*ねこのひかる*

□12 since last goodbye (完結)
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漆黒の空から淡い雪が降り落ちてくる。通勤電車の窓から見える関西の街灯りは今日も美しい。

 社会人になって数年。今夜も静は帰宅ラッシュの電車に揺られていた。右手に握られたスマホには、静がつい先日再開したばかりの短文投稿サイトの画面が表示されている。

 昔、自分がまだ大学生だった頃は、飼っていた猫のよりぬきの写真を載せていて、数百人のフォロワーがいたけど。今はただの日記のような内容で、フォロワーは数十人。みんな身近な知り合いだ。

 静が機嫌よく友人たちの近況を眺めていると、ふとある書き込みが目に留まった。ある友人の『猫を飼い始めました』というものだ。

 可愛らしい子猫と一緒に笑顔で映る友人の写真を見て、静の胸に温かいものが広がる。思い出すのは、もう何年も前の学生時代の幼い恋だ。

(……懐かしいな)

 自宅マンションの本棚には沢山の写真を収めた厚いアルバムがあり、彼がいつもつけていたシルバーのピアスに、愛用のブラシやリボンといった形見の品々は、今も大切に取ってある。

 いつかの夏の日に贈ってもらった指輪も、アクリルガラスのリングケースに入れて、鍵付きの引き出しにしまってある。色あせてメッキもはげてしまった、くすんだシルバーの指輪。

(……今も忘れてないよ、光)

 天に召された愛猫の名前を心の内で呼んでから、静はスマホをコートのポケットにしまった。

 昔の自分もこんな感じだった。初めて光を猫カフェから自分の家に家族として迎えたとき。あまりにも嬉しくて、自分もまた同じように写真を撮ってSNSに投稿した。

 最初はただの日常アカウントだったのが、それをきっかけに愛猫のことばかり投稿するアカウントになった。

 当時のことを思い出し、けれど静は少しだけ寂しい気持ちになってしまう。

 もう思い出し泣きなんてしないくらいに昇華できたけど、やはり切なくなってしまうのは、彼がいなくなったのもちょうどこの季節だからだろうか。

 そう、あの日も。真っ白な雪が降っていた。静は瞳を閉じて振り返る。幼かったあの頃、永遠に忘れることのない恋。

 愛し愛される喜びと、それを失う悲しみと痛み、そして失意の中から立ち上がる強さを教えてくれた、淡くほろ苦い初恋。

 猫の姿の彼のことも、人の姿の彼のことも。今も鮮やかに思い出せる。

『――静、好きや』

 こうやって自分を呼ぶ声も、忘れたことなんてない。

 けれど、彼がいなくなってすぐは、こうやって思い出すだけでも苦しくて、楽しかったことも苦しかったことも、彼との思い出は全て心の奥底に押しやって。なるべく思い出さないように、彼の写真もしまいこんでいたけど。

 七年がたった今は、普通に振り返ることができる。彼の死を受け入れた今はもう、思い出しただけで泣いたりしない。

 写真を眺めても辛くない。蘇るのはほんの少しの感傷と、それ以上の温かな思い出だ。心の傷は時間が癒してくれた。そして、彼女自身の強い意志で乗り越えた。

(……光、ありがとね)

 自分を大人にしてくれた大切な思い出に、瞳を閉じて感謝して。目を開けると。静の乗っていた電車は、ちょうど彼女の降りる駅に着いていた。

 車掌さんのアナウンスとともに扉が開き、彼女は大勢の人々とともに電車を降りる。

 今の季節は毎日寒いけど、今日の寒さはひとしおだ。周囲の人々はコート姿で吐く息も真っ白だ。けれど金曜日の夜だからか、皆なんとなく浮足立っているようにも見える。

 静はノートパソコンの入ったビジネスバッグを手に、駅のホームを颯爽と歩く。スーツの上にトレンチコートを着て、パンプスのヒールを鳴らして歩くその姿は、もうすっかり大人の女性といった雰囲気だ。

 社会人になって数年、毎日が充実している。いくつかの恋も経験して今はフリー。だけど、その分仕事に邁進している。前向きに元気に生きている。



 せっかくの休前日の夜なのに、今日はあいにく予定がなかった。まっすぐ家に帰るのが物足りなかった静は、駅前のショッピングモールに寄ることにした。

 お目当てはペットショップだ。可愛い犬や猫の展示や販売もしているここに、静はなにかと立ち寄っていた。

 立派な大人になっても、可愛い動物が好きなのは変わらない。たしかに七年という時間は、彼女を美しく磨き上げて成長させたけど。

 ペットショップの店先で、愛くるしいロシアンブルーの子猫を見つめる優しい瞳は、昔のまま。

「可愛いな……」

 仕事終わりの寄り道で、あとは家に帰るだけというシチュエーションで気が緩んだのか、静は無意識につぶやいていた。

「……光」

 彼女の瞳に涙が浮かぶ。リキッドルージュの引かれた艶やかな唇を引き結んで、静は長い睫毛を伏せた。

 寒い雪の日はどうしても、感傷を止めることができない。あのときは大学一年の終わりだったけど、今はもう立派な社会人。

 どれくらいの年月が流れただろう。ちゃんと頑張って大人になった。毎日が楽しく幸せだ。仕事もプライベートも人に恵まれて、自分は本当に果報者だと思っている。

 けれど、不意に物足りなくなるときがある。年齢相応に恋もしたけど、それでも。またペットを飼うということだけは、どうしてもできなかった。

 自分にとっての可愛い相棒は、後にも先にも彼だけだ。ピアスの似合う、小さな黒い――

(……ひかる……)

 静は心の内で彼を呼ぶ。背後から声を掛けられたのは、そのときだった。



「――ホンマ信じられへんっすわ。そいつ俺と似ても似つかんやないですか」



 忘れるはずのない懐かしい声。静は目を見開いて硬直する。

「――つか黒猫ですらあらへんし。同じところは猫ってだけやないですか。ひどいっすね。俺は純愛や思うとったのに、アンタは誰でもよかったん?」

 ひねくれていてキツくても、温かさと優しさの込められている言葉。意外と饒舌なのも変わらない。愛しい人のよそ見を責める、独占欲の強い恋人のような。

 ペットショップのショーケースのガラスに映り込む姿を見つけて、静はこらえ切れずに涙をこぼし始める。大きな瞳から溢れる涙は止まらずに、静は嗚咽を漏らして肩を震わせる。振り向きたいのに、振り向けない。

「――いつまでそうしとるんすか。早よこっち見て下さいよ」

 あからさまに不機嫌な声が聞こえる。けれど、甘えて拗ねているだけだ。誰よりも長く一緒にいた自分には分かる。彼はいつだってそうだった。

「……っは、もう我慢できんすわ。でも今度は謝りませんよ」

 後ろから近づいてきた彼に、強引に振り向かされて。唇にキスをされた。初めてのときと同じ、頬に手を添えられての強引なキス。

 彼の手首にはいつかの限定パッケージの緑のリボンが結わえつけられていた。くすんだゴールドのメタルチャームが揺れるのが、静の視界に入る。懐かしい、菜の花のようなカラーリング。

 店頭での長々としたキスに、二人は周囲の注目を浴びてしまう。誰かのはやしたてる声が静の耳に届く。

 キスを終えて唇を離しても、彼は猫の姿に戻らなかった。最初で最後、愛を交わしたときもそうだった。口づけを終えても解けない魔法。人の姿のままの彼は、優しい瞳で静を見つめる。

 あの頃と瓜二つの精悍な面差しは、何も変わっていない。ひとつだけ変わったことといえば、ピアスが増えていることだ。両耳にあわせて五つ。カラフルなそれは去勢手術済みの目印などではなく、純粋に好きだからつけているのだろう。

 瞳にうっすらと涙を浮かべて、彼は、光は微笑んだ。鋭い瞳を愛おしげに細めて、口元をわずかに緩めるあの笑顔。ぶっきらぼうな彼が、静にだけ見せてくれていた優しい笑顔。

「――大人っぽくなったな。ほんまに見違えた」

 永遠に解けない魔法は奇跡だ。今、それが目の前にある。



……光、私の可愛いねこのひかる。

愛のために奇跡を起こして、時を越えて生まれ変わって私を迎えに来てくれた。

最高に可愛くて格好いい王子様。 世界中で誰より素敵な男の子。

あなた以上に誰かを愛することなんて、きっとこの先二度とない。

「――やっと会えたな」

 淡く温かな微笑みを向けられて、静の胸に灯りがともる。全てが懐かしい。

 これまでの彼との思い出が、静の脳裏を走馬燈のように駆け巡る。出会いから人の姿に。そして雪の日の別れと、再会。

……光、あなたと出会えてよかった。

限りある時間をあなたと過ごせて、愛し合えてよかった。

あなたとの思い出は私の一生の宝物だよ。感謝の言葉は言い尽くせない。

何度でも言わせて、愛してる、あなたが大好きよ。





――子供が生まれたらペットを飼いなさい。

子供が赤ん坊のとき、子供の良き守り手となるでしょう。

子供が幼年期のとき、子供の良き遊び相手となるでしょう。

子供が少年期のとき、子供の良き理解者となるでしょう。

そして、その子が大人になったとき。

自分の命と引き替えに、生命の尊さを教えてくれる。

















End












BGM Monster:嵐
Thanks a lot!!
 

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