*Short DreamT*

□【忍足】全てを奪う嵐のように/後編
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「……帰りたまえ。明日も、朝から仕事があるんだよ」

 行ったはいいものの、やはり取り合ってはもらえずに、忍足は仕方なく自分の家に戻って来ていた。

 やはり腹は立つが、彼女の父があそこまで強硬な態度を取る理由を知った今は、一方的な敵愾心は消えていた。彼女と離れたくない。それは、自分だって同じだ。

 リビングで、コーヒーの支度をしながらテレビをつける。だけどまた、それから流れてきた音声と映像に釘付けになる。

『それでは今夜は、――社のイギリス現地法人の……』

 画面では、彼女の父の勤務先の重役が、誇らしげに自社の世界戦略を語っていた。

『――これからも当社は、イギリスとともに……』

 その言葉に、忍足はうんざりとしてテレビを切った。確かに、誇りなのかもしれない。だけどそれにつき合わされるコッチは、本当にたまったもんじゃない。 

 これが仕事じゃなくて旅行なら、行きたい時に行きたいところに行って、帰りたい時に帰ってこれるのに。そうではないから、気持ちは沈むばかりだ。

 彼女の父に言われた言葉が蘇る。

「本当に郁を想うなら、身を引くべきは君なんじゃないのか?」

 一瞬同意しそうになるが、気をしっかり持って追い払う。彼女のために身を引くなんて、そんなの偽善だ。自分が格好いいままで終わりたいだけのエゴだ。家族よりも自分を選んだことを後悔させないくらい、彼女を愛して大切にすればいい。ただそれだけのこと。

 少なくとも、以前自分と競りあったあの泣きボクロの彼なら、きっとそうやって闘っていただろう。だから、自分も闘うだけだ。

 今、願うことはひとつだけ。どうかこれがこの恋の、最後の『敵』になりますように。



 家に帰ってきて、制服を着替えて、私はソファーに横になった。今日も学校帰りにお父さんのホテルに寄ったら、今日も不在だと告げられた。

 へこんでいても仕方がないのに、気持ちの落ち込みは止められない。電話だって何度もしてるのに、着信拒否でもされてるんじゃないかってくらいに、繋がらないからなおさらだ。

「お父さん、忙しいのかな……」

 それとも、もう話もしたくないってことなのかな。子供みたいなワガママばかりの、私となんて。ここのところはずっと、悪いことしか想像できない。

 先輩がどんなに大人びていても、自分がこんなに好きでも、お父さんにしてみたら、高校生の恋愛なんてただのおままごとなのかな。……でも、この気持ちをそんな風には思いたくない。



 狭いソファーで寝返りを打ったら、ふとテーブルの隅の小さなカレンダーが目に入った。十一月と大きくプリントされ、画家の格好をしたクマが描かれている。だけど今は……。

「……変えなきゃ」

 私は身体を起こして、カレンダーに手を伸ばした。そう、もう十二月。クラスの子たちは、今日も「クリスマスどうする?」なんて明るく話していた。けれど私には、そんなことを考えている余裕はない。

 もうすぐ、お父さんがイギリスに帰ってしまうかもしれないんだ。ここ数週間ずっと、お父さんを説得する方法を考えていた。でも、どうしても思いつかない。一年半前、私はどうやってお父さんを説得して日本に残ったんだっけ? それすらも、今はもう思い出せない。

『――話にならないな』

 不意にお父さんの声が聞こえたような気がして、私はかぶりを振った。

「ダメだよ…… しっかりしなきゃ……」

 カレンダーをめくって、元あった場所に置いて、部屋の中を見回した。

「……このおうちも、なくなっちゃうのかな」

 十六年以上もずっと暮らしてきた、思い出の詰まった我が家。じわりと視界がにじんで、私は目元をそっと押さえた。



 そのとき携帯の着信音が鳴って、私は身体を震わせた。おそるおそる電話に出る。

「……はい」

『郁、元気か?』

「忍足先輩…… どうしたんですか?」

『また泣いとるんやないかって、心配になってな』

「別に、泣いてなんて……」

 ないです、とは続けられなかった。喉がつかえて嗚咽が混じる。先輩は軽く苦笑して、

『落ち込んでても状況変わらんのやから、元気出し』

 その励ましに、でも私は素直になれなくて、先輩に向かって言った。

「……先輩は余裕そう」

『センパイはオトナやからな。空元気っちゅうヤツや』

 恨みがましい私のセリフに、先輩は優しい冗談を返してくれた。そして、まるで子供をあやすみたいな口調で、続けた。

『郁、今はいろいろ不安やと思うけど、元気出してな。それに、例え遠距離になったって、俺らならきっと大丈夫やで』

 そのあとちょっとした世間話をして、私は先輩からの電話を切った。そしてその場にしゃがみ込む。



 離れても、なんて寂しがり屋で弱虫な私にとっては偽善でしかない。

 一年半前に、お父さんたちと離れた時のことを思い出す。最初はあの気持ちを何て呼ぶのかすら、わからなかった。そしてしばらく経ってから、その気持ちの名前と、大切な人たちと離ればなれになることの意味を、嫌というほど理解させられた。

 離れてしまったら、私じゃきっとダメになる。例え先輩が平気でも。離れずにすむ、方法はたったひとつだけ。私はもう一度制服に着替えて、家を飛び出した。



 沈みゆく太陽が、眼下のビル群をオレンジに染める。ここは、赤い表紙のガイドにも載る高級ホテル。その高層階からの、眺めはやはり美しい。客室のソファーで寛ぎながら、彼女の父はその眺望を見下ろしていた。……もう何度も見ている景色に、特別な感慨はないけれど。

 唐突に部屋の隅の電話が鳴り、彼は受話器を上げた。フロントからのコールだった。

『……本日も、お嬢様がお見えですが』

「ああ、いないと言ってくれ」

 そうとだけ告げて、受話器を下ろす。そしてまたソファーに戻り、小さく息を吐いてから、彼はまた腕を組んだ。



「……今日も、いないって言われちゃった」

 瞳に涙をためたまま、彼女はホテルから出た。父の携帯にダイヤルしても、やはり冷たいアナウンスが聞こえるだけで、彼女の心の中には、やるせない思いが広がる。まるで、真綿で首を絞められているような苦しさだ。

 悔しさに唇を噛みしめて、郁は駅に向かって歩みを進める。十二月に入った街は、クリスマスを祝うオーナメントで彩られ、いよいよ華やかになっている。街路樹もシャンパンゴールドの電飾で輝き、エントランスに大きなツリーを飾っているビルも多くあった。

 大きな横断歩道にさしかかり、郁は渡ろうと道の向こうに視線をやった。だが、受け入れがたい光景を目撃し、彼女はぽつりとつぶやいた。

「なんで……?」

 向こうには、スーツ姿の女性と話す忍足がいた。まるでデパートの高級コスメのイメージガールのような女性と、その横に並んで立つ、普段とは違う細身のジャケット姿の忍足は、傍目に見れば、お似合いのカップルそのもので……

 もしかしたら、その女性はただの知り合いだったのかもしれない。たまたま出会っただけ、だったのかもしれない。しかしその光景は、今の彼女には到底受け入れられないものだった。

「あの人は…… お姉さんじゃない」

 彼女の脳裏に、父の言葉が蘇る。

『――さぞ人気もあって』

「……っ!」

 踵を返し、郁は駅とは反対方向に駆けだした。冬を迎えた東京の夜風は、身を切るほどに冷たかった。



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