*Short DreamT*

□【忍足】拝啓、忍足侑士様
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◆前日談



 窓の外には暮れなずむ東京の空と、急ぎ足で行き交う人々が見える。ある日の夕方、郁は駅前の喫茶店にいた。学校から家に帰る途中の寄り道だ。

 店の中には彼女以外にも多くの客がいて、ザワザワと賑わっていた。制服姿の女子高生の集団や、なにやら難しい顔でスマートフォンをのぞき込んでいるサラリーマン風の男性など、様々な人々が明るい店内で思い思いの時間を過ごしている。

 そんな中で、頼んだミルクティーを飲みながら、郁はある人物に宛てた手紙を書いていた。

『――侑士先輩へ。 お元気ですか? 私は元気です』

 書き出しは定型そのもの。しかし、彼女はご機嫌だった。大好きな彼氏のことを思い出しながら、つい先日ファンシーショップで見つけた可愛い便せんに、自分の想いをしたためていく。字が丸くなってしまわないように気をつけながら、よくある挨拶文を書いて、本題に入った。

『――先月の全国大会の写真ができたので、お送りします』

 郁の座っているテーブルの上には、数枚の写真が無造作に置かれていた。デジカメで撮影したものをプリントアウトしたその写真には、誇らしげに微笑む忍足の後輩や同輩たちが映っていた。彼らの背後には『祝 氷帝学園高等部男子テニス部 全国大会優勝』の横断幕。

『――今はもうみんな落ち着いて、受験勉強や学園祭の準備に忙しくしていますが、九月の前半はもうずっとこの話題でもちきりで、日吉くんや鳳くんはとっても大変そうでした』

 そこまで書いて、郁はペンを置いた。写真を手にとってしばらく眺める。とても暑くて、そして夢のようだった今年の夏を思い出して、瞳を潤ませた。

 眩しかった日差しと熱い歓声が、不意に彼女の脳裏に蘇る。そして、長年のライバルだった青学の部長・海堂に競り勝った瞬間の、日吉のガッツポーズと涙も……。

「……って、ボンヤリしてちゃいけないよね」

 しかし彼女はそうつぶやくと、写真を表に向けたままテーブルに戻した。あれからもう一ヶ月。季節も深まってもう九月も下旬。いつまでも、感傷に浸っているわけにはいかない。郁は再びペンを取った。サラサラと動かして、便せんに続きをしたためていく。

 しかしそのとき、彼女の眼前に影ができた。そして上から降ってくる、聞き覚えのある声。

「おい、何してるんだ」

「日吉くん」

 意外な人物に声を掛けられ、郁は目を丸くする。アイスウーロン茶を持った日吉は、不機嫌そうに彼女を見下ろすと、つぶやくように言った。

「勉強…… じゃないな、なんだそのふざけた便せんは」

 ネコの足跡のシルエットの入ったファンシーな便せんに文句を言いながら、日吉は勝手に郁の正面に腰掛けてきた。グラスとスクールバッグを置いて、偉そうに足を組む。

「い、いいじゃん別に! ネコ好きなんだもん」

「フン、くだらない」

 郁の抗議を聞き流しながら、日吉はテーブルの上を一瞥する。テーブルに置かれた写真に気がついた。優勝旗を抱えた自分とチームメイトたちが写っている、今年の全国大会の写真だ。

「……それ、誰かに送るのか?」

「えっと、忍足先輩に……」

 日吉の質問に、郁はひるんだ様子で答える。なぜそんなにおびえる必要があるのか。訝った日吉は彼女の手元に目をやった。便せんの出だしの『侑士先輩へ』の文字を確認し、ウソではないことを確かめて。

「わざわざそんなことしなくても、どうせデジカメで撮ってるんだから、メールにデータ添付でいいだろ」

 呆れた様子で、そんな言葉を口にした。……というか、その写真はもう既に自分たちが送っているはずなんだけど。前年度卒業したOBの全員には、鳳から報告メールを送らせていた。だから忍足もデータなら既に持っているはずだったのだ。

「メールはもう送ってるし! それに、今日はお手紙書きたい気分だからいいのっ!」

 しかし、郁はムキになって言い返してくる。普段の彼女らしからぬ振る舞いに、日吉は全てを理解した。

「そうか、そのふざけた便せんを使いたかっただけなんだな」

「ちっ、違うってば!」

 図星をつかれた気まずさからか、郁は顔を赤くした。思わず大きくなる声のボリューム。日吉は顔をしかめた。甲高い声が頭に響く。

「うるさいぞ。静かにしろ」

「……ッ!」

 当然のように注意されて、郁は悔しそうな顔をした。彼女にしてみれば『誰のせいで!』ということなのだろう。しかし、ケンカをする度胸もない郁は、ふてくされたようにそっぽを向く。

「もう、日吉くんのバカっ」

「何言ってるんだ」

 しかし日吉は、当然のようにそう言うと、バカはお前だろうとでも言いたげな顔をした。しかも。

「それより、どんなこと書いてるんだ。見せろよ」

「えっ!?」

 郁が返事をする前に。日吉は彼女の便せんを奪い取った。あろうことか音読しはじめる。

「『――侑士先輩へ。お元気ですか?』って、ありきたりな出だしだな」

「も〜 返してよッ!」

「最後まで読んだら返してやるよ」

「ッ!」

 今度は恥ずかしさに、郁は顔を赤くする。しかし、日吉から便せんを奪い返すことなど出来るはずもなく、唇を曲げて黙り込んだ。日吉に黙読されていく、郁から忍足にあてた手紙の一枚目。

「……何だ、このミィくんってのは」

 唐突に日吉に質問されて。郁は嬉しさに表情を輝かせた。可愛くて仕方のない愛猫の話を、誰かに聞いてもらいたかったのだ。

「えっとね、先輩のお家のネコでね、それで」

 懸命に、郁は日吉に説明しようとする。目に入れても痛くない、可愛いミィくんのその魅力。けれど。

「ああ、それだけでいい。もうわかった」

「…………」

 話を露骨に遮られ、郁は黙り込んだ。いくら興味がないからって、自分から質問してきてこれはあんまりなんじゃないのか。内心でそんなことを考えながら、郁は眉間にシワを寄せる。

(……ひどい)

 彼氏に宛てた手紙を勝手に読まれたことよりも、今は愛猫をないがしろにされたことにムッとしていた。

「……びっくりするくらい下らない内容だな」

 ようやく読み終えたのか、日吉が便せんを突き返してくる。ふくれっ面で、郁はそれを受け取った。正直すぎるコメントに言い返す。

「難しい話なんてできないもん!」

「……そういうことじゃない。ネコの話なんかより、せめてお前や俺たちの話した方がいいんじゃないのか」

 しかし、真面目な声音で意外なことを言われて。郁はびっくりしたような顔で、日吉を見上げた。

「……どういうこと?」

「…………分からないならいい」

 彼女の表情と返答に忍足の苦労を思い浮かべ、日吉は会話を打ち切った。

(……こんなバカ女、やっぱり自分は絶対にごめんだ)

 郁に告白されたわけでもないのに。そもそもそれ以前に、彼女は他人の恋人なのに。日吉は自分の言動を棚に上げ、そんなことを考える。けれど。

 ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がして。日吉は顔を上げた。視線を感じて、振り返る。すると、向こうのテーブルで聖ルドルフの制服を着た女子たちが、チラチラとこちらの方を見ながらヒソヒソと話をしていた。

 見覚えのない顔ばかりだったが、そのうちの一人がテニスバッグを持っていることに気がついて、日吉は焦った。天罰が下ったのだろうか。そんなガラにもないことを思って。

「……帰る」

 そう言って、日吉は慌てて立ち上がった。おしゃべりそうな、しかも他校の女子なんかに、あらぬ噂を立てられては堪らない。

「えっ?」

「……じゃあな」

 戸惑っている様子の郁はそのままに、ほとんど手つかずのドリンクとスクールバッグを手に持って、日吉はそそくさとその場を後にした。

「どうしたんだろ、日吉くん……」

 突然の出来事に郁は唖然とする。しかし。

「……まぁいっか」

 持ち前のプラス思考を発揮して、彼女は二枚目の便せんにとりかかった。日吉が退散してくれた今なら、思う存分恋人らしいことが書けそうだった。
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