短編・番外編(ブック)

□ある男の独白
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 事が起こったのは、名前が憲兵団に入ることを伝えようとする日ちょうどのことであった。突如出現した超大型巨人が、シガンシナ区の壁を破壊し、そこから巨人たちが侵入して来た。一抹の不安を感じた名前であったが、彼はそれを拭い去り与えられた任務を全うしようとしていた。
 名前たち訓練生は、ウォール・マリアの住人が速やかに避難できるように、誘導係として動いていた。その他にも、立体起動装置のガス補給班として動いている訓練生もいた。名前の与えられた任務は、前者であった。
避難してくる大勢の人の中に、名前は自然と家族の姿を探していた。そんなことをしている暇はなくて、ましてやこんな大勢の中から運良く家族に会えるわけないというのに、淡い期待を抱いて探していた。
 全てを知ったのは、状況がひと段落ついてからだった。

「俺の家族は、全員死んだ。父は兄と一緒に、最後まで近隣住民に迅速な非難を促していたそうだ。大声を出して、慌てないように言い続けていたと聞いた。母と妹は逃げ遅れた人を助けようとして、巨人に食われた。不思議と、涙は出なかったんだ」
「名前さん……」

 エレンは、自分の胸がきつく締め付けられるようであった。確かに、エレンもあの日、母親を失った。だが、エレンの周りには血は繋がっていないにしろ、大切な家族がいたのだ。それを思うと、エレンは自分の方が幸せなのかもしれないと考えた。

「俺の家族は立派だったんだ。最後まで、他人を助けようとするなんてさすがは俺の家族だ。でも、俺だけが残ってしまった。俺の今まではなんだったのか、分からない。途方に暮れて、悩んだ末、俺は調査兵団に入ることにしたんだ。俺を待つ人たちはもうこの世にいないから、どうせなら調査兵団に入って、俺みたいな人を少しでも減らしたいって思った」

 調査兵団に入ってからというもの、名前は随分と変わった。今までの自分はなんだったのかと思うほど、スムーズに体が動くようになった。立体起動装置を扱うのも上手くなり、巨人を一人で倒すことも簡単にできるようになった。もう失うものはないから、恐れるということが名前の中から消えたのであった。
 ある日、名前はエルヴィン団長に呼び出された。理由は、名前をリヴァイ率いる特別作戦班に引き抜きたいということであった。特に断る理由もなかったので、名前は二つ返事でそれを了承した。

「リヴァイ班での生活は、楽しかった。短かったけれど、まるで家族みたいに過ごせたからな。俺は、知らないうちにお前たちや、兵長を自分の家族だと錯覚していたのかもしれない」

 目を閉じれば、瞼に鮮明に映し出される。リヴァイ班で過ごした短い期間は、確かにエレンの中にも強く根付いていた。リヴァイの真似をするオルオを見て激怒するペトラに、まるで自分の兄のように優しく接するグンタとエルド。 彼らと名前は、エレンに言った。私たちを、信じて、と。奇妙がられていたエレンの能力を、彼らは確かに認めてくれた。それが、エレンにとってどれだけ嬉しかっただろうか。

「だからあの日、俺は酷く後悔したんだ」

 第五十七回壁外調査の日、調査兵団は女型の巨人の出現により、大混乱に陥った。女型の巨人は、なぜかエレンを必要以上に狙ってきたので、調査兵団はエレンを死守するために全力を注いだのである。だが、他の調査兵団員の力も虚しく、女型の巨人はリヴァイ班のあと一歩後ろにまで迫ってきたのであった。運悪く、この時リヴァイはそこにいなかった。リヴァイがいない今、エレンを守ることのできる人間は、ペトラ、オルオ、グンタ、エルド、そして名前の五人しかいなかった。

「名前!私たちで女型の巨人を引き留めるから、その間にエレンを連れて遠くに逃げて!」
「お前なら、俺たちの中で一番立体起動が早くこなせるだろう!」
「ああ、分かった!生きて、また会おう」

 その当時は、そうすることしか思いつかなかった。一人では無茶をするエレンに、名前が強引にでもエレンを遠くにやらなくては、作戦が上手くいかないのだ。エレンより長く付き合ってきた名前とペトラたちの中には、固い信頼が存在していた。お互いを信じ合っていた。まさか、あんなことになるとは思わずに、皮肉にも再開の約束を結んだのである。

「名前さん!なんで、あんた、ペトラさんたちが心配じゃないのか!!」
「あいつらなら大丈夫だ!良いから黙って着いて来い!!」

 名前は一度も振り返らなかった。振り返らず、彼らを信じてガスを吹かした。彼らの悲痛な叫び声や、嫌な予感しかしない大きな音が聞こえても、名前は振り返らなかった。信じていたからであった。
 
「こいつを、殺す!」

 しかし、エレンは違った。エレンは振り返った。そして、眼下に広がる光景に、目を見開いた。エレンは巨人化した。巨人になって、仇を討つつもりであった。

「エレン!止めろ!早く来るんだ!!」

 名前の叫びも、エレンには届かなかった。
 結局、リヴァイとミカサが駆け付けるまで、名前はなにもできずにいたのだ。

(ペトラ……オルオ……グンタ……エルド……)

 女型の巨人がもたらした被害は、多大なものであった。多くの人間が一瞬にして命を奪われたのである。調査兵団は、退却を余儀なくされた。壁外調査から、まだ一日も経っていなかった。
 巨人の進行が見渡せるほどの平地で、調査兵団は荷造りをした。馬を休憩させ、遺体や使用した器具などを荷台に積んだ。
 遺体は、布に包まれていた。丁寧にやるにも時間が無いので、所々中身が見えてしまっている。名前は、遺体の山を呆然として見ていた。遺体の中に、名前たちがあの日エレンの前で行った歯型のついた手が見えた。名前はそれを、他人事のように見ていた。まさか、あれが自分の仲間であるなど信じたくなかったのである。
 調査兵団は壁内に帰還しようと、馬を走らせていた。しかし、遺体の乗った荷馬車が重すぎたせいで、巨人に追いつかれようとしていた。こうなった時、調査兵団は必ず遺体を捨てる。それを知っていた名前は、どうにかして先に巨人のうなじを削ごうと、馬を走らせた。だが、一足遅かった。決死の決断で、遺体のいくつかは荷台から落とされた。その中に、名前の良く知る人物の亡骸があった。落とした拍子に捲れた布と、垣間見えた顔が、まるでスローモーションのように名前の目に映った。間に合わなかった。そして、仲間の死と向かい合わなくてはならない瞬間に立ち会った。
 それからのことを、名前は覚えていない。利口な馬に揺られながら、名前は壁内へ帰還した。周囲の民間人が浴びせる罵声を他人事のように聞きながら、名前は自分が生きていることに疑問を感じた。やはり、涙は出なかった。

「ペトラにも、グンタにも家族がいた。オルオには小さい弟たちがいたんだ。エルドには恋人がいた。皆、あいつらを待っている人がいたんだ。それなのに、あいつらは死んでしまった。遺体すら、回収できたかも分からない。俺にはもう待つ人はいないから、俺が死んでしまえばよかったんだ。俺が……」

 そう言い終わらないうちに、名前の体は吹き飛んだ。壁に椅子ごと叩きつけられた名前は、苦しそうに呻いた。驚いたエレンが横を見ると、そこにはリヴァイが立っていた。

「夜中までピーピーうるせえんだよ。放っておけばそのうち立ち直るかと思ったが、お前は随分とめんどくせぇガキらしいな」

 そう言いながらも、リヴァイは名前を蹴るのと止めなかった。一通り蹴り終わると、名前の前髪を掴んで、自力で立てない名前を宙ぶらりんにしようとした。

「兵長!やりすぎです!名前さんは心身ともに、かなり傷ついているんですよ!?」
「お前も甘めぇな、エレンよ。こいつは兵士としての覚悟を持っていない。名前よ、あの時、家族のいないお前が代わりに行ったとして、事態が変化するという確率はあったのか?お前なら女型の巨人のうなじを削ぐことができたか?いくらてめぇの小さい脳みそだって、そんくらい分かるだろう」

 リヴァイの言っていることは、真理であった。名前が犠牲になったところで、ペトラたちが生還するという保証はどこにもない。女型の巨人を捕獲するという確証も、存在しない。後悔したところで、結果は全て同じ可能性があるのだ。

「エレン、お前も名前も、そんな生半可な気持ちでいるなら調査兵団を止めろ。そんなウジウジした兵士なんかいらねぇ。開拓地に行ってそれこそ他人のために犠牲になってきたらどうだ」

 リヴァイはそう言うと、掴んでいた手を放した。名前は床に崩れ落ちた。口の端から、血が流れている。鼻からは鼻血がわずかに出ていた。エレンはさっと名前に近づいた。大丈夫かと問いかけ、自分の力では立てない名前を支えてやる。名前は俯いたまま、なに一つ喋ろうとしなかった。
 リヴァイは踵を返して、部屋から出て行こうとした。実は、名前の話は最後まで聞いていたし、彼の家族の事情は他の調査兵団員から聞いていた。調査兵団の一員なのだから、すぐに切り替えられるとリヴァイは踏んでいたが、見当違いのようであった。正直なところ、夜中まで騒がしくしていたことに腹を立てていたのもある。

「リヴァイ兵長、申し訳、ありませんでした。そして、ありがとうございます」

 名前は顔を上げ、大きな声で言った。リヴァイは一旦足を止め、それを背中で受けたが、振り返ろうとはしなかった。そのまま、リヴァイはなにも言わずに出て行った。
 エレンが横目で名前を見ると、彼の顔は傷だらけであったが、先ほどよりは幾分はすっきりしているようであった。エレンは安心した。

「あの、救急箱用意してきますね」
「ああ、悪いな、こんな夜中に付き合わせちまって」
「良いですよ、全然。名前さんが話してくれて良かったです」

 エレンはそう言うと、急いで救急箱を取りに部屋から出た。
 名前の気分は、晴れ晴れとしていた。家族が、仲間がいなくなったからといって、自分が認められないわけではなかったということに気がついたのである。長年の悩みが馬鹿馬鹿しくなった。名前は調査兵団の、一人の兵士としてこの身が朽ちるまで戦おうと、決意したのである。




****
あとがき

豆茶様のリクエストでした。如何でしたでしょうか。

思った以上に長くなってしまいました。リクエスト内容に細かく設定を書いて頂けたので、お話のイメージはすっと出てきました。そこから形にしていくのが大変だったのですが、悩みながら書くのは楽しかったですし、良い経験になったと思います。
長くなってしまった理由としては、どうしても主人公の家族のこと、リヴァイ班のことをお話に入れたかったからなのです。
アニメの22話はこれを書く上で初めて見たのですが、オリジナル展開があったのですね。家族の下りと遺体を捨てる場面で、かなりメンタルに来ました。
ですが、私自身がこのようなシリアスを書くことがあまりないので、新鮮味はありました。

書き直しは豆茶様のみ、お受けしております。気に入らない、イメージと違うなどございましたらご遠慮なくどうぞ。

では、豆茶様リクエストありがとうございました。そしてここまで読んで頂いた皆様、ありがとうございます!
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