*Short DreamT*

□【跡部/悲恋】どうかその手で終わらせて
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 雨の朝には思い出す。自分がしてしまった過ちと、大好きだった先輩との出来事を。

 小雨の降る朝の道を、傘をさしながら、私は学校に向かって走っていた。パシャパシャとはねる水が、ローファーを汚すけど気にならない。

 大急ぎで私は学校の正門を通り抜ける。別に遅刻しそうなわけじゃない。今朝は大事な用事があったから、急いできたんだ。……跡部先輩は忙しいから、始業前か放課後の遅い時間じゃないとつかまらない。

 まっすぐに、生徒会室に向かう。途中何人かの先生とすれ違い、短い挨拶を交わした。昨日は、勘違いとはいえ無断欠席してしまったから、ちょっと緊張する。

 目的地にはすぐたどり着いて、私は扉をノックした。耳慣れた声の返事が聞こえる。この返事を聞くのもこの部屋に来るのも、今日で最後になると思うと、自分で決めたこととはいえ、胸が締めつけられるように痛んだ。……扉を開けて中に入ると、メガネ姿の先輩がいた。

「……何の用だよ。こんな時間に」

 つっけんどんな口調に、ちょっと傷つく。だけど私は気持ちを奮い立たせて、先輩に近づいて切り出した。

「跡部先輩、私…………っ」

 気持ちが昂ぶって、また声が出なくなる。だけど、先輩は無言で私を見つめたまま動かなかった。続きを待っているみたいだった。

「もしかしたら、もう知ってるのかもしれないんですけど…… やっぱり私、どうしても忍足先輩が忘れられないんです。だから」

 別れて欲しいんです。だなんて、とてもじゃないけど口に出来なかった。決心してからここきたのに、まだ未練があるのかな。先輩は表情を変えずに言った。

「……やっぱり、こうなるんだな」

「え……?」

 いつも通りの冷静な顔でやっぱりと言われて、面食らう。

「最初から知ってたよ。お前がずっと忍足を好きだったのも、忍足がずっとお前のこと好きだったのも」

 言いながら、先輩は椅子から立ち上がって、私のそばに近づいてきた。

「……それでも、忘れさせるつもりだったんだけどな」

 優しく私を見下ろして、先輩は仕方ねぇなって苦笑した。

「ったく…… この俺様をフった女なんて、お前が初めてだよ」

 潤んだ瞳でそんなことを言われて、涙がじわりと溢れてくる。……跡部先輩とのここ数ヶ月の想い出が蘇る。あの告白も、先輩のおうちで聞かせてもらったお話も、勝てなかった決勝の日の夜の出来事も、全てがまぶしく感じられて、視界が歪む。

 この期に及んで、都合のいいことばかりを思い出す自分が、また嫌になったけど、今ここで泣いてしまうのは憚られて、私は強く唇を噛んで俯いた。

「……こっち見ろよ、郁」

 熱を帯びた声色でそんなことを言われて、でも私は俯いたまま首を振る。先輩のため息が聞こえた。だけど顔はあげられない。だって先輩の顔を見たら、私は絶対に泣いてしまうから。

「……本当にごめんなさい。私、跡部先輩のこと、本当に大好きだったんです。でも色々悩んだんですけど、やっぱり……」

「それも、知ってたよ」

 温かい声が上から聞こえて、私は顔を上げた。

「お前が、俺のこと一生懸命好きになろうとしてくれてたのも、俺は全部知ってたよ」

 頑張って恋なんてしても、しょうがないし……。いつか言われた言葉の本当の意味を、私はやっと理解して……。今度こそ本当に、私の瞳から涙がこぼれた。

 夏になる前に告白されて、忍足先輩にフラれたと思い込んだ私は、逃げるみたいに跡部先輩の手をとった。最初は不安で一杯だったけど、でも先輩と過ごすうちに、どんどん惹かれていったんだ。

 ……跡部先輩が大好きだった。それは嘘じゃない。本当に本当だったの。あの時、手をさしのべてくれた人なら、誰でも良かったわけじゃないの。

 同じ苦しみを抱えて、それでも格好よく生きてる跡部先輩だったから、怖くても、その手を取ってみようって思ったの。信じてもらえないかもしれないけど、信じて?

「……誰でも良かったわけじゃないんです。私は、跡部先輩だったから」

 涙を零しながら、喉を詰まらせて、私は必死に言い訳めいた言葉を並べる。今更何を言ったとしても、もうどうにもなりはしないのに。……先輩は、何にも言わなかった。



 ひとしきり泣いたあと、ふと気になったことがあって、私は跡部先輩に尋ねた。

「……先輩は、今までフラれたことなかったんですか?」

 軽く苦笑してから、先輩はおもむろに、メガネを外してポケットにしまった。そして。

「……あるよ、フラれたことくらい」

 見たことない顔で微笑んで、先輩はそう教えてくれた。



 その日の夕方。人目につかないように学校の外で待ち合わせて、私は忍足先輩と二人で帰った。他愛ないことを話しながら、傘をさして二人並んで駅に向かう。……朝から降っていた雨は、とうとう一日止まなかった。

「――ってなことがあってな、前回の模試はイマイチやったから、今度の中間考査には、しっかり備えとかんとアカンのや」

 ここ最近の忍足先輩の話題は、やっぱり受験のことが中心だ。勉強はやっぱり好きにはなれないけれど、忍足先輩もすごく成績がいいから、来年自分が受験生になったときのために、私はしっかりと話を聞くことにしている。

 もちろんそれ以上に、好きな人の話だからっていうのもあるけど……。

「だから、今の課題は古典でな……」

 先輩がそんなことを話していたとき。

「――あっれ! 侑士に結城じゃん!」

 大きな声で名前を呼ばれて顔を上げると、そこには忍足先輩と昔ダブルスを組んでいた向日先輩と、なぜかその横には跡部先輩がいた。

 跡部先輩と思い切り目が合って、一瞬気まずい気持ちになる。だけど先輩は口角を上げて、いつもみたいに笑ってくれた。

 向日先輩に詰め寄られて、タジタジになってる忍足先輩のとなりで、私は跡部先輩に微笑み返した。私たちの視線はたしかにひととき絡み合って、そして、ほどけた。

 間違った恋だったかもしれない。だけど、必要な遠回りだったと思いたい。身勝手な願望っていうのは、わかってるんだけど……。

 だからこれからは、本当に大切な人だけを、ちゃんと大切にしていけたらいいな。きっとそれがたったひとつの、私に出来るせめてもの贖罪。

 こうやって、いくつもの想いを過去形にして、私たちは明日に向かっていくのかな。

 雨の朝を迎えるたびに、これからも私は思い出すんだろう。自分がしてしまった過ちと、大好きだった跡部先輩との出来事を。

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