*Short DreamT*
□【忍足】全てを奪う嵐のように/後編
2ページ/2ページ
それはまるで、全てを捧げる愛のように。
「――ちょい待ちって! 郁!」
後ろから焦った忍足の声がして、彼女は足を止めて振り向いた。涙を指先で拭いながら、忍足に向かって叫ぶように言う。
「なんで追いかけてくるんですか! 先輩!」
「そりゃ、お前が完全に誤解しとるからに決まっとるやろ!」
彼女の問いかけに、忍足もまた叫ぶように答えた。そして、続けた。
「郁、あの人はな、お前のオトンの会社の人やで」
忍足の意外な言葉に、彼女は呆然と立ちつくした。
「え……?」
「ったく、俺どんだけ信用ないねん。行くでホラ」
不満げに息を吐くと、忍足は彼女の手を取った。そのままズンズンと歩き出す。
「せ、先輩離してください! って言うかどこに行くんですか?」
離しての部分はスルーして、忍足は答えた。
「お前のオトンのトコや」
確かに先ほどから忍足は、郁の父の滞在するホテルの方に向かって歩いていた。
「で、でもお父さんいないって」
「いや、おるで。居留守使うとっただけやから」
「ウソっ!?」
予想だにしない返答に、郁はまた声を上げた。
「あとな、お前のオトン、明日でイギリス戻るんやて」
「ッ!」
不意に核心に触れられて、彼女は身体を震わせる。そして、恐る恐る忍足を見上げた。
「でも、なんで先輩がそんなこと知ってるんですか?」
「……ずっと、お前に内緒で会うとったからや」
ひどく疲れた表情で、忍足は彼女にそう答えた。
まるできらめく星が舞い降りたかのような、都心の夜景を見下ろしながら、郁の父は、部下の女性と携帯で話をしていた。電話の向こうで、品の良いクスクス笑いが聞こえる。
『でも、知りませんでしたわ。ボスがあんなにお嬢様を溺愛なさってただなんて』
「……君は何が言いたいんだ?」
若干不服げに彼は言う。
『だって、忍足くんのお話を聞いていたら、あまりにもお気の毒だから』
「大切な娘の将来がかかっているんだ。これくらい当然だよ」
口の端に笑みを浮かべて、彼は部下に言い返した。しかしそのとき、控えめなノックの音が彼の耳に届いた。
「すまないね、お客が来てしまった」
そう相手に詫びてから、彼は電話を切った。ひと息ついて、返事をしてから部屋の入り口に向かう。そして何も言わずに、扉を開けた。
大きな窓の外には、輝く星の海のような夜景が広がる。窓辺に佇む父とその背後の景色を、郁は夢うつつで眺めていた。自分の父は、いつもこんなところに宿泊しているのだろうか。
「……忍足くん、ご苦労様」
「いえ」
通り一遍の挨拶を済ませてから、父は彼女に向き直った。
「初日以来だな、郁」
「お父さん……」
父の真意をはかりかねて、郁はおずおずと尋ねた。
「……なんで居留守とか使ったの? あと先輩とも」
「そうだな、何から話そうか」
小さく咳払いをして、父は目を伏せた。忍足も無言で、彼女の父の出方を待つ。
「まず居留守を使った件だが、すまなかったね。お前の顔を見てしまったら、手放す決心がつかなくなりそうだったんだ」
「え?」
手放す決心と言われて、思わず彼女は父を見つめた。
「忍足くんにね、ずっとお願いされていたんだよ。お前の関西行きを許してくださいとね。勿論、私は許したくはなかったんだが、何度追い返しても、熱心に通ってくれたからね」
そこまで言ってから、父は彼女を見つめ返して悠然と微笑んだ。
「そして郁、お前も、ずっと無視していたのに何度も来てくれたからな」
彼女は気まずそうな顔をする。
「……だから、仕方がないから許してやろう。関西でもどこでも、好きにすればいい」
父のそのヒトコトに、思わず彼女は瞳に涙をにじませた。一緒にイギリスで暮らしたいがために、あれほどまでに忍足との付きあいを強硬に反対した父が、ようやく、自分たちを許してくれたのだ。
「こんなことで泣くんじゃない、全くお前は相変わらずだな。 ……しかし、不思議な縁もあるものだな」
くすり笑って、父は今度は忍足の方に身体を向けた。そしてまた、口を開く。
「忍足くん、君の志望校の――大学だが、実は私も、二年間だけだがそこにいたことがあるんだよ」
忍足は息を呑み、郁は驚いて父に問いかけた。
「でもお父さん、大学は氷帝じゃ」
しかし、父はこともなげに言った。
「学部は氷帝だが、そのあとに――の大学院に進学したんだ」
「知らなかった……」
関西の大学院に行っていた、ということだけは聞いていたけれど、具体的な学校名は知らなかった彼女は、父の言葉に目を丸くする。
「……二年間だけだったが、関西での暮らしも楽しかったよ。万博のあの塔も見に行ったし、誘われてテニスをすることもあった。……そして関西にいた時に、妻に出会ったんだ」
父の告白に、彼女は言葉を失った。
「だからね、忍足くん。君の志望校を聞いたときは、運命なんじゃないかって思ったんだよ」
ピリリリリリ……。その時、思い出話の終わりを告げるかのように、父の携帯が鳴った。一呼吸置いて電話に出て、父はまた英語で何事か喋った。そして電話を切り、二人に向き直る。
「すまない、社に戻らなくてはならなくなった。今日はここまでだ」
テーブルの上のカードキーを手に取る。
「郁、今回はあまり一緒にいられなかったが、次回はゆっくりしよう。……忍足くん、君もね」
そう言って微笑む彼女の父を見て、忍足はハッとした。今までは、偉そうで気障ったらしいその振る舞いから、まるでどこかの俺様な元部長のようだと思っていたけれど、その穏やかな笑顔はどこか、自分に似ていた。
ホテルを出てから、イルミネーションで華やぐ街路を並んで歩く。路面店の店頭には、クリスマスを祝うオーナメントが飾られ、十二月の街に彩りを添えている。
「……お父さんと、ずっと会ってたんですか?」
歩きながら、郁は忍足に問いかけた。
「ああ、会うとった。……ごめんな、内緒にしとれ言われとってん」
そこまで答えて、軽く苦笑してから、忍足は言葉を継いだ。
「まあ、さすがに今日は、お前も呼ぶつもりやったんやけどな」
「そうだったんですね」
郁は瞳を伏せた。
「――大変やったんやで。お前のオトンには最初の二週間ほとんど無視されるし、お前ともホテルで鉢合わせせんように、ずっと気ィ遣ったりして」
どこか遠くを見つめながら、忍足はひとりごとを言うかのようにつぶやいた。
「……すみません」
「別に謝らんでもええよ。俺がしたくてやったことやし。でもやったな。これでオトン公認やし、お前の関西行きも決定や」
彼女を見つめて、忍足は嬉しそうに笑った。
「先輩」
「お前も、頑張ってくれてありがとうな」
彼女は首を横に振った。並んで歩く彼の手を、ぎゅっと握りしめる。そんな彼女を、忍足は愛しそうに眺める。
「……しかし、まさかこの年で『お嬢さんを僕に下さい』言わされるなん思わんかったわ」
「ッ! 言ったんですかそんなこと!?」
よほど驚いたのか、彼女は思わず声をあげた。口をぱくぱくさせて、忍足を見上げる。
「言うたで。ホンマに我ながらドラマみたいやったわ」
しばらく歩くと、駅が見えてきた。ロータリーの大きな青白いクリスマスツリーが、ふたりの視界に入ってくる。
「……もうすぐ、クリスマスやね」
「そうですね」
忍足は、郁の手をギュッと強く握りかえす。
「……今年は俺が受験で、来年はお前が受験やからあれやけど、再来年のクリスマスは、ちゃんと二人でお祝いしような」
それは、あまりにも遠い未来の約束。だけど、彼女はうれしさに涙をこぼして頷いた。
来年も再来年も、ずっと一緒にいよう。記念日も何でもない日も、ずっと。