*Short DreamT*
□【忍足】僕だけの君でいて
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忍足先輩と図書館でケンカしてから、数日が経った。ケンカをしてから、先輩とは一度も会ってないし、メールのやりとりもしていない。特に用事がなかったからって言えば、そうなんだけど……。
携帯が震えて、私はバッグからそれを取り出す。メールだった。差出人は忍足先輩で、私は恐る恐る本文を開く。
『模試があったん忘れとったわ。今週末は会えへん』
簡潔すぎる文章が心にグサッてくる。確かに、そういえば今週は三年の先輩たちは全国模試だった。だけど。
(……忍足先輩、まだ怒ってるのかな)
このまま、終わっちゃうなんてことはない……よね? こんなふうにケンカするなんて初めてで、どんどん不安になってくる。悲しい気持ちになりながらも、私は携帯を閉じてカバンに入れた。
ちょっと納得できないところもあるけど、でも気をつけよう。そもそも忍足先輩しかありえないのに、他の男の子に言い寄られても、どちらにも悪いだけだ。
(でも、先輩の方がすごいモテてるのに)
付き合う前も付き合い始めてからも、大勢の女の子たちに、色んなことを言われたり尋ねられたりした。忍足先輩には言ってないし言えないけど、何で私ばっかり怒られなきゃいけないんだろうって、やっぱり納得できない。
だけど図書館でのやりとりを思い出すと、どうしても胸はズキンと痛む。あんなふうに呆れられたことなんて、初めてだったかもしれない。
(……付き合う前は、もっと優しかったのに)
それこそ、怒った顔なんて見たことなかったくらいに。
(いつも飄々としてて、余裕そうで……)
考え事をしながら、駅の構内を歩く。日が落ちたばかりの今は、帰宅ラッシュの時間帯だからなのか、駅は妙に混雑していた。
「――あのっ、すみませんっ!」
突然、聞き覚えのない声に呼び止められる。声の方を向いたら、青春学園の制服の知らない男の子がいた。
「……氷帝の二年の、結城さんですよね」
「!」
名前を呼ばれて身体がわずかに震える。
「……俺、青学のテニス部なんですけど、夏の全国大会で見かけて可愛いなって気になってて」
「…………」
どう反応していいのかわからずに、私は俯く。青春学園のテニス部には、そういえば知り合いがいた。そこからバレたんだ。今年は決勝しか行ってないのに。
理由がわかってホッとすると同時に、なんとなくイヤな気持ちになった。……跡部先輩が来るなって言ってた理由は、もしかしてこれだったのかな。
「良かったら連絡ください! 友達からで俺は全然いいんで!」
そう言ってメモを押しつけて、私の返答は待たずにその子は走って行ってしまった。
(最近よくもらうな、こういうの……)
忍足先輩は告白って言ってたけど、こんなのただのナンパだよ。大人しそうだからイケそうみたいに思われて、ナメられてるだけだよ。
メモを開いて中を読む。携帯の連絡先と名前に、学校名とクラス。そして『よかったらメール下さい』のひとこと。
かけられた言葉も、渡されたメモの内容も、このあいだのルドルフの人の時とほとんど同じで、複雑な気持ちになった。
(また声かけられたら、その時断ろう)
そんな結論を出して、私はメモをカバンの外ポケットに入れた。
「――何、大事そうにしまっとるんや」
唐突に声が聞こえて、ひょいっとメモが抜き取られる。
「忍足先輩!」
先輩はメモを一瞥すると、ビリビリに破り捨てた。そのままの流れで、あさっての方向を睨みつける。先輩の視線の先には、さっきの青学の男の子がいた。
「……っ!」
どちらにも申し訳なくて、私は思わず俯く。
「……先輩、補講じゃなかったんですか」
声が震える。この前これでケンカしたばかりなのに、なんでこのタイミングでこんなことになるんだろう。
「自習になったから抜けてきたんや。てか、どうでもええやろそんなん」
聞いたことないくらいトゲトゲしい声に、胸が抉られる。
「行くで、郁」
先輩はそう言って、私の手首を乱暴に掴んだ。
「……これで三人目やな。どうゆうことやねん」
「…………」
駅の近くの公園で、やっぱりお説教タイムが始まる。宵闇の中で先輩の表情は分かりづらいけど、それでも怒ってるのは明白だった。
「郁、俺前に学校の行き帰りの電車は、同じ時間の同じ車両に乗るな言うたよな。ちゃんと守っとるんか?」
怒りのにじんだ声で詰問される。
「……守れてないです」
「せやろな、だから顔覚えられたり待ち伏せされたりして、こんなことになるんや」
さっきからずっと、先輩はイライラを隠そうともしていない。こんな忍足先輩は初めてで、いたたまれない気持ちになる。
「でも、ちゃんと断って」
「だから! そういう問題やあらへんのや!」
先輩は声を荒らげる。
「……お前が他の男に粉かけられとるんが許せへんのやって、まだわからんの?」
「っ!」
辛そうにそこまで言われて、やっと私は先輩が怒る理由を理解できた。
確かに、私も忍足先輩が他の女の子に声かけられたりしてたらイヤだ。たとえ先輩の心が、これっぽっちも揺れなかったとしても。
だけど、私だってずっと引っかかっていたことがある。いい機会だと思って、私は先輩にそのことについて尋ねた。
「でも先輩だってモテてるじゃないですか。女の子からすごく人気あって、ウワサだっていっぱい」
私がそう言ったら、忍足先輩はなぜか毒気を抜かれたみたいな顔をした。
「どんなウワサやねんソレは。まぁモテんのは否定せんけどな」
やっぱり否定しないんだ……。心のモヤモヤはいっそう濃くなる。ウソでもいいから否定してほしかったのにって、わがままな欲望が顔を出す。
「……でも、俺はどうでもいい女には優しくしたりなんせえへんよ。線引きもするし。だから、そんなマジな告白もされへんし」
意外なことを言われて、私はびっくりして先輩を見つめた。少し困った表情を浮かべて、先輩は、
「……記念受験みたいなんは大勢おったけどな」
変な単語で例えられて力が抜ける。こんなことなら、もっと早く訊いておけばよかったかもしれない。
「つか、そんな昔のことなん関係ないやろ! それに俺のことはええんや」
だけどまた、すぐにお説教モードに逆戻りする。
「とにかく、これからは他の男にはあんま愛想よくせんこと! 跡部でもや! メモも受けとらずに突き返せ! あと電車は……」
たたみかけるように怒鳴られて、やっぱり泣きそうになってしまう。自分が悪いのはわかってるけど、でもこんなに怒るなんてひどいよ。
「……ごめんなさい」
「反省したんか?」
私は小さく頷く。
「これからは、なるべく声かけられんようにするんやで」
再度頷いて、私は先輩を見上げて言った。
「……でも、誰に何言われても、私には忍足先輩だけですよ?」
かなり恥ずかしかったけど、言わなくておしまいになるよりは全然ましだ。信じてもらえるかはわからないけど……。
「それこそ当たり前やわ」
だけど、忍足先輩は表情を変えずにそんなふうに答える。勇気を出して言葉にしたのに、そんな反応をされて私は視線を落とした。
その瞬間、急に制服のネクタイを掴まれて、喉もとに噛みつくみたいなキスをされた。痛いほど強く皮膚を吸い上げられる。
「……あとでバンドエイドやるわ。意味ないかもしれへんけどな」
耳元で囁かれる。先輩の表情はわからないけど、声から険が取れていてホッとした。
髪でも隠せない目立つ場所だけど、先輩の気持ちだと思えばうれしい。
「――朝は、一緒に行くか?」
急に優しい声が聞こえて、私は先輩の方を見た。そこには笑顔を作り損なった、子供っぽい忍足先輩がいた。……仲直り、できたのかな。
今は十月のはじめで、卒業までもう半年もないけど、
「……はい」
仲直りできたのと、一緒にいられる時間が増えたのが、涙が出るくらい嬉しくて。私はそっと喉もとのアザに手を当てた。