*Short DreamT*

□【忍足】全てを奪う嵐のように/後編
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 それはまるで、全てを捧げる愛のように。

「――ちょい待ちって! 郁!」

 後ろから焦った忍足の声がして、彼女は足を止めて振り向いた。涙を指先で拭いながら、忍足に向かって叫ぶように言う。

「なんで追いかけてくるんですか! 先輩!」

「そりゃ、お前が完全に誤解しとるからに決まっとるやろ!」

 彼女の問いかけに、忍足もまた叫ぶように答えた。そして、続けた。

「郁、あの人はな、お前のオトンの会社の人やで」

 忍足の意外な言葉に、彼女は呆然と立ちつくした。

「え……?」

「ったく、俺どんだけ信用ないねん。行くでホラ」

 不満げに息を吐くと、忍足は彼女の手を取った。そのままズンズンと歩き出す。

「せ、先輩離してください! って言うかどこに行くんですか?」

 離しての部分はスルーして、忍足は答えた。

「お前のオトンのトコや」

 確かに先ほどから忍足は、郁の父の滞在するホテルの方に向かって歩いていた。

「で、でもお父さんいないって」

「いや、おるで。居留守使うとっただけやから」

「ウソっ!?」

 予想だにしない返答に、郁はまた声を上げた。

「あとな、お前のオトン、明日でイギリス戻るんやて」

「ッ!」

 不意に核心に触れられて、彼女は身体を震わせる。そして、恐る恐る忍足を見上げた。

「でも、なんで先輩がそんなこと知ってるんですか?」

「……ずっと、お前に内緒で会うとったからや」

 ひどく疲れた表情で、忍足は彼女にそう答えた。



 まるできらめく星が舞い降りたかのような、都心の夜景を見下ろしながら、郁の父は、部下の女性と携帯で話をしていた。電話の向こうで、品の良いクスクス笑いが聞こえる。

『でも、知りませんでしたわ。ボスがあんなにお嬢様を溺愛なさってただなんて』

「……君は何が言いたいんだ?」

 若干不服げに彼は言う。

『だって、忍足くんのお話を聞いていたら、あまりにもお気の毒だから』

「大切な娘の将来がかかっているんだ。これくらい当然だよ」

 口の端に笑みを浮かべて、彼は部下に言い返した。しかしそのとき、控えめなノックの音が彼の耳に届いた。

「すまないね、お客が来てしまった」

 そう相手に詫びてから、彼は電話を切った。ひと息ついて、返事をしてから部屋の入り口に向かう。そして何も言わずに、扉を開けた。



 大きな窓の外には、輝く星の海のような夜景が広がる。窓辺に佇む父とその背後の景色を、郁は夢うつつで眺めていた。自分の父は、いつもこんなところに宿泊しているのだろうか。

「……忍足くん、ご苦労様」

「いえ」

 通り一遍の挨拶を済ませてから、父は彼女に向き直った。

「初日以来だな、郁」

「お父さん……」

 父の真意をはかりかねて、郁はおずおずと尋ねた。

「……なんで居留守とか使ったの? あと先輩とも」

「そうだな、何から話そうか」

 小さく咳払いをして、父は目を伏せた。忍足も無言で、彼女の父の出方を待つ。

「まず居留守を使った件だが、すまなかったね。お前の顔を見てしまったら、手放す決心がつかなくなりそうだったんだ」

「え?」

 手放す決心と言われて、思わず彼女は父を見つめた。

「忍足くんにね、ずっとお願いされていたんだよ。お前の関西行きを許してくださいとね。勿論、私は許したくはなかったんだが、何度追い返しても、熱心に通ってくれたからね」

 そこまで言ってから、父は彼女を見つめ返して悠然と微笑んだ。

「そして郁、お前も、ずっと無視していたのに何度も来てくれたからな」

 彼女は気まずそうな顔をする。

「……だから、仕方がないから許してやろう。関西でもどこでも、好きにすればいい」

 父のそのヒトコトに、思わず彼女は瞳に涙をにじませた。一緒にイギリスで暮らしたいがために、あれほどまでに忍足との付きあいを強硬に反対した父が、ようやく、自分たちを許してくれたのだ。

「こんなことで泣くんじゃない、全くお前は相変わらずだな。 ……しかし、不思議な縁もあるものだな」

 くすり笑って、父は今度は忍足の方に身体を向けた。そしてまた、口を開く。

「忍足くん、君の志望校の――大学だが、実は私も、二年間だけだがそこにいたことがあるんだよ」

 忍足は息を呑み、郁は驚いて父に問いかけた。

「でもお父さん、大学は氷帝じゃ」

 しかし、父はこともなげに言った。

「学部は氷帝だが、そのあとに――の大学院に進学したんだ」

「知らなかった……」

 関西の大学院に行っていた、ということだけは聞いていたけれど、具体的な学校名は知らなかった彼女は、父の言葉に目を丸くする。

「……二年間だけだったが、関西での暮らしも楽しかったよ。万博のあの塔も見に行ったし、誘われてテニスをすることもあった。……そして関西にいた時に、妻に出会ったんだ」

 父の告白に、彼女は言葉を失った。

「だからね、忍足くん。君の志望校を聞いたときは、運命なんじゃないかって思ったんだよ」

 ピリリリリリ……。その時、思い出話の終わりを告げるかのように、父の携帯が鳴った。一呼吸置いて電話に出て、父はまた英語で何事か喋った。そして電話を切り、二人に向き直る。

「すまない、社に戻らなくてはならなくなった。今日はここまでだ」

 テーブルの上のカードキーを手に取る。

「郁、今回はあまり一緒にいられなかったが、次回はゆっくりしよう。……忍足くん、君もね」

 そう言って微笑む彼女の父を見て、忍足はハッとした。今までは、偉そうで気障ったらしいその振る舞いから、まるでどこかの俺様な元部長のようだと思っていたけれど、その穏やかな笑顔はどこか、自分に似ていた。



 ホテルを出てから、イルミネーションで華やぐ街路を並んで歩く。路面店の店頭には、クリスマスを祝うオーナメントが飾られ、十二月の街に彩りを添えている。

「……お父さんと、ずっと会ってたんですか?」

 歩きながら、郁は忍足に問いかけた。

「ああ、会うとった。……ごめんな、内緒にしとれ言われとってん」

 そこまで答えて、軽く苦笑してから、忍足は言葉を継いだ。

「まあ、さすがに今日は、お前も呼ぶつもりやったんやけどな」

「そうだったんですね」

 郁は瞳を伏せた。

「――大変やったんやで。お前のオトンには最初の二週間ほとんど無視されるし、お前ともホテルで鉢合わせせんように、ずっと気ィ遣ったりして」

 どこか遠くを見つめながら、忍足はひとりごとを言うかのようにつぶやいた。

「……すみません」

「別に謝らんでもええよ。俺がしたくてやったことやし。でもやったな。これでオトン公認やし、お前の関西行きも決定や」

 彼女を見つめて、忍足は嬉しそうに笑った。

「先輩」

「お前も、頑張ってくれてありがとうな」

 彼女は首を横に振った。並んで歩く彼の手を、ぎゅっと握りしめる。そんな彼女を、忍足は愛しそうに眺める。

「……しかし、まさかこの年で『お嬢さんを僕に下さい』言わされるなん思わんかったわ」

「ッ! 言ったんですかそんなこと!?」

 よほど驚いたのか、彼女は思わず声をあげた。口をぱくぱくさせて、忍足を見上げる。

「言うたで。ホンマに我ながらドラマみたいやったわ」

 しばらく歩くと、駅が見えてきた。ロータリーの大きな青白いクリスマスツリーが、ふたりの視界に入ってくる。

「……もうすぐ、クリスマスやね」

「そうですね」

 忍足は、郁の手をギュッと強く握りかえす。

「……今年は俺が受験で、来年はお前が受験やからあれやけど、再来年のクリスマスは、ちゃんと二人でお祝いしような」

 それは、あまりにも遠い未来の約束。だけど、彼女はうれしさに涙をこぼして頷いた。

 来年も再来年も、ずっと一緒にいよう。記念日も何でもない日も、ずっと。
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