の時間が差し掛かると、エレンは名前を呼びに彼の部屋へ向かった。夕食ができたと伝えると、名前はか細い声でいらない、と答えた。エレンは慰めの言葉が上手く見つけることができず、ただ了承の返事をしてその場から離れることしか出来なかった。
 リヴァイとエレンの二人きりの、空疎で静寂な食事が始まった。二人とも黙々と食事を続け、どちらかが根を上げない限り会話は始まらないだろう。今まではそんなことがなかった。いつも賑やかだった。ペトラやグンタ、オルオにエルドがいたあの時までは。
 
「……名前さん俺のせいだって言っていました。名前さんはなにも悪くないのに」
「あの男は普段冷静を装っているが、本当はああいう奴だ……」

 エレンは、自分の思うことをリヴァイに話してみた。もう自分一人では抱えきれなかったし、リヴァイならなにか答えてくれるのではないかという淡い期待があったのである。
 結果的に、リヴァイは一言それだけ言うと、それっきり沈黙してしまった。エレンは彼のその言葉に疑問を感じたが、リヴァイがなにも言おうとしなかったので聞くに聞くことができなかった。


 その日の夜のことであった。エレンはふと目が覚めてしまい、なかなか寝付けずにいた。頭には、名前のあの言葉がこびりついていた。

(俺が死ねば良いって、どういうことだ……?)

 考えても考えても、時間が過ぎるばかりで一向に答えは出てこない。そうしているうちに、段々と目が覚めてしまったので、エレンは外に深呼吸をしに行こうと思った。外の空気を吸えば、幾分かはすっきりすると思ったからである。
 夜の古城はとても暗く、エレンは手持ちのロウソクのわずかな光を頼りに廊下を歩かなくてはならなかった。最初は気味悪く、一人で歩くことに抵抗があったが、何度かしているうちに慣れてしまった。外に出るための廊下を通ろうとすると、ふと食堂から明かりが漏れていることに気がついた。エレンの持つロウソクと同じの、わずかな光であった。

(こんな時間に、誰だ……?兵長か?)

 恐る恐る近づき、部屋を覗き込んでみると、そこには名前がいた。名前は椅子に腰かけ、テーブルに頭を埋めていた。寝ているようではなかったが、彼はそこから動こうとしなかった。よく見てみると、名前の方は震えているようであった。声は聞こえないが、泣いているのだろうか。
 名前が頭を上げると、エレンは驚いて後ずさった。その拍子に、ロウソク台を誤って落としてしまった。大した音ではないはずなのに、静寂に包まれた廊下では大きく響いた。

「誰だ」
「……えっと、俺……」
「エレンか……。どうしたんだ、こんな時間に」
「名前さんの様子かおかしかったので、心配になって……」

 しぶしぶ名前の前に出ると、エレンはそこで見つかってしまったことが恥ずかしくなった。どうしたのか聞く名前に、正直に話したエレンは俯いた。エレンは嘘をつくことが得意ではない。幼馴染のアルミンのように、咄嗟の誤魔化しが思いつかなかったのだ。本人に言うつもりがなかったので、エレンは気まずくなった。

「そうか……。まぁ、座れ。そこにいると風邪引くぞ」
「あ、はい……。すみません……」

 名前に促されたので、エレンはテーブルの方に足を運んだ。名前の方へ視線をやってみると、彼の顔は疲労感を漂わせていた。声の調子はいつも通りだったので、名前のその顔にエレンは驚いた。多分、あれは名前なりに自分を取り繕っていたのであろう。

「寝なくて、良いんですか」
「……寝れないんだ……。眠ろうとしても、あの時の光景が蘇ってきて……」
「名前さんが悪いわけじゃ、ないじゃないですか……」
「ペトラにも、グンタにも、オルオにもエルドにも家族がいたのに……!あいつらを待っている人がいたのに!あいつらは死んでしまった……。俺が死んだ方が良かったんだ……。俺が……あいつらの代わりに……」

 頭を抱えて俯く名前に、エレンはふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じていた。悲痛に泣き叫ぶ名前に居た堪れなくなったのは確かであるが、エレンの中ではそれよりも怒りの方が大きかった。彼の気持ちは痛いほど分かる。だが、目の前にいる名前は、エレンの知っている名前と違う。名前はいつも冷静で、頼りになる存在だったのだ。本当は、エレンは名前にこんな風になって欲しくなかった。

「そんなこと、言わないでくださいよ!皆、今回の壁外調査で後悔してる……。でも、そうやってうじうじ考えてたって仕方ないでしょうが!!」

 エレンはテーブルに思い切り手をついて、立ち上がった。頭の熱が、沸点に達してしまったのであった。はっと我に返ったとき、エレンはしまったと思った。こうやってすぐ怒鳴るのは、自分の悪い癖なのだと自覚していた。エレンはゆっくりと、椅子に腰を落とした。
 突然怒鳴ったエレンに、名前はビクリと肩を震わせた。だが、すぐに顔を上げると、名前はエレンを見据えた。その目は、エレンに強い思いを訴えかけようとしていた。

「お前には分からないよ、エレン。お前にはな……」

 静かにそう言った名前を見て、エレンはゴクリと生唾を飲んだ。しばらく、二人の間に気まずい沈黙が続いた。
 沈黙を破ったのは、名前の方であった。名前は深呼吸をすると、静かに語り始めた。エレンは、それに黙って耳を傾けた。


 五年前、名前には家族がいた。父親は兵団を支援する商人をしており、厳格で立派な人であった。母親はそんな父親を影から支える、優しい女性であった。名前には兄弟がいたが、誰かを贔屓することなく、母親は分け隔てなく名前たちに接してくれていた。兄は父親に似て、勉学が得意であった。彼の頭の良さは、秀才というよりも天性の才能と行った方が正しかった。そのため、父親の家業は長男であり、頭脳明晰である兄が継ぐことになっていた。妹は母親に似て、心優しい性格をしていた。容姿も整っており、成長すれば美しい娘になるのは間違いなかった。
 名前は、そんな家族が自慢であった。生活もそこそこ豊であったし、なんの不満もなかった。だが、名前は家族と比較すると、不釣り合いなのではないかと思うほど平凡であった。兄のように頭が良いわけでもなく、妹のように容姿が整っているわけではない。だからといって、運動能力に秀でているわけでもなかった。父親も母親も、家族にはなにかしらを与えている。兄は両親から期待されており、妹は家族からも周囲からも愛されていた。自分が平凡である、と自覚していた名前に、両親は兄と妹と同じように接していたが、それが彼をより惨めな気持ちにさせていた。自分が平凡であるということが、浮き彫りになっていくように感じた。

「俺が十五の時だ。俺は、訓練兵団に志願することを決意した」

 名前が家族に話してみると、両親は名前に賛成してくれた。父親は渋々だったようだが、母は自分の好きなことをしなさい、と名前を後押しした。兄も妹も、名前に頑張れとエールを送ってくれた。
 数日後、名前は家族に送り出されて、訓練兵団に志願した。名前には夢があった。憲兵団になって、家族を内地に住まわせる。それが彼の夢であった。名前の家族は、南端の突出区画である、シガンシナ区に住んでいた。人類の脅威である巨人が壁の内部に侵入することはまずないが、できるのなら家族を一番安全な場所に住まわせてやりたかった。

「立派な夢じゃないですか……。自分の欲のために憲兵団を目指すやつとは、全然違う」
「本音をいうとな、それは建前だったんだ。本当は、俺は家族に認められたかった。憲兵団に入れば、自慢の家族に追いつけるような気がして……。だから、俺は訓練を必死になって頑張った。馬鹿みたいに毎日毎日、休日でさえも訓練をしていた。……その努力が認められて、上位十名に入れた時、俺は確信したんだ。これで、俺も家族の一員になれるって」

 名前は自分を嘲るような笑みを浮かべると、また話し続けた。
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