*Short DreamT*

□【跡部】最初からこうなることを知っていた
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 イギリスへの留学を彼女に告げたその日の夜。『しばらく距離を置かせて欲しい』と電話で言われた。同じ日に彼女が忍足に告白されたということは、幸か不幸かジローから聞かされて知っていた。

 劇的な勢いで不利になっていく風向きを感じながらも、だけどその時の俺は、彼女の要求をただ受け入れることしかできなかった。

 俺とつきあってからもずっと、アイツは忍足の名前が出るたびに、普段と違う反応をしていた。彼女は気づいていたんだろうか。

 そう俺は、遅かれ早かれこうなることを、最初から知っていたはずだったのに……。



 闇の中で一人歩く彼女の背中が見える。俺は彼女の背中を追う。あと少しで手が届く。名前を呼ぼうとした瞬間、伸びてきた手に口を塞がれ、俺は何者かに突然背後から抱え込まれた。

「――君が、景吾くんだよね?」

 知らない男の声で名前を呼ばれて、ぞわりと恐怖が駆け抜ける。この記憶は。



 ハッと跳ね起きる。視界に飛び込んできたのは自分の寝室の景色で、安堵する。まだあの男の身体の感触が残っているような気がして、自分を抱きしめて落ち着かせる。

 心拍数は上がり、体はじっとりと嫌な汗をかいていた。……自分がまだ小さな子供だった頃の出来事。

「……クソっ!」

 最悪の夢見に吐き捨てるようにつぶやいて、俺はベッドから起き上がる。部屋の隅の冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出し一気に飲み干す。……全部、洗い流して忘れられればいいのに。がらにもない物思いも、無かったことにしたい出来事も。



 ふと、彼女のことを思い出す。自分の事件は即座に両親の知れるところとなり、周囲のバックアップと協力が得られた。でもアイツは?

 去年の夏頃、一時期忍足が朝練に遅く来ていたことを思い出した。家族は遠いイギリスで、本人は一人暮らし。被害の性質上『誰にも言えなかった』というのは本当なんだろう。

 当時のアイツが頼れたのは、忍足だけだったという事実を改めて思い知らされて、また胸の中に影が落ちた。

 でも絶対に、事件のことも忍足のことも忘れさせると思いながら、一緒に過ごした数ヶ月を思い出す。自分の気持ちは、伝わっていたんだろうか。



***



 鏡の前で制服のネクタイを結びながら、私は昨日の出来事を思い出していた。空港で忍足先輩に『ありがとう』と『さよなら』を伝えた昨日。そしてやっぱりどうしても、私には跡部先輩を忘れることなんて出来ないと気づけた昨日。

(今日は…… 跡部先輩と仲直りしなきゃ)

 勇気を出して、今度は私の方からぶつかって行かなきゃ。今までずっと私に、精一杯向き合ってくれていた先輩に。支度を終えてすぐ、私は家を飛び出した。



 清冽な朝の空気を感じながら、学校までの道のりを早足で歩く。こんな早い時間に登校するなんて初めてだ。……校門に入った瞬間、テニスコートが目に入った。ボールを打ち合う音が遠くに聞こえる。

(……行ったら、跡部先輩に会えるかな)

 普段は噂されるのが嫌で、コートには近寄らないようにしていたんだけど。でもこの時間なら、きっと女の子たちはいない。私はコートに向かって走った。

 氷帝のテニスコートは広い。朝練中の部員の人たちに探るような視線を送られながらも、私は跡部先輩の姿を求めてあたりを見回した。だけど、やっぱりコートにいるのは二年生ばかりで。想定内だけどちょっと落ち込みつつ、私は引き返した。

 歩きながら考える。先輩はどこにいるのかな。ていうかそもそも、こんな時間に来てるのかな? 次は生徒会室に行こうと思いながら、校舎の裏手を歩いていた、そのとき。

「――結城郁ちゃん、だよね?」 

 突然声をかけられて、知らない上級生の人たちに前途を塞がれた。馴れ馴れしく名前を呼ばれて、緊張が走る。

「何してんの、こんな時間に」

「あの跡部フッたってマジ?」

 先輩たちは、からかうような薄笑いで尋ねてくる。校内とはいえ、知らない男の先輩ばかりだから怖い。

「そんなこと…… お話したくないです」

 絞り出すように返事をしたら、突然背後から声が聞こえた。

「――次は忍足と付き合うの?」

 その瞬間、いつのまにか後ろにいた男の子に、私は手首を掴まれた。容赦なく片腕をひねりあげられる。

「……ッ! 離してくださいっ」

「ほっそいよねぇ、前から思ってたけど。跡部には言われたことないの?」

 大好きな先輩の名前を出されて動揺する。

「ないです! だから離してって……」

 逃げ出したくて、精一杯もがいて睨み返しても、相手は嬉しそうにするばかりで、ひねりあげる力がさらに強くなる。

「今フリーなら、俺らの相手してよ」

 校内でこんなことになるなんて思わなかった。自分に目をつけていたのは、女の子たちだけじゃなかったことに今更気がつく。

「別にいいでしょ? 初めてでもないんなら」

 近寄ってきた先輩たちの一人がそう言って、私の胸元のネクタイを手に取った。……ハラリ、と赤茶色のネクタイが地面に落ちる。こんなことをされるのは初めてで、私は恐怖に身体を硬くした。けれど。

「――何やってんだよ!」

 そのとき、怒りのこもった低い声が響いた。この声は。

「……っ! 日吉かよ」

「やべーコイツ、ケンカ超強ぇってよ!」

 先輩たちは焦って私を突き飛ばす。

「ジョーダンだよ! 日吉クン」

「他のヤツには言わないでね〜」

 そんな捨て台詞を言いながら、そそくさと立ち去った。日吉くんは私と同じ二年生で、今はテニス部の部長をしている。おうちは古武術の道場で、テニスだけじゃなくてケンカもすごく強いことで有名だった。あんまり話したことはないけど、すごくマジメそうな感じの子だ。

 日吉くんはしかめっ面のまま、私に駆け寄ってくる。

「アンタ本当バカだろ!」

 だけど、聞こえてきたのはいたわりの言葉じゃなくて怒声だった。予想通りではあったけど、私はやっぱりヘコんでしまう。

「さっきアンタがコートに来てたとき、すげー見られてたの気づいてました? それは別にいいんだけど、そんときからずっと、アイツらアンタのコト見ながらヒソヒソ笑ってたんだよ。そんでアンタの後追っかけてったから、ヤバイと思って来てみりゃ案の定だよ。もっと警戒しろよ!」

 もの凄い剣幕でまくし立てられる。あまりの迫力に言葉が出ない。

「あと! イヤならもっと抵抗しろよ! グーで殴るとか、きったねぇ罵声浴びせるとか、股間蹴るとか、他の女ならそれぐらい平気でやるだろ! なんで大人しくネクタイ取られてんだよ、ヤられたいのかよ!」

(普通の女の子はそんなことをするんだ……)

 ショックを受けながらも、日吉くんの正論に何も言い返せない。

「ごめんなさい……」

 自分に情けなくなって、私は唇を噛んで俯いた。

「ホント絶滅危惧種だわ。アンタ、女の友達いんのかよ」

 吐き捨てるように言われて、ジト目で見られて、私は思わず言い返した。

「と、友達くらいいるよ!」

「……どうだかね」

 だけど、あんまり信じてもらえなかったみたい……。

「で、コートに何の用だったわけ? 跡部さんなら多分生徒会室だし、忍足さんはまだ来てないと思うよ」

「ほ、本当!?」

 日吉くんに知りたかったことを教えてもらえて、私のテンションは急に上がる。

「……違うかもしれないけどな」

「いいの! ありがとう日吉くん。私、生徒会室行ってみるね!」

 早く跡部先輩に会いたくて、私はまた駆けだした。落としていたネクタイのことも忘れて……後ろで日吉くんが何か言っていた気がしたけど、その時の私は気にも留めていなかった。
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