*ねこのひかる*
□10 Still in Love
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「――小春さん! ユウジさん!」
夜半、静は妖精二人を呼び出した。小春とユウジ。猫の光に変身の力を与えてくれた神様の御使いだ。静の呼び声に応えてすぐに、二人は煙とともに静たちの眼前に現れる。
静の隣で大人しく座っている光は、二人にじっと視線を送る。
「どうしたんねん、静ちゃん」
「なんや、こんな時間に」
もう夜も遅く、こんな時間に呼び出されたのは初めてだった。金色の翼を生やした手乗りサイズの二人は、口々に尋ねてくる。
「実は、お願いしたいことがあって……。小春さん、ちょっといいですか?」
静は恥ずかしそうに頬を染めると、小春だけを部屋の外に連れ出した。
「……何や、小春だけって。浮気か」
取り残されたユウジは不満げな顔をするが、静が小春に何を頼もうとしているか知っている光は何も答えない。大人しく二人の戻りを待つ。
数分後、戻って来た静と小春の瞳は、なぜか涙で潤んでいた。小春は目尻の涙を指先でぬぐうと、おもむろに先端にハートのついたステッキを懐から取り出した。
「――次にキスしたら四時間十分じゃなくて四百十分の変身やで! 大事に使いなさい!」
そう叫んで、光にステッキを向ける。
「奥義、桃色両想い〜〜!!」
小春の甲高い声が響くと同時に、一瞬だけあたりにピンクの光が満ちた。
「小春、何したんやこれ」
話に一人だけ置いて行かれているユウジが、戸惑った様子で尋ねるが、小春は相手にしなかった。
「乙女の秘密の魔法よ!」
そして、小春はユウジの腕をむんずと掴むと。
「帰るわよ、ユウくん!」
「なっ、ちょっ、小春……!」
そのまま、小春とユウジは姿を消してしまった。再び白い煙がポンと爆ぜて、室内には静と猫の姿の光の二人だけが残される。
「……光、大丈夫?」
気づかわしげに、静は光に声をかける。光は緩慢としたペースながらも起き上がると、静を見上げて返事をした。
身体は辛そうだけど、これだけできる元気があれば大丈夫だ。静は安堵する。
「やったよ、光。小春さんがいいって言ってくれたよ。時間もオマケしてくれたよ」
「……ミャウ」
光は小さな声でひと鳴きすると、緑の瞳を潤ませて感慨深そうに静を見上げた。
静が小春に頼んだこと、それは光と一線を越えることを許して欲しいというものだった。
一線を越えてしまったら、光は人間に変身する力を失ってしまう。人の姿の光には、もう二度と会えなくなる。一線を越えなくても、光とはあと数か月で会えなくなってしまうけど。それでも。
初めて愛した人と、初めての記念すべき夜を迎えたい。それが静と光の、最初で最後の我儘だった。
「七時間だって。よかったね。これで、朝まで人の姿で一緒にいられる……」
静の言葉は力なくたどたどしい、けれど真剣さと愛情が伝わってくる。だからきっと、小春も時間を倍にしてくれたのだろう。
次の七時間の変身で、ついに愛する人と結ばれる。しかしそれは、この上もない喜びであると同時に、悲しみでもあった。人の姿の光とは、これでもう会えなくなる。文字通り、一緒に過ごす最後の夜。
猫の姿の彼とはこれからも一緒にいられるけど、静は悲しみと寂しさに涙をこぼしてしまう。人の姿の光ともう二度と会えないという事実は、猫と人の両方の彼を愛する静にはやはり重かった。
ぐずぐずと泣く静のもとに、光がゆっくりと歩み寄って来た。猫の姿の彼は無言で、静の身体を三回小突いた。
「……光」
その仕草はキスをねだるものだ。つまり。
「……光、変身したいの?」
「ミャウ」
「今すぐで、いいの? 次に変身したら……」
最後になっちゃうんだよ? とはさすがに口にできず、静は喉を詰まらせる。
「ニャウ」
しかし、光はもう一度鳴くと、再び静の身体を三回叩いた。一度の瞬きもせずに、真摯な瞳で静を見上げてくる。
決意のこもった大きな瞳。綺麗なグリーンの虹彩は元気だった頃と何ひとつ変わらない。けれど、それ以外はすべて変わってしまった。
病魔に蝕まれた身体はやせ細り、あれほど美しかった毛並みはすっかり艶をなくしてしまった。
しかし、それでも光は最後の力をふりしぼり、この恋と自身の天寿を全うしようとしていた。そんな彼の姿に心を打たれた静は、ごしごしと涙をぬぐうと。
「……うん、わかったよ」
そして、彼女は寂しそうに微笑むと。
「……光、ありがとね」
光も瞳を潤ませる。これで最後なのだと思うと、自分も胸が潰れるほど苦しい。猫の姿だから泣けないけど、人間の姿だったら涙をこぼして嗚咽を漏らしていただろう。
「……じゃあ、私シャワー浴びてくるね」
つぶやくようにそう言うと、今の時間を確かめて、静はバスルームへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、光は考える。
こんなに急がなくてもよかったんじゃないかとか、そんなふうには思わない。もういつ死ぬかもわからないこの身体。引き延ばす理由も、ましてや拒む理由もなかった。
――やっとこの恋が実るんだ。何年もの間、憧れて焦がれて。けれどずっと諦めていたこの恋が、ようやく叶おうとしている。
それはとても嬉しいことであり、同時にとても悲しいことでもあった。彼女と一線を越えてしまったら、自分はもう二度と人間の姿になれなくなる。
叶った瞬間に失われてしまう恋だけど、それでもこの思い出は永遠だ。
魔法はいつか解けてなくなる。けれど、思い出は忘れてしまわない限り、ずっと自分たちのもの。
幼い初恋の締めくくりに、妖精二人は思い出をくれた。形に残らないけど記憶に残る、永遠に色あせないたったひとつの贈りもの。