マギ(連載)

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 あの夜、ジャーファルの口からとんでもない発言を聞いてしまった俺は、本能的に部屋から飛び出した。扉に凭れ掛かり、そのままずるずると腰を落としていく。しゃがみこんだ俺は、そこから一歩も動けそうになかった。
 
(どういうことだ……?あいつは冗談を言うような男じゃねえし、第一、あいつは熟睡するぐらい酔ってる。それに……)

 あの目は、嘘をついているように思えない。酔うと本音が出ると言うが、そういうことなのだろうか。俺の頭の中は、あのジャーファルの言葉がぐるぐる回っていた。

「……き……、好き……。リュウイチさんが、好き……」

 うわ言のように、それでも俺の目を見て呟かれた言葉は、しっかりと俺の耳に入っていた。そして、その「好き」の意味が友愛という意味ではなく、愛情という意味だということも、直感的に理解した。友愛ならば、あのような目で俺を見ないからだ。
 俺は戸惑っていた。友人だと思っていた相手が、酔っていたとしても自分に告白した。それだけでも十分であったが、もう一つ、俺を戸惑わせるものがあった。ジャーファルの告白を受け、俺は確かにときめいたのだ。
 ジャーファルの赤く染まった頬に、汗ばんだ首筋、乱れた服、慈愛と憂いを帯びた瞳。そしてあの言葉。あの時、俺はジャーファルに欲情した。異性を見る時のような目で、ジャーファルを見ていたのである。今までに何人も交際していた女はいたが、このような感情を持ったのはジャーファルが初めてであった。それは本人が一番驚いたし、なにより自己嫌悪が凄まじかった。

(あいつは友人だ……。普通、友人にそんな感情は持たない……。それに、あいつは男だ。男にこんな感情を持つなんて……あるわけねえだろ)

 この時ばかり、俺は今が真夜中で良かったと、心底そう思った。誰にもこのような姿を見られたくなかったし、話しかけられたらなにを言ってしまうのか自分でも分からなかったからだ。変なことを口走りたくない、とそう強く思っていた。
 誰かに相談するなら、今ほど当てはまることはない。しかし、俺の妙ちくりんなプライドが、それを邪魔していた。
 
(……朝か……。結局寝れなかった)

 気がつくと、悶々とした感情を胸に抱えたまま、俺は朝を迎えた。窓から差す日の光が、小鳥のさえずりが、俺の心の仲とは正反対に清々しい。天気に恨むなんておかしいことではあるが、この時ばかり、俺は酷くこの晴天を恨んだ。

(あいつが起きる前に、どっか行くか……。どこ行くかな……)

 俺は重い腰を上げ、頭をポリポリと掻いた。寝ていないためか、頭がぼうっとする。そんなことよりも、俺はこの場から一刻も早く去りたかった。
 しかし、なかなか良い場所が思い浮かばない。中庭で煙草でも吹かそうか、と考えたが、生憎煙草は部屋の中だ。取に行くという考えは、俺の頭の中で消された。

「えっ!リュウイチさん……!?」
「うおおおっ!?」

 偶然なのか、はたまた必然なのか。運の悪いことに、俺がどこかへ行こうと足を進めようとした瞬間、後ろの扉が戸惑いがちに開かれ、中からか細い声が聞こえた。まさかの展開に、俺はらしくない声を上げる。――なんて、運がないのだろう。そう思わずにはいられなかった。

「よぉ……おはよう……」
「はい、おはようございます……。それでその……、私……」
「ああ、昨日ピスティから連絡があってよ、お前が酔い潰れたって言うもんだから、俺が迎えに来たんだ」

 戸惑った表情を浮かべるジャーファルと、昨夜のジャーファルの表情が重なった。俺ははっとなって、それを頭の中から消すように努力した。 なんとか笑顔を作って(引き攣っていたが)、ジャーファルに声をかける。申し訳なさそうに口を開いたジャーファルに、俺は聞かれてもいないのに昨夜の出来事を話した。声が震えないか、心配であった。

「ああ、そうだったんですか……。ごめんなさい、私リュウイチさんの……」
「いや、気にすんな。それより、お前体調大丈夫なのか?昨日めちゃくちゃ飲んでたみたいだけど……。今日は休んだ方が良いんじゃないか?」

 具合の悪そうな顔のジャーファルに、俺は気遣う声をかけた。大丈夫、普通に話せている。あんな目でジャーファルを見てしまったため、これからどうなるのか心配だったが、案外普通に(俺の心は普通ではない)話すことができるので、安心する。

「いえ、昨日は定時で帰ってしまいましたから、休んでなんていられませんよ。だから、早く支度して行かないと……」

 そう言って、ジャーファルは部屋から出ようとした。しかし、思った以上に二日酔いがきていたのだろう。ジャーファルは一瞬顔を歪めると、俺の方へ倒れ込んできた。反射的に、俺は両腕でジャーファルを抱える。顔が、近い。

「大丈夫か……?」

 ふわりと、ジャーファルは微笑んだ。なんだなんだ、この感情は。顔は近いし、体は密着しているし。以前もこういう場面はあったが、俺は特に気にしていなかったはずだ。「ジャーファル、大丈夫かな」なんて、呑気にそう思っていた。
 だが、今はどうだろう。眉を八の字にして笑うジャーファルを可愛いと思うし、こいつの髪から香ってくる香りが、とても良い匂いだと感じる。そして極めつけに、俺はジャーファルを思い切り抱きしめたいと思った。
 
「すみません……。でも、大丈夫です。このくらい、五日間徹夜した時と比べたら、大したことないですから」

 俺の腕の中から離れていくジャーファルに、心なしか寂しいと感じた。いやいや、違う。駄目だろう、そんなの。思い切り拳を握って、俺はなんとかその衝動を耐えた。

「それじゃあ、私、一度部屋に戻りますね」
「おう。仕事頑張れよ」

 すぐ隣の部屋に入っていくジャーファルを見送って、俺は深いため息をついた。そして、なにを思ったか、俺はここから走り去った。



 俺は王宮から飛び出した。ひたすら走り続け、気がつくと街の方に出てきてしまっていた。久しぶりの見慣れた街並みに、俺はここまで来てしまったのかと呆れる。 
 王宮に戻る、という選択肢がなかった俺は、街の中を人ごみに紛れながらゆっくり歩いた。早朝だと言うのに、このシンドリアの町は人々の活気に溢れている。ここにいると、先ほどの出来事が忘れられる気がした。

「あら、リュウイチじゃないの?」

 聞き慣れた声が、俺を呼び止めた。声のする方を見ると、そこにいたのはあのエルザさんであった。

「エルザさん……」

 エルザさんは店の準備をしていたようで、両腕には品物の入っているであろう箱が抱えられていた。彼女はその箱を地面に置くと、いそいそと俺に近寄ってくる。それに対し、俺は久しぶりの再会に嬉しいと思う反面、今は出会いたくなかったと思っていた。

「久しぶりだね、リュウイチ!元気そうでなにより。王宮での生活はどう?まさか、王宮の皆さんに迷惑をかけていないでしょうね?もしそうだったら……ただじゃおかないからね」
「まさか、迷惑なんてかけてねえし……いってえ!」

 小さく呟いた言葉は、しっかりとエルザさんの耳に入っているようだった。思い切り脳天にぶつけられたエルザさん渾身の拳骨に、俺は頭を抱えて唸った。久しぶりにこれを喰らったが、まだまだ現役のようだ。

「……あんた、なにかあったんだね」
「は……?」

 怒鳴られる、そう思っていたのに、エルザさんの口から出てきた言葉は、予想外のものだった。

「あたしを舐めないでほしいね。ずっと一緒にいたあんたのことを分からないはずがないだろ」
「…………」
「とりあえず、うちに入んな。話すか話さないか、それは後で決めればいいし」
「うっす……」

 俺はエルザさんに促されるまま、彼女の後を着いて行った。

「あれ?リュウイチだー!久しぶり!」
「おう……ランか」

 エルザさんに連れられ、居間に入ると、そこにはエルザさんの娘であるランがいた。元気なのは変わらないが、少し見ないうちに大きくなった気がする。
 ランは俺を見るやいなや、前のように勢いよく抱き着いてきた。俺はランを抱え、頭を撫でてやる。嬉しそうに笑うランが、とても眩しかった。

「ラン、悪いんだけど、代わりに店の準備をしといてくれる?」
「分かった!じゃあ、リュウイチまたね!」
「おう」

 ランは元気よく、今から出て行った。それを見送ったエルザさんは、静かな声で「座りな」と言った。俺は言われた通り、一番近い椅子を引いてそこに腰を降ろす。エルザさんも、俺の目の前に腰を降ろした。

「で、話すかい?ここで言うことは誰にも言わないし、あたしも口は出さない」
「……実は……」

 俺は、昨夜の出来事をエルザさんに話した。親にも話したことがない内容を話すのは気恥ずかしかったが、エルザさんは俺が話し終えるまで黙って聞いていてくれた。それがとても心地よくて、嬉しくて、さすがエルザさんと思わずにはいられない。

「そうか……あたしは良いと思うけどね」
「え?」
「恋愛に、性別は関係ないでしょ」
「は?」

 エルザさんの発言に、俺は目を丸くした。そんな俺を余所に、エルザさんは話を続ける。

「あたしは世界中を回って、沢山の人たちを見てきたよ。行く先々の町には、色んな人がいた。もちろん、今のあんたとジャーファルさんみたいに、同性同士で愛し合っている人たちもね。その人たちは、幸せそうだった。異性間の恋愛のように、本当に愛し合ってた。周りから異端として見られていても、ね。だから、あんたも気にしたくていいんじゃない?好きになってしまったんだから、それを受け止めなさいな。それに……あたしはいつかこうなると思っていたよ」
「はああ!?」

 思わず、俺は大声を上げて立ち上がった。間抜け面な俺を見て、エルザさんはケラケラ笑う。むかつくと言うより、俺はぽかん、とその場に立ち尽くした。

「恋愛と友情は紙一重みたいなもんだからねえ」
「そうか……」
「すっきりしたかい?」
「……まぁ……」

 先ほどよりも、俺は大分落ち着いた。エルザさんの話を聞いて、色々と思うこともある。
 俺はおかしくなった。ジャーファルを好きになることは、おかしくない。そう答えが出るだけで、俺の胸のわだかまりはすっきりした。先ほどの胸の重みはどこへ行ったのか、と思うくらいだ。エルザさんに話して良かった、とそう思わずにはいられない。

「あの……ありがとうございます……」
「あはは、いいよ、そんなん。あたしたち、家族だろう?それにしても……まさかランより先に、あんたとこういう話をするとは思わなかったわ」

 前半部分は感動したというのに、後半部分で台無しだ。からかう様に笑うエルザさんを、俺は恨めし気に見つめた。

「そう怒るなって。そうそう、久しぶりに来たんだし、店の手伝いしておくれよ。お客さんもあんたがいたら、喜ぶだろうしね」
「ここに来た時から、そのつもりですよ」

 エルザさんに続き、俺は席から立ち上がった。心もそうだが、身体も先ほどより軽くなった気がした。



***
あとがき

 主人公は元不良だったので、本当の恋をしたことはありません。体だけの関係(ゲス)もいたと思いますが、多分彼はそういうのに興味なかったでしょうね。人の恋路は応援すると思いますけど。

それでは、ここまで読んで頂いてありがとうございました

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