*Short DreamT*
□【忍足】君を困らせる僕になりたい
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数人の見物客の後ろから、郁はガラスケースの中の子犬を見つめていた。可愛らしいビーグル犬だ。ちょうど生後二ヶ月くらいで、うつらうつらと眠そうにしている。
「可愛いです……」
「ビーグルなら、たしか宍戸が飼っとるで」
うっとりとした表情でため息をつく彼女のすぐ横で、忍足は元チームメイトを思い出しながら口を開いた。
日用品の買い出しと気分転換をかねて、二人は近所のショッピングモールに来ていた。冬の終わりのにぎやかな店内には、来たるイベントを歌う曲が流れている。
恋の記念日がどうとかいう曲のインストだ。間違いなくその歌は郁の耳にも届いているはずなのだが、彼女にとってはペットショップの子犬の方がはるかに重要なようだ。
「ほ、ホントですか!? いいなぁ……」
心からうらやましそうに、彼女はふぅと息を吐く。しかしまた、ガラスケースに視線を戻す。まだ見ていたいらしい。眠そうにしてばかりの子犬に、それでも嬉しそうに微笑みかける彼女を見て、忍足は目を細める。
(やっぱり女の子は、こういうの好きなんやねぇ……)
そんなことをふと思う。しかし、そのとき。
「――あ、あの犬!」
不意に、彼女は声を上げた。
「どしたん?」
忍足は郁に尋ねる。彼女は、今度はビーグルの隣の黒いポメラニアンに、熱い視線を送っていた。
「あのポメラニアン、先輩に似てます」
「…………は?」
わけのわからないことを急に言われて、忍足は戸惑う。忍足は、そのポメラニアンをまじまじと見つめた。精悍さも少しだけ出てきた生後数ヶ月の子犬で、ふわふわの長い毛並みが、まるでぬいぐるみのように可愛らしいが、その横顔はなんとなく、黒い毛並みの凛々しいオオカミのようにも見える。
「……………………」
悪い気はしないけど、それは自分の髪が長くて黒いからってだけなんじゃないのとか、彼女には自分が犬に見えているのかとか、ちょっと複雑な気持ちがうずまく。
「……似てへんやろ、そんな」
「似てますよっ!」
「そうかぁ?」
二人がそんなやりとりをしている間にも、そのポメラニアンはケージの中で伸びをしたり、ぬいぐるみを甘噛みしたりしている。自分に似てるかは置くとしても、その仕草はとても可愛い。彼女が騒ぐのもわからなくはないけど……。
「似てます! 黒くて毛の長いところが」
「髪型かい! ったく、どうせそんなことかと思ったわ」
けれど、やはり髪型ということを突き止め、忍足は呆れ気味に息を吐く。彼のそのリアクションに焦り、彼女はとっさにフォローする。
「そ、それだけじゃないですよ! あと、可愛くてどこか格好いいところも」
けれど、それもやはりピントがズレている。
「……せめて、格好よくてどこか可愛いて言うてくれへん?」
ずり落ち気味のメガネを上げながら、忍足は郁にケチをつける。男なのに可愛いとか言われても、正直微妙だ。しかも、彼女の前ではいつも格好いい先輩でいたくて、必死で見栄を張っているというのに……。
「す、すみません……」
郁は妙に神妙な顔で謝る。そんなに真面目に謝らなくてもと思いつつ、忍足は改めて口を開いた。
「そんなことより、そろそろ行くで」
彼女の手をとって、ぎゅっと握りしめる。
「えー!」
涙声の抗議はすぐに返ってきた。予想の範囲内のリアクションに、けれど少しだけ強い口調で言う。
「えーやない! どうせ飼えへんのに、いつまでおるつもりや」
わがままな子供を諭すような忍足に、しかし彼女はすがるような視線を送る。
「か、飼えないからこそ見てたいんですよぅ」
たしかに、ある意味正論ではあるのだが。しかしこんなことを許していたら、一日があっという間に終わってしまう。
「あんな、郁……」
「あと、十分だけ…… 先輩、お願いします!」
けれど、あまりにも必死そうにごねられて、忍足は仕方なく彼女のお願いを聞き入れてしまったのだった……。
そしてそれから数十分後。
「ポメ子かわいかったです」
レジ袋を持ちながら、郁はにこにこと住宅街を歩く。あと十分のはずが、店員に声を掛けられて犬を抱っこさせてもらったりしていたら、あっという間に時間が経ってしまったのだった。
「……まぁ、可愛かったけどな」
忍足は郁に同意する。……本当は動物にはそんなに興味が無かったんだけど、嬉しそうに犬を抱っこする彼女を見ていたら、今は無理でも、いつかは飼うのもいいかもしれない、なんて気持ちが芽生えてきた。
(今度、宍戸に聞いとこ)
ぼんやりとそんなことを思う。
(……でも、それがショップの策略なんやろうけどな)
けれど心の中でつぶやいて、忍足はその空想を終わらせた。
ふと、忍足は以前宍戸から聞いた、ポメラニアンの性格を思い出していた。教わったときは、明日役に立たないムダ知識だと思っていたけど……。意識せず笑みをこぼしてから、忍足はおもむろに口を開いた。
「……でも、ポメ子はどう考えても性格はお前似やろ」
「え?」
急にそんなことを言われて、郁は忍足を見上げる。
「甘えん坊の寂しがり屋で、ご主人様と離れたらもうアカンのやって」
彼女をからかうように、忍足はニヤリと笑う。
「ッ! 私はそんなんじゃないですよッ!」
案の定、彼女はあせって否定する。図星だったんだろうか。そうだったなら、嬉しいんだけど。
「なんでそんなムキになるん? 先輩は嬉しかったんやで、離れるのイヤって泣いてくれたあのクリスマスの」
「……せ、先輩のバカっ! 嫌いっ!」
思い出したくなかったことに触れられたからだろうか、彼女はそう叫んで、ぷいっとそっぽを向いた。でもそんなリアクションすらも、忍足の想定の範囲内だ。こんなやりとりは、それこそいつも通り。
「……嫌いなん?」
こうやって甘い声でささやけば、
「…………大好き」
それだけで、お姫様の機嫌は直る。
「よくできました。エエ子やから荷物持ったるわ」
満足げに微笑んで、忍足は郁の買物袋を取り上げた。
***
机に向かって大学の二次試験の勉強をする忍足の後ろで、郁はベッドに腰掛けて、雑誌のページをめくる。国立前期まであと十日と少し。なので、負担にならないようにということで、最近はもっぱら、郁が忍足の家に行くことが増えていた。
しばらく問題を解いてから、忍足はペンを放り出して伸びをする。彼女の方を振り返ると、郁は真剣そうに雑誌を読んでいた。遠目からでも見えるその記事の内容は、バレンタイン特集だ。
年上彼氏のハートをゲット、なんて見出しに、つい笑いそうになる。既にゲットしてるんだから、そんなもの見なくていいのに……。
「……何そんな真面目そーな顔で見とるん?」
「え!? な、何ですか?」
声をかけたら、彼女はあわてて雑誌を閉じた。そんな分かりやすいリアクションも、愛しくてたまらない。
「そんな隠さんでもええねんで。そういえば明日やね、めっちゃ楽しみやわ」
「……見てたんですか?」
郁は頬を膨らませる。自分に背を向けて勉強しているとばかり思っていたのだろう。
「何でムクれるねん。たまたま振り返ったら、お前がそのページ開いとっただけやで」
「…………」
忍足の言葉に、郁は不満げに視線を逸らす。
「で、お前は何くれるん?」
にっこりと笑って尋ねるが、彼女はまだお怒りらしく、拗ねた様子でで忍足に答えた。
「秘密ですっ!」
その回答に、しかし当日何かがもらえることを確信し、忍足は口角を上げる。思わず嬉しくなって、脳天気な口調で彼女に語りかけた。
「ええやん。どうせチョコなんやろ? 先輩は手作りのヤツがエエな〜 せっかくの記念日なんやし」
「……て、手作りのでもいいんですか?」
手作りなんて、男子は……特に忍足のようなモテる男の子は、嫌がると思っていたのか、郁は忍足を不安そうに見上げる。
「俺は嬉しいで。まぁ、好きでもない子からなら困るけどな」
「……困るんですか?」
「何でそこでお前がしょぼくれた顔すんねん」
なぜか彼女に急に悲しそうな顔をされて、忍足は苦笑する。
「好きな子からなら、めっちゃ嬉しいで」
そう言いながら、忍足は椅子から立ち上がった。ベッドに座っている、郁のすぐ隣に腰掛ける。
「……で、明日は何くれるん?」
ドキドキしている様子の彼女に、必殺のスマイルで尋ねる。至近距離からのその攻撃に、思わず口をすべらしそうになったけど、彼女はなんとか堪え忍んだ。頬を染めて、ポツリとつぶやく。
「……お楽しみです」
「ほんなら、期待しとくわ」
恥ずかしそうに瞳を逸らす可愛い彼女を見おろしながら、忍足はまた、満足そうに笑った。