*Short DreamT*

□【跡部】君はトクベツ
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 ある日の休日の午後のこと。部屋のテーブルの上に置かれている、ふたつのプリンの空と一本のスプーンを見て、彼女は思わず叫んでいた。

「あ、跡部先輩が私のプリン食べた〜〜!」

「あーん? 別にいいだろ食いたかったんだよ」

 ちっとも悪びれていない返事が、すぐに返ってくる。その主はもちろん、彼女の部屋のリビングのソファーに泰然自若で腰掛ける、俺様何様なその人だ。

「よくないです、なんで二つとも食べるんですか!」

 瞳を涙に潤ませて、彼女――郁は跡部を責める。

「意外と美味かったんだよ、いいだろ。つかなんでそんなムキになるんだよ」

 平然と、でもほんの少しだけ申し訳なさそうに、跡部は言い返した。本当は味が気に入ったからではなくて、彼女をからかいたくて二つとも食べただけだったのに、予想以上にムキになられてちょっとびっくりしている……のは内緒だ。

「だって、せっかく楽しみにしてたのに」

 郁はがっくりと肩を落とす。既に大きなその瞳からは涙がこぼれ落ちそうになっている。そのプリンは、昨日学校帰りにわざわざ遠回りをして買ってきた、彼女にとっては高級でレアなものだったのだ。

「おいこら、そんなことで泣きそうになってんじゃねーよ」

 さすがにマズイと思ったのか、跡部は慌てて彼女のご機嫌を取る。しかしプリンを食べられただけで泣くなんて、どこの子供かという話なのだが……。

「ったく、悪かったよ。仕方ねぇな」

 ソファーから立ち上がって、跡部は郁の頭をあやすようによしよしと撫でる。

「……今から俺様お気に入りのスペシャルなプリンを届けさせてやる。安心しろ、味なら折り紙付きだ」

 そう言ってからおもむろに、跡部はズボンのポケットから携帯電話を取りだした。いずこかへと連絡を取るべく、携帯を操作する。

「やっ、やめてください! そんなことしてくれなくていいですよ!」

 だが、郁は跡部を止める。

「何だよ、自分は泣きそうになってるくせによぉ」

 跡部は不満げな顔をする。せっかくの好意だったのに、受取り拒否されてしまってムッとしたのだ。しかし彼女は譲らない。

「届けさせるなんて、先輩のお家の人に申し訳ないからいいです。一緒に買いに行くならまだしも」

 つんと口を尖らせる。彼女らしいセリフだ。

「あぁ? ったく、面倒くせぇやつだなぁ」

 そこまで言って、けれど跡部はニヤリと笑った。

「……じゃあ、一緒に買いに行こうぜ?」



***



「コンビニでいいのかよ」

「コンビニでもおいしいのあるんですよっ」

「安い味覚だなぁ」

 他愛ないことを話しながら、跡部は郁と二人で住宅街の小路を歩く。コンビニに徒歩で向かうなんて、曾祖父は財閥の創業者で、父親も祖父も大手企業の役員の、跡部にはあまりない経験だ。

 細い路地をしばらく歩いて、桜並木のある大通りに出る。だけど季節柄、木の葉は全て枯れ落ちていて、枝と幹だけの木々がなんだか寒そうに立っている。

 木枯らしがごうと吹き、寒さを感じた跡部はコートのポケットに手を入れた。指先がかじかむ。手袋ぐらい持ってくればよかった。自分の隣を歩く彼女に視線を送る。

 今年の春までは名前しか知らなかったような女の子と、こうやって並んで歩いてコンビニに行くなんて、不思議な感じだ。少し前までの自分じゃ、考えられなかった。

 家政婦もお手伝いもいる広大なお屋敷には、テニスコートやスポーツジムも含めた、彼が日頃必要とするものは全て揃っていたし、何か足りない物があったとしても、誰かがすぐに手配してくれた。だから自分で買い物に行くなんて、殆どなかったのだ。

 もし自分がもう少し普通の家の子供だったら、こんなふうに日々を過ごしていたんだろうか。跡部はそんなことを空想する。

 彼女の横顔を改めて見つめる。さっきまでは自分にプリンを食べられて泣きそうになっていたくせに、今はすっかり機嫌よさそうにしている。自分とコンビニに行くことが、そんなに嬉しいんだろうか。

 そういう無邪気さをいつまでも失わないで欲しいと、跡部は無意識に願った。……ふとあることに気がついて、跡部はおもむろに口を開いた。

「おい、手ぇ出せよ」

「え?」

 彼女の返事も待たず、跡部は郁の手を取って、そのまま自分のコートのポケットに入れた。

「……今日は寒ィからな」

「ハイっ」

 そんな跡部の強引さにも。嬉しそうに、郁は微笑む。



「ありがとうございましたー」

 店員の声に送られて、二人はコンビニから出る。跡部の手には小さなレジ袋があり、その中にはプリンが二つ、ではなくてケーキが三つ入っている。彼女の気分で、なぜかそういうことになったのだ。

「じゃあ、帰るか」

 跡部はそう言ったけど、なぜか返事は返ってこない。見ると彼女は、コンビニの壁に貼られたクリスマスケーキの広告に視線を送っていた。跡部もつられてそれを見つめる。よく見るとケーキの予約の期限は今日だった。思わず、跡部は彼女に尋ねる。

「……そんなもんまで、コンビニで買うつもりなのかよ?」

「えっ!? ち、違いますよ!」

 郁は慌てて否定するが、何か言いたげな様子で跡部を見上げた。

「何だよ?」

 何を聞かれるはわかっていた。しかしあえて、跡部は尋ねる。本人には言えないけれど、この無意味なやりとりが彼女と付き合う醍醐味なのだ。

「……先輩は、クリスマス予定あるんですか?」

 真剣な表情で、想定内のことを尋ねられる。キリスト教徒でもないくせに、たかだかたったその一日をなぜそんなに重視するんだろう。

「ったく、お前もクリスマス好きなのか?」

 意図的に大きくため息を吐く。

「だって」

「俺様はクリスマスになんて興味はねえが、仕方がないから空けといてやるよ」

「ホ、ホント!? わぁい」

 さっきのしゅんとした顔から一転、郁は頬を紅潮させる。

「せいぜい行きたい場所でも考えて、俺様にお願いするこったな」

「やったぁ」

 さっきはあんなに不安そうだったくせに、今はにこにこと笑っている。あまりにも可愛いから、そういうとっておきの笑顔を見せるのは自分の前だけにして欲しいと、がらにもないことを願う自分に気がついて、跡部は瞳を伏せて笑う。

 ちょっとしたわがままを一日聞いてやるだけで、ここまで喜んでくれるなら、今までは面倒なだけだったクリスマスも、悪くないかもしれない。



 ふたり並んで家路を辿る。しばらく歩いて細い路地に入るとミャウと声がして、跡部は顔を上げた。しっぽをぴんと立てた黒い子ネコが、前方から駆けてくる。

「あっ、クロ!」

 郁は嬉しそうにそう言うと、その場にしゃがみ込んだ。せっかく繋いでいた手をためらいなく放されて、跡部はムッとする。けれど、にこにことネコを撫でる彼女を見てしょうがねぇなと息を吐く。子ネコの方も彼女に懐いているらしく、幸せそうに喉を鳴らす。

「なんだよ、ノラネコか?」

「ノラじゃないです、みんなのアイドルです」

「なんだそりゃ」

 目を凝らせば、その子ネコはノラの割にはツヤツヤとした綺麗な毛並みで、よく人に慣れていた。よほどみんなに可愛がられているのだろう。よしよしと頭を撫でながら、彼女は子ネコに話しかける。

「元気だった? クロ」

「ニャウ!」

「よかった」

 自分の名前はわかるのか、子猫はタイミング良く返事をした。

「猫と会話できるのかお前」

「えへへ、特技なんです」

 意外な彼女の返しに、跡部は笑った。こういう穏やかな日常も、きっとひとつの幸せなんだろう。



 なぜかワクワクする。彼女と精一杯の恋をしたあの夏も、自分にとっては特別なものになったけど、今年の冬もそうなりそうな気がする。ポケットから携帯を取り出して、今日の日付を確認した。二人で過ごす初めてのクリスマスまであと数日だ。

 子ネコを可愛がる郁に視線を戻す。愛しい彼女をどうやって喜ばせてあげようか。跡部はそんなことを考える。自分の胸をしめつけるくらいに可愛い、あの笑顔が見たかった。だって本当に、彼女だけは特別だから。

 生まれて初めて、跡部はクリスマスを楽しみに思った。

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