*Short DreamT*
□【跡部】もう子供じゃないんだからさ
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「ん…… なんかあったかい……」
夢うつつに、郁はそっと目を開けた。その瞬間。
「……っ!?」
自分の視界に飛び込んできた景色に、彼女の思考は停止する。しかしそのすぐあと。跡部の広いベッドルームに、甲高い悲鳴はこだましたのだった。
「……人の耳元で叫ぶんじゃねーよ、テメーはよぉ! しかも今何時だと思ってやがる!」
自分の部屋が防音で良かったと思いつつも、ベッドの上で上半身だけを起こして、跡部は郁を叱り飛ばす。自分の隣で寝こけていた彼女に、突然絶叫されて起こされてしまったため、その機嫌はすこぶる悪い。
「……朝の四時です」
横目で時間を確認しつつも、跡部と同じく上半身だけをベッドから起こしている郁は、さりげなく彼から距離をとろうとしながらそう言った。
「答えなくていい、わかってる。時間が聞きたかったわけじゃねぇんだよ。
つか別に、付き合ってるんだから、何を今更そんなに悲鳴をあげるようなことがあるんだよ、テメーは!」
寝起きの不機嫌さもあってか、跡部の半ギレのお説教は止まらない。しかし、真っ白なカバーのかかった羽毛布団の裾をギュッとつかみながらも、郁は跡部に言い訳をする。
「だ、だって、お、同じベッドで」
「ああ!? 俺様のベッドはキングサイズの特注品なんだよ、問題ねぇだろうが! つーか、昨日お前がソファーで寝てたから仕方なく運んでやったのに、何なんだよこの仕打ちはよぉ! 完全に目が覚めちまったじゃねぇか!」
けれど、やはり逆に怒られてしまう。
「だ、だって、そんなこと言われても……」
跡部にさんざん怒鳴られて、涙をこぼしそうになりながら郁は俯く。確かに正論ではあるけれど、自分にとっては跡部が初めての彼氏で、何をするにも恥ずかしいのに、こうやって責められると、もうどうしていいか分からなくなってしまう。
(ちょっとくらい、こっちの気持ちもわかってほしいよ……)
俯いたまま、郁は唇を噛みしめるが、
「……いっしょに寝るのは、これで二回目だよな」
まだ多少の苛立ちを含んだ、しかしどこか悲しげな跡部の声に、おそるおそる顔を上げる。
「まだ、慣れないのかよ……」
拗ねたようなその表情に、申し訳ない気持ちになりながらも、郁は無言で頷く。
「……最後まではしねぇよ、だから緊張すんなよ」
ため息と一緒に、前にも言われたことをまた言われる。けれど、郁はどうしても不安を消せない。
「でも……」
涙に潤んだ瞳で、すがるように跡部を見上げた。しかし、そのとき。
「……つーか、オマエってホントに」
唐突に、郁は跡部に押し倒される。彼女が悲鳴を上げると同時に、ベッドのきしむ小さな音がした。
「先輩、なんで……」
思いがけない展開にパニックを起こしそうになりながらも、郁は自分を組み敷いて見おろす跡部に尋ねる。
「……たまにはいいだろ。少しくらい恋人らしいことしようぜ?」
けれど、近い距離で楽しげに笑われて、ますます混乱してしまう。跡部のことは確かに大好きなんだけど、先に進む心の準備はまだできていない。郁は焦って、思わず叫ぶ。
「……い、嫌ですっ!」
本当に嫌だったわけではもちろんない、ただの焦りと照れ隠し。しかし、跡部の機嫌はあからさまに悪くなる。
「…………あーん? 何だとテメェ」
「……だって、だって私」
涙ぐみながらも、また言い訳をしようとした矢先に、妙に強い口調で、郁は跡部に問い質された。
「……いつまで恥ずかしがってるつもりなんだよ」
明らかに苛ついている跡部の声音に、郁は肩をすくませる。しかし、跡部は語調を緩めない。
「いいかげん素直になれよ、本当はお前だって別に嫌じゃねぇんだろ?」
嫌じゃないのは本当だった。むしろ、自分でももう少し先に進みたいと思っている。けれど、跡部本人にそんな言われ方をされてしまうと、もう恥ずかしくて、素直な受け答えなんてできなくなる。
「……い、嫌だもん!」
気がつくと、郁はそう叫んでしまっていた。冷静に考えなくても、自分を大事にしてくれている彼氏に対して、それはとてもひどい言葉だ。しまったと思ったときにはもう遅く、跡部の機嫌はすでに直滑降したあとだった。
「……そーかよ」
低い声には明らかに、苛立ちを通り越した怒りがこもっている。
「っ! 跡部先輩、あのっ……」
さすがにまずいと思ったのか、郁は跡部に謝ろうとする。しかし、
「……ならもうオマエになんて何もしねぇよ! せいぜいベッドの隅で縮こまって寝てやがれ、バーカ!」
完全に拗ねてしまった跡部は、郁から離れて布団をかぶってしまったのだった。
背中を向けられて寝られてしまい、郁は急に心細くなってくる。
「せ、先輩っ」
「うるせぇ」
呼びかけても、返ってくるのは不機嫌な返事だけだ。さすがに悲しい気持ちになって、郁は跡部の背中に手を伸ばす。
「あの、先輩っ……」
「うるせぇよ、触んな!」
しかし、怒鳴られたあげく、伸ばした手を思い切り撥ねつけられてしまう。
「…………」
悪いのはどう考えても自分の方だ。それはわかっている。けれど、やはりどうしても悲しくて、苦しくて。郁は瞳に涙を浮かべる。
(……好きな人に拒絶されると、こんなに辛い気持ちになるんだ)
今、跡部に初めて「触るな」と言われて。郁はやっと、さっき自分が跡部にどれだけひどいことを言ってしまったのかを、理解したのだった。
「……チッ」
まだイライラは収まらないけど、それでも、背後のすすり泣く声を聞くと、やはり胸は苦しくなる。けれど、今回だけは絶対に自分からは譲らないと思い、鋼の自制心で、跡部は郁の方を向くのを我慢する。
だってこんなんじゃ、いつまでたっても先に進めないし……。それに、相手のことが好きなのは、本当は自分だけなんじゃないかなんていう、悲しすぎる疑いすら芽生えてくる。好きな相手に触れたいと思うのは、それこそ男女関係のない、人間の尊い本能なはずなのに……。
「……ほ、ほんとにごめんなさい、跡部先輩っ」
ぐずぐずと涙をこぼしながらも、しかし、郁はあっさりと跡部に謝った。
「…………」
あまりにも素直に謝られて、跡部の怒りがわずかに抜ける。もっと意地を張られると思っていたから、すごく意外だ。
(なんだよ…… つか、謝るくらいなら最初から……)
まだムカムカとするが、やはり良心はチクチクと痛む。今回はやりすぎてしまったのだろうか。いや、でも……。彼女に背を向けたまま、跡部はそんなことを考える。しかし、そんな考え事をしているうちに。
「……先輩の言う通り、ちょっと恥ずかしかっただけなんです。本当に嫌だったわけじゃないんです。だから」
そう言って郁は、跡部の背中に自分の胸を押しつけるようにしながら、後ろからギュッと抱きついてきた。
「怒らないでください……!」
自分にそっぽを向かれたのが、そんなにショックだったのか。奥手で恥ずかしがり屋な彼女の、意外すぎる大胆な行動に、跡部は内心でうろたえる。ちょっと怒っただけなのに、こんなにもサービスが良くなるなんて。
けれど、これも二人で積み重ねた時間と絆のおかげだとプラス思考をして、跡部は郁に背を向けたまま、口角を上げた。
(……やっと、彼氏らしいことができそうだぜ)
本当はすぐにでも振り向いて、着ている服も全部脱がせて最後までしてしまいたい。背中に郁の柔らかな身体と鼓動を感じながら、跡部はそんな衝動に耐える。でもたったこれだけで、あの仕打ちを許してしまうのも癪だった。機嫌の直っていないフリをしながら、跡部は声を低くして言う。
「……そんなんで、許してもらえるとでも思ってんのかよ」
「っ! ……ど、どうしたらいいですか?」
ひるみつつも、彼女はおずおずと訊いてくる。ヤル気だけはあるらしい。今から最後までさせろ、よっぽどそう言ってやりたかったが、こんな状況で、彼女の初めてを奪ってしまうのは忍びなく、跡部は違う言葉を探した。
「……もっぺん、キスさせろよ」
逡巡の結果、見つけた台詞はそれだった。
「んっ……」
郁の口から、吐息のような声が漏れる。彼女の胸元にいくつめかの赤い痣を残してから、跡部は改めて口を開いた。
「……俺の気持ちがわかったか、このバカ」
「ごめん…… なさい……」
郁は跡部に謝るが、その瞳はすでに焦点を結んでおらず、吐息や声も、うっとりとした甘さを含んできている。
(……だいぶそれっぽくなってきたじゃねぇかよ)
そんな彼女を見下ろしながら、跡部は喉を鳴らして笑った。郁のデコルテを、またきつく吸い上げる。くちゅり、とわざと音を立てて痕を増やして、薄く汗のにじんだ素肌を舐めた。可愛らしい悲鳴を漏らして、彼女は身体を震わせる。
「これで三つ目、だな」
「……っ!」
頬を染めて、恥ずかしそうに瞳を伏せるその仕草に満足すると、跡部は郁の唇を強引に塞いだ。わざと呼吸ができないように、身体を押さえつけて、ベッドに沈めるようなキスをする。
「んっ……」
息苦しくなったのか、郁は切なげな喘ぎを漏らすと、酸素を求めるように薄く口を開けた。思い通りの反応に嬉しくなりながらも、跡部は彼女の口内に舌を差し入れる。
その瞬間、怯んだように郁の身体が固くなったが、しかし、彼女はたどたどしくも懸命に、跡部のキスを受け入れる。彼の服の裾をギュッとつかみながら、精一杯舌を絡め返して、跡部に応えようとしてくる。
しばらくの間、その初々しい口づけを楽しんで。跡部は唇を離すと、今度は彼女の首筋に舌を這わせた。
「……っ!」
郁はびくりと身体を震わすと、何かをこらえるような喘ぎを漏らす。回数を重ねてからの、遠慮なく求め合うような行為も好きだけど、初めての緊張感を孕んだ、探り合うような行為もたまらない。
(……やっぱり、最後までしてぇな)
そんなことを思いながら、跡部は郁のトップスの中に手を入れる。
「……っ!」
またしても、郁は身体を強張らせる。けれど、彼女は拒まなかった。何の抵抗もせず、むしろ背中を軽く浮かせて彼に協力する。跡部もためらいなく彼女の背中に手を回して、下着のホックを外した。そのままの流れで、柔らかなそこに直接触れる。膨らみを覆うように、手のひらを乗せた。
「……っ!」
ひときわ大きく、郁の身体が跳ねた。
「……大人しくしてろ」
宥めるように跡部は、郁の耳元でそうささやく。
「……はい」
彼女はこくりと頷き返して、うわごとのようにつぶやいた。無意識のうちに跡部はまた、口の端を上げていた。膨らみの上の手のひらを動かし始める。
***
熱にうかされた彼女の息づかいを聞きながら、その感触を楽しんでいたら、やはりどうにも我慢できなくなってきた。
甘やかな声にも、想像以上に柔らかく温かな身体にも、普段の無邪気さからは想像もつかないような乱れた姿にも、本能と征服欲が煽られて、どうしようもなくなる。……最後まで行かなきゃ、終われない。
「なあ郁、やっぱり俺……」
最後までする気はなかったけど、でも、せっかくのチャンスを逃したくない。いつもの余裕を失いながらも、欲情にかすれた声で、跡部は改めて彼女にお伺いを立てようとする。だが、しかし。
「――ニャオ〜〜〜ン」
間近で聞こえた愛くるしい鳴き声に、跡部は硬直した。今まで彼が苦心してつくりあげてきたムードが、木っ端微塵に打ち砕かれる。ずっと跡部にされるがままになっていた郁も、はっと我に返ってしまう。
「え……?」
こうなってしまっては、もう続きをする気にもなれない。
「やっぱり邪魔が入るんだな……」
苦々しげにつぶやいてから、跡部は彼女から身体を離す。心の底から悔しげなその台詞は聞こえなかったことにして、乱れた着衣を直しながらベッドから起き上がった郁は、その小さな姿に問いかけた。
「……クロ、なんでここにいるの?」
間違えようもない。その黒い子ネコはまぎれもなく、彼女の自宅近くに住むみんなのアイドルのクロだった。
「クロじゃねーよ、セーブルだ」
いつの間にか全部外していた自分のシャツのボタンを留めながら、跡部はなぜか得意気にする。
「みんなのアイドルのクロから、俺様のセーブルになったんだよ、コイツは」
「えっ、どういうことですかそれっ!?」
目を丸くして、郁は跡部に問い返す。そこから先は、また別のお話だ。