*Short DreamT*

□【忍足】最高の家庭教師
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自分の向かいで、眉間にシワを寄せながら、一生懸命ノートに何かを書き込んでいる彼女に向かって、忍足は声をかけた。

「……なぁ郁、その数学の課題まだ終わらへんの?」

 退屈でしょうがないといった彼の声に対して、返ってきたのは、どうしようもなく切羽詰まった様子の彼女の声だった。

「……あ、あと七ページなんで、もうちょっとで終わります」

 今日は学校のない土曜日で、忍足は郁の家にやってきていた。だけど当の彼女は、まだ学校の課題が終わっていなかったらしく、忍足が来てからもずっと、彼のことはほったらかしで問題集とにらめっこをしている。

「もうちょっと言うて、さっきそう言ってから十五分は経っとるで?」

 不満げに忍足は郁を見つめる。せっかく部屋で二人きりなのに放置されるというのは、やっぱり気に入らない。

「すみません! ホントにあとちょっとなんで!」

 同じテーブルをはさんだ向かい側に座っているにもかかわらず、自分と目も合わせずに、彼女はペンを動かし続ける。

 ムッとしつつも、ヒマをもてあました忍足は部屋の中を見回した。シンプルな内装と家具に、暖色のファブリック。キャラクターものの雑貨がさりげなく置かれているのも、なんとなく彼女らしい。

 ふと目に入った本棚の上のクマのぬいぐるみが、なぜかメガネをかけていて、思わずツッコミを入れたくなったけれど、忍足はなんとか我慢した。

(……あ)

 カラーボックスの上に、ファッション雑誌が数冊置かれているのに気がついて、忍足は立ち上がった。どうせヒマだしと、近づいて手に取る。

 表紙のビジュアルから適当に選んで、郁はどんなのを読むんだろうと、パラパラとページをめくる。

 キレイだけどそそらない、似たような容姿のモデルたちと、似たようなテイストの洋服たち。紙面を飾るモデルの華やかで自信たっぷりの笑顔を見て、自分の姉を思い出し、なんとなく嫌な気持ちになって、忍足は小さくため息をついた。

(……なんかエエわ。やっぱこういうのは)

 心の中でぽつりとつぶやく。だけど、そんなことをしていたら彼女に見とがめられてしまった。

「あれっ忍足先輩、雑誌なんて見てどうしたんですか?」

 しかし、その無神経な言い方にムッとして、忍足は郁の方を振り返った。

「どうしたも、お前が俺ンこと放置するからやろ!」

「す、すみません!」

 忍足に睨まれて、郁は身体をすくませる。

「それより終わったんか?」

「……あと六ページです」

「終わっとらんのかい! しかも進んどらんし!」

「ごめんなさい!」

 怒られた郁は、慌てて問題集とノートに視線を戻す。だけどどうしても気になることがあるらしく、忍足を再度見上げて、郁はおずおずと問いかけた。

「……先輩は女の子のファッションだと、どんなのが好みなんですか?」

 課題はいいのかと思いつつもそれにはあえて触れず、忍足は彼女の質問に答える。

「……別になんでもええで、本人に似合うてれば」

「えー、そんな答えじゃつまんないです」

 甘えるようにごねられて、忍足は小さくため息をつく。

「そんなこと言われたかてなぁ……」

 今までに何度も聞かれたことのある質問に、内心ウンザリしつつも、そういえば郁に聞かれたことはなかったと、思い直して真面目に考える。

 けれどすぐにいい答えを思いついて、忍足は笑みを浮かべた。

「ああ、そういえばこないだ映画見に行ったときの黒いワンピース、大人っぽくて新鮮やったで」

「っ!」

 その瞬間、彼女の表情がまともに変わった。そのあまりにも分かりやすい反応に、忍足の笑顔はひきつる。

「……なんやねんそのリアクションは」

 ずっと手に持ったままだった雑誌を置いて、忍足は彼女につめよる。

「いえ別になんでも」

 言いながら、しかし彼女は冷や汗をかきながら後ずさる。

「なんでもないわけあらへんやろ」

 なんとか逃げようとする郁をつかまえて、忍足は彼女にヘッドロックをお見舞いする。痛くはない程度に、だけど彼女の腕力では逃げられない程度に、力を加減しながら、ひきつり笑顔で尋問する。

「そういやぁ、アレはいつものお前の格好とは結構違うてたなァ。どこのオトコに買うてもろたん?」

 女子の好みとはちょっと違う、いかにも男好きする清楚なデザインの、そのワンピ姿の彼女を思い出しながら、忍足は郁をしめあげる。

(……跡部ゆうたらホンマにこの場でオシオキしたるわ)

 なんてことを考えながら。

「せっセンパイ離してくださいっ」

 無駄な抵抗とわかっていながらも、郁はなんとか忍足から逃れようとする。忍足はそんな彼女を見下ろしながら、若干声にドスをきかせて、

「……正直に答えるまで離さへんよ。どこのオトコや?」

その声に、彼女は観念したように叫んだ。

「……お、お父さんですよ!」

「…………オトン?」

 意外な答えに、忍足は郁から腕を放した。彼女はこのスキにとばかりに、忍足の腕の中から逃げ出す。

「そうです。お父さんが去年のクリスマスに贈ってくれたやつなんです。たまにはこういうのも着なさいって」

 他のオトコでなかったことに安心しつつも、せっかくの機会なので、忍足は郁に言いがかりをつける。

「オトンか…… でもダメや他のオトコやろ」

 自分をあせらせたお返しだ。

「えー!」

 涙目で抗議する、彼女の反応に満足して忍足は口の端を上げた。我ながら、泣きボクロの彼のような横暴さと思いつつも、部屋にいるのも飽きたのであえて無茶を言った。

「そや! 今から買い物行くか。俺が他のヤツ買うたるわ。誕生日のお礼に」

「別にいいですよ! 何言ってるんですか!」

 案の定、嫌がられるがそんなことは知ったことじゃない。

「課題のことなら心配せんでエエで。んなモン俺が一瞬で終わらせたるわ」

 あえて成績を鼻にかけて、彼女の抗議を封殺する。

「さっきは自分でやれって言ったのに!」

「そんな昔のことなん忘れたわ。ほら、やったるから貸し」

 もう逆らってもムダだとあきらめたのか、郁は素直に忍足に問題集を差し出した。



***



 自分の代わりに数学の問題を解く忍足の横顔を、郁はじっと見つめる。自分は分からなくなったり悩んだりで、すぐ止まってしまうのに、忍足はさっきからずっとサラサラとペンを走らせ続けている。普段なかなか見られない真剣な表情も、カッコよくて見とれてしまう。

(やっぱり、カッコイイな)

 そんなことを郁が思ったそのとき。

「……そんなに俺カッコええ?」

 口角を上げてニヤリとそう言ってから、忍足は郁の方に向き直る。

「べっ別にそんなこと思ってません!」

 心の中を言い当てられて、思わず郁は叫んで後ずさる。

「テンプレみたいな反応やね。素直なお前が好きやで」

 シャーペンを放り出し、楽しそうに忍足は郁ににじり寄る。

「だからそんなこと思ってませんてばっ!」

 バレバレなのにも関わらず、それでも意地を張る彼女に、忍足は笑顔を崩さずにまた声を低くした。

「……そんなに課題自分でやりたいん?」

「ウソですごめんなさい!」

「今さらそんなこと言ったって遅いで」

 予想通りの反応に笑いをこらえつつも、わざと彼女から距離をとる。

「そんなぁ! 意地悪言わないでくださいよ」

「……ほんなら、キスしてくれたらやったるわ」

 冗談とも本気ともつかない表情で、恋人らしい条件を吹っかける。だけど、顔を赤くして本当に困った様子で郁にうつむかれて、忍足は苦笑した。

 本音を言えば、ちょっとくらい勇気を出してほしかったけど、なんだかもうその反応で充分かもしれない。可愛い彼女にキスされて、うっかり歯止めがきかなくなってしまったら、それこそ困るのは自分の方だ。

「……冗談やで」

 くすりと笑って、忍足は郁の頭をなでた。小さく息を吐いて問題集に向き直る。

 我ながら、なんて健全なお付き合いなんだろうと呆れつつも、二人のためと思い直して、忍足は再びペンを取った。



***



「……終わったで」

 数分も経たないうちに忍足にそう言われて、郁は驚いて声をあげた。

「もうですか!?」

 キラキラと輝く瞳で、うっとりと郁は忍足を見上げる。

「先輩すごいです! ありがとうございます」

 けれど忍足は、ちょっと困ったような様子で眉間にシワをよせた。

「……それはええんやけどな、郁」

「…………なんですか?」

 何かの予感を察知したのか、彼女の表情はこわばる。

「お前が解いたやつちょっと見たんやけど、結構間違うとるで。ツッコミどころ満載や」

「え!?」

「あと字な。丸文字すぎやで、キチンと書き」

「……はい」

 ちょっと注意しただけなのに、あからさまに落ち込む彼女を見て忍足は苦笑する。その素直なところも、やっぱり愛しい。

「まぁ、数学くらいなら今度教えたるわ」

「……すみません」

「元気出し。お前なら頑張れば出来る子やで」

 本心から励まして、そして立ち上がって彼女に手を伸ばす。

「ほな、買い物行くで」



***



 休日の繁華街はやはり人が多い。はぐれてしまわないように、忍足は郁と手をつないで歩く。思えば、こうやって二人で出かけるのも久しぶりかもしれない。しかも、彼女の服を選ぶだなんてなんてデートらしいんだろう。

 だが、忍足のその気分をぶち壊しにする声は、うしろから唐突に聞こえた。

「――おや、君は氷帝の……」

 聞き覚えのあるボソッとした声に、忍足はわずかに身体を震わせ、郁はあわてて彼の手を離す。

「やぁ奇遇だな。こんなところで」

 四角いフレームのメガネが、逆光でキラリと輝く。声をかけてきたのは、忍足たちの通う氷帝のライバル校、青春学園のデーターマン乾だった。

 今年は準決勝で対戦し、精密機械のようなテニスで自分たちを苦しめた彼の登場に、忍足は露骨にイヤそうな顔をする。

「……奇遇やね、ホンマに」

 乾は軽く微笑むと、忍足の隣の郁にも声をかけた。

「結城さんも久しぶり。やはり『ここたん』そのものだね」

「え?」

 男子限定の有名女優の愛称など知るはずもない、郁はきょとんとする。すかさず忍足は乾にクギを刺す。

「……乾、いらんこと言うなや」

 純粋な彼女に余計なことを吹き込まれては堪らない。

「そうカリカリしないでくれ。ただの感想だ」

「だからそれが嫌なんやけどな」

 どことなく剣呑な雰囲気の忍足に郁は戸惑うが、二人の間に割り込む勇気もなく黙り込む。

「まあ忍足。そんなことよりお前のところは、この間のセンタープレは返ってきたのか?」

 だが、乾は平然と話題を変える。本当にあの件はただの感想だったらしい。

「ああ……。返ってきたで」

 憮然とした表情で、忍足は答える。まだちょっとムカムカするが、さすがに彼女の前ではこれ以上はツッコめない。

「そうか。俺はIAは満点だったんだが……」

 数学のIAは当然満点、その他の主要科目も九割以上の得点で……。医学部ではないにせよ、乾も国立の一流どころを目指しているらしく、忍足と二人でハイレベルなトークを繰り広げる。

 難易がどうの、配点がどうのといった具体的な話についていけず、ぽつんと取り残された郁は、忍足の横顔を眺めながら、二人の会話が終わるのを待つ。

 だけど、肌寒い気候と忍足たちの真剣さに気づかされる。もう秋も終わりだから、センターまであと数ヶ月しかない。そしてそのあとの二次試験が終わったら、もうあっという間に卒業式……。

「――ありがとう、参考になった。お互い頑張ろう」

 そう言って乾は会話を打ち切った。そして郁に向き直ると。

「結城さんも、また」

 急に名前を呼ばれて、郁は現実に引き戻される。

「っ! ハイ、また……」

 乾は郁と忍足に会釈をすると、雑踏の中に消えていった。



「はーびっくりした。こんなトコでアイツに会うなん思わんかったわ」

 乾の後ろ姿を見送ってから、忍足は大げさに息を吐く。そしてさびしい思いをさせてしまっただろう、彼女に詫びた。

「ごめんな」

「いえ……」

「それじゃ、行くか」

 改めて忍足は郁の手を取った。とんだ邪魔が入ったけど、めげてはいけない。しかし最近、やたら青春学園の男と関わり合いになるのは気のせいだろうか。一瞬嫌な予感を覚えるが、ただの偶然だと思い込む。

「あっあの! 忍足先輩!」

 忍足の手をぎゅっと握り返して、郁は忍足を見上げた。

「どしたん?」

 いつもと違う調子で呼びかけられて、忍足は不思議そうに彼女を見つめる。

「買い物終わったら、おうちで勉強教えてください!」

 妙に必死な表情で、ちっとも甘くないおねだりをする郁に、忍足は思わず吹き出した。

 なんて清らかなお付き合いなんだろう。本当にこんなハズじゃなかった。でもまあいいか、彼女とだったら……。

「……ええよ。お前のためなら、イヤってくらい教えたるわ」

 彼女にとっての最高の家庭教師は、間違いなく自分だと確信しながら、つないでいない方の手で、忍足はメガネを押し上げた。
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